第九話:揺れる日常と文化祭の影
父さんの私室、僕だけの秘密ラボ。
モニターには、昨夜の激戦で得たデータ――ケルベロス撃破によって回収した情報が表示されている。
父さんの研究記録の一部、《シードカード》の座標と思しきデータ、そして……新たなる謎を示すキーワード、アマテラスとアーク・システム。
『ケルベロスの活動ログ、及び回収した断片データの解析を継続中です、マスター。特にアマテラスとアーク・システムに関しては、複数のファイルに断片的な言及が見られます』
隣に立つアリスのホログラムが、滑らかな標準合成音声で告げる。
銀髪の美少女AIは、現実では基本的に感情を表に出さない。
けれど、昨夜、ケルベロスを撃破した直後に見せた安堵と賞賛の響きは、まだ僕の耳に残っていた。
そして、時折見せるホログラムの揺らぎ……彼女の中で何かが変わり始めているのは、間違いない。
「ありがとう、アリス。《アマテラス》……父さんが追っていた何かなのか、それとも敵なのか……。アマテラス重工との関連も気になるな」
『現時点では判断材料が不足しています。しかし、中島博士の研究記録に度々登場することから、極めて重要な要素である可能性が高いと推測されます』
「それにしても、昨日は危なかったな……」
あの時の死闘を思い出す。
《ミュー》、《テンペスト》、そして……予期せず現れた《レイヴン》。
彼女たちとの連携がなければ、あの地獄の番犬は倒せなかっただろう。
特にレイヴン……橘会長。
アマノイワトでの初共闘、そして昨夜のケルベロス戦。
言葉少なながら、その連携は確実に練度を増していた。
あの時交わした視線には、確かに信頼のようなものが芽生え始めていた気がする。
「利害が一致しただけ」と言っていたが……。
『マスター。過去の戦闘分析も重要ですが、現時点での優先事項は休息と次なる脅威への備えです。思考を現在に戻してください。思考停止は非推奨です』
アリスに思考を読まれたように促され、僕はハッとする。
「……ああ、そうだな」
僕は大きく伸びをする。
L3での激戦の疲労は、まだ完全には抜けきっていない。
でも、休んでばかりもいられない。
父さんの遺志を継ぎ、アラハバキの支配を打ち破る。
そして、大切な仲間たち――アリス、そしてPC部の仲間であるミウとアオイ先輩、それにレイカ先輩、そしてユキ。
彼女たちを守り抜く。
そのためには、もっと強くならなくちゃ。
切り替えるように立ち上がり、窓の外を見る。
空はもう、すっかり白んでいた。
そして、僕のもう一つの日常――桜舞高校での、文化祭準備と、先日のTCG大会の熱気がまだ少し残る喧騒が、本格的に始まろうとしていた。
◇◆◇
文化祭を数週間後に控え、桜舞高校はどこか浮ついた空気に包まれていた。
校内のあちこちで、クラスや部活の展示準備が進められている。
先日行われた学内『修羅』TCG団体戦の話題もまだ冷めやらず、僕たちの「PC部(仮)」――アオイ先輩はなぜか『パッチワークサークル』だと言い張ってるけど――が優勝したことは、ちょっとした番狂わせとして噂になっているらしい。
僕も、クラスの実行委員として駆り出され、PC関連のサポートを担当することになった。
まあ、こういう役回りは嫌いじゃない。
「うぅ……また固まっちゃいました……。このパソコン、もう古いからかなぁ……」
放課後の教室。
クラスの旧式PCの前で、後輩であり、今や同じPC部の仲間でもある(本人はパッチワークサークル部員だと思っているかもしれないが)桜井ミウが困り果てた顔で唸っていた。
小さな体をさらに小さくして、モニターを覗き込む姿は、相変わらず小動物のようだ。
「どれ、ちょっと見せて」
僕は彼女の隣にしゃがみこみ、キーボードを操作する。
ふむ、メモリ不足によるスワップ頻発か、あるいはバックグラウンドで不要なプロセスがリソースを食っているか……。
「いくつか常駐ソフトを停止させて、仮想メモリの設定を最適化すれば、もう少しマシになると思うけど……根本的に解決するなら、メモリ増設かSSD換装がおすすめかな」
僕がいくつかのコマンドを打ち込み、設定を変更していくと、それまでカクカクしていた画面表示が明らかにスムーズになった。
「わぁっ! すごいです! さっきまであんなに重かったのに、サクサク動くようになりました! さすがサトシ先輩! パソコンのこと、すごくお詳しいんですね! TCG大会の時も、先輩の指示、すごく的確でかっこよかったですし!」
ミウが目をキラキラさせながら、尊敬の眼差しを向けてくる。
……TCG大会のことまで褒められると、なんだか照れるな。
「すごい、すごいです! あっという間に直っちゃうなんて!」
パチパチと手を叩いて喜ぶミウ。
その無邪気な笑顔に、僕の心臓がまた少しドキリとする。
ウィーヴでの頼もしい巫女ハッカー《ミュー》の姿も、TCG大会で見せた健気なサポートぶりも、そして現実でのこのドジっ子だけど一生懸命な姿も、全部含めて彼女の魅力なんだろうな、と思う。
「あの、先輩……よかったら、これ……」
もじもじしながら、ミウが小さな、可愛らしいラッピングが施された包みを差し出してきた。
ふわりと甘い香りがする。
手作りクッキー……?
(うわっ、手作りクッキー!? しかもいい匂い……! ミウの手作りか……!)思わずゴクリと喉が鳴る。
「えっと……大会の時のお礼と、あと、いつもお世話になってるお礼、です! パソコンのこととか、色々助けていただいて……先輩がいなかったら、展示準備、全然進まなくて……!」
「いや、大会はチームみんなで頑張った結果だし、僕は別に、大したことは……」
「受け取ってください! ……それと、あの……」
ミウは頬をほんのり赤らめ、上目遣いで僕を見つめる。
な、なんだ……? この展開、ますます……。
(なんだこの上目遣い! 反則だろ!? 心臓が変な音を立ててる……!)
「こ、今度のお休みとか……もし、お時間があったら……その、新しいパソコン、一緒に選びに行ったり……しませんか……? その、お礼も兼ねて……!」
「えっ!?」
予想外の、しかしどこか既視感のある誘いに、僕は思わず固まる。
これって、やっぱり……デートのお誘いってやつだよな!?
(で、デート!? ミウと二人で!? マジかよ……!)頭の中で警報が鳴り響く。
周囲の男子生徒からの「おぉーっ!」「中島、ついに春か!?」というヒソヒソ声が聞こえてくる気がする。幻聴じゃない気がしてきた。
「あ、あの、もちろん! ご迷惑じゃなければ、なんですけど……!」
慌てて付け足すミウ。
その必死な様子が、また可愛いと思ってしまう自分に気づき、内心で狼狽える。
「……悪い、桜井さん。今度の休みはちょっと……色々と立て込んでて」
誘いは嬉しい。
正直、めちゃくちゃ嬉しい。
(行きたい! めちゃくちゃ行きたい! けど……!)ぐっと堪える。
でも、僕にはケルベロスから回収したデータの解析や、次の《シードカード》への準備がある。
それに……彼女をこれ以上、僕が関わっている危険な世界に引きずり込むわけにはいかない。
「そ、そうですよね! すみません、変なこと言って……! 忙しいのに、呼び止めちゃって……!」
シュン、と効果音がつきそうなほど、ミウは肩を落とす。
ああ、違うんだ。そういうわけじゃ……。
「……でも、パソコン選び、手伝えることがあったら、いつでも言ってくれ。詳しいスペックとか、おすすめのメーカーとか、そういう情報なら、すぐにでも。部活の時とかでもいいし」
「! はいっ! ありがとうございます、先輩!」
パァッと表情を明るくするミウ。
その変化の速さは、まさに小動物のようだ。
ふと、ミウが少し遠い目をして呟いた。
「なんだか、先輩がパソコンを直しているところを見てたら、昔のこと、少し思い出しちゃいました」
「昔のこと?」
「はい。小さい頃、父の研究室に遊びに行った時……壁一面に、このパソコンの基盤にあるみたいな、複雑な模様がびっしり描かれていたような気がして……。キラキラ光ってて、綺麗だったような……。あれ、なんだったのかなぁ……」
ミウはPCの内部を指さす。
基盤と同じ模様の壁……?
(ミューの家系……《シードカード》の守護者……。彼女の父親の研究室に、そんなものが? シードカードのデザインか、あるいはウィーヴの深層構造に関わる何かか……? だとしたら、彼女は僕が思っている以上に、この世界の核心に近い部分に関わっているのかもしれない。)
(彼女の父親も、俺の父と同じように、何かの研究を……? 直接聞いてみたい気もするが、今はまだ踏み込めないか……)
僕の知らないところで、運命の糸は確実に複雑に絡み合っている。
彼女の純粋さが眩しくて、同時に、とても危うく感じた。
僕がウィーヴでやっていることは、普通の高校生が足を踏み入れていい領域じゃない。
この屈託のない笑顔を、守りたい。
そのためにも、彼女を危険からは遠ざけないと……。
(……僕が、守らないとな……。ウィーヴでも、現実でも)
僕はポケット中で、そっと拳を握った。
◇◆◇
昼休み。
僕は購買で買った焼きそばパンを片手に、PC部の部室へと向かっていた。
週末のアキバでの出来事を思い出すと、まだ少し顔が熱くなる気がする。
アオイ先輩と二人きりで……しかも、あの腕組みハプニング……。
あれ以来、先輩のことを妙に意識してしまう自分がいる。
部室のドアを開けると、そこは相変わらずカオスな空間だった。
部屋の半分は大量の布や糸、ミシンといった手芸用品で埋め尽くされ、壁にはカラフルなデザイン画や型紙が貼られている。
そしてもう半分には、不釣り合いなほど高性能なワークステーションが鎮座している。
どう見てもPC部の備品じゃないものが半分を占めているが、アオイ先輩が部長なので、これがまかり通っているらしい。
まさに「パッチワーク」状態だ。
「おー、サトシ! ちょうどいいところに来たな! この前のアキバのパーツ、早速組み込んでみたんだぜ!」
部室の主、PC部部長の風間アオイ先輩が、ワークステーションの前に座り、楽しそうにキーボードを叩いていた。
相変わらず、一人称は「僕」だが、僕を見るなり、ほんの少しだけ照れたような、ぎこちない笑顔を向けた気がした。
「あ、はい。調子はどうですか?」
「おう! バッチリだ! ……それでさ、サトシ。ちょっと頼みたいことがあるんだけど……いいか?」
アオイ先輩は少し言い淀むように、僕に尋ねてきた。
いつもの強引さはどこへやら、少し遠慮がちな態度だ。
これもアキバデート(と呼んでいいのか?)の影響か?
「僕にできることなら」
「サンキュ! 実はさ、僕が個人的に作ってるVRゲームがあってな。そのテストプレイに付き合ってほしいんだ! この前サトシがくれたアドバイスも活かして、新しい機能を追加してみたんだけど、ちょっと動作が不安定でさ」
アオイ先輩は、最新型のヘッドセットと触覚フィードバック機能付きのグローブを僕に手渡す。
文化祭とは別に、個人的な趣味で開発を進めているらしい。
手芸もメカもゲームも好きとか、多才すぎるだろ、この先輩。
「いいですよ。僕も息抜きになりますし」
言われるがままに機材を装着し、アリスに頼んでセキュリティチェックを済ませてから(念のためだ)、VR空間へダイブする。
そこは、アオイ先輩の趣味全開といった感じの、巨大ロボットと魔法が共存するような、ごちゃ混ぜだけど妙にワクワクするファンタジー世界だった。
「へぇ、面白いじゃないですか、これ。グラフィックもモーションもかなり作り込まれてる。この前のバージョンより、エフェクトが派手になってますね」
「だろ!? この前のサトシとのアキバ散策で、いい刺激もらったからな! サトシ、結構やるじゃん! 操作も飲み込み早いな! TCG大会の時も思ったけど、あんた、こういうの得意だよな!」
僕は元々ゲームは得意な方だ。
特に、空間認識能力や反射神経が問われるアクションゲームは、ウィーヴでの経験も活かせる。
サクサクと敵を倒し、複雑なギミックを解除していく。
「うおっ、初見殺しのトラップをあっさり回避するとか、センスあるな! 僕でも最初は苦労したのに!」
隣で同じようにプレイしているアオイ先輩が、感心したように声を上げる。
「サトシとやると面白いな! なんか、息が合うっていうか! ウィーヴで一緒に戦ってる時みたいだ! まあ、この前のTCGの時もそうだったけどな! アキバで一緒にジャンク漁った時も思ったけど、やっぱ気が合うんだよな、僕たち!」
ウィーヴ……《テンペスト》としての先輩の姿が重なる。
確かに、この人と一緒にいると、ウィーヴでの共闘のように、あるいはTCGでの連携のように,そしてアキバでの買い物のように、不思議と気が楽になるというか,背中を預けられるような感覚がある。
しばらくゲームを楽しんだ後,僕たちはVR空間からログアウトした。
ヘッドセットを外すと,少し汗ばんでいた。
「いやー,助かったぜ,サトシ! おかげで致命的なバグも見つかったし,いいデバッグデータが取れた! サンキューな!」
満足そうに笑うアオイ先輩。
ふと,その表情が少しだけ翳り,部室の壁に貼られた「祝・優勝 PC部(パッチワークとも言う)」と書かれた手作りの垂れ幕に視線を向けた。
「僕にもさ……守りたい場所,みたいなものがあってさ。この部室とか,まあ,色々とな。そのためには,色々と頑張らないといけないんだ」
「守りたい場所……?」
「……まあ,なんだ。気にすんな! 個人的な話だ!」
アオイ先輩は誤魔化すようにニカッと笑って,僕の肩を軽く叩く。
TCG大会も,この部を守るためだったんだろうな,と改めて思う。
そして,彼女が守りたい「色々」の中には,一体何が含まれているんだろうか。
アキバでの楽しそうな姿を思い出して,少しだけ気になった。
部室を出て,廊下を歩く。
夕暮れのオレンジ色の光が,長い廊下に差し込んでいる。
「じゃ,僕こっちだから! またな,サトシ! 部活,サボんなよ! ……あ,あのさ,今度の週末とか,もし暇だったら……また,アキバ,とか……どう,かな……?」
別れ際,アオイ先輩が少し顔を赤らめ,もごもごと付け加えた。
腕組み事件の後だからか,その誘い方はどこかぎこちない。
アキバ……また二人で? 先輩の顔が赤い気がする。いや,俺の顔も熱い。でも……
「! はい! ぜひ!」
僕も,顔が熱くなるのを感じながら,即答していた。
「そ,そっか! じゃ,また連絡する!」
アオイ先輩は嬉しそうに,しかし照れくさそうに笑うと,今度こそ自分の教室の方へと走り去っていった。
その背中が,なんだかとても輝いて見えた。
◇◆◇
放課後。
文化祭実行委員のPCサポート担当として,クラス展示用の機材設定を行っていると,生徒会役員の一人が僕を呼びに来た。
「中島君,生徒会長がお呼びです」
……またか。
正直,あの完璧超人は苦手なのだが,呼び出しとあらば行かないわけにはいかない。
生徒会室のドアをノックすると,中から「どうぞ」という澄んだ声が聞こえた。
「し,失礼します。二年の,中島です」
「あら,中島くん。急に呼び出してしまって,ごめんなさいね」
生徒会長席に座る橘レイカ先輩は,完璧な微笑みを浮かべて僕を迎えた。
長い黒髪,切れ長の瞳。
今日も非の打ち所がない。
「文化祭の件で,少しあなたに相談したいことがあるの」
「僕に……ですか?」
「ええ。特に,学内ネットワークのセキュリティに関して。当日は外部からのアクセスも増えるでしょうし,不測の事態にも備えておきたい。あなたの専門的な見地から,何かアドバイスをいただけないかしら。先日のTCG大会での見事な指揮ぶりも拝見しましたし,あなたなら信頼できると思って」
レイカ先輩は,タブレットに表示された学内ネットワーク構成図を僕に見せる。
……TCG大会のことまでチェック済みか。
さすがは生徒会長。
「……そうですね。このファイアウォールの設定ですが,もう少しフィルタリングルールを厳格化できます。それと,不正侵入検知システムのログ監視体制も,リアルタイムでのアラート通知を追加した方が……」
僕は専門知識を活かし,いくつかの具体的な改善点を指摘する。
ハッキングやセキュリティに関しては,僕の方が一枚上手のはずだ。
「……なるほど。実に的確な指摘ね。素晴らしいわ。ありがとう,参考にさせていただきます」
レイカ先輩は,一瞬だけ驚いたような表情を見せたが,すぐにいつものクールなポーカーフェイスに戻る。
だが,その瞳の奥に,僕の能力を試すような,そして値踏みするような鋭い光が宿っているのを感じた。
「あなたなら……あるいは,と思ったけれど,期待以上だったようね。やはり,あなたのような人材は貴重だわ。TCG大会での優勝も,その能力の一端を示しているのでしょう」
「いえ,そんな……会長こそ,このレベルの資料を把握されているなんて,すごいです」
「ところで,中島君」
ふいに,レイカ先輩の声のトーンが,僅かに低くなった。
真剣な響きを帯びている。
「例の……アラハバキの干渉は,ウィーヴだけに留まらないかもしれないわ。いえ,留まらないと考えるべきね」
「え……?」
僕は息を呑む。
まるで,僕がアラハバキのことを知っている前提での話し方。
「この学園のネットワークにも,最近,不審なアクセスログや原因不明のシステム異常が観測されているの。まだ断片的な情報でしかないけれど……無視はできないレベルよ。あなたも,気をつけて」
それは,単なる警告というよりも,同じ敵を追う者としての,一種の協力要請のようにも聞こえた。
この人は,一体どこまで知っているんだ……?
《レイヴン》として掴んだ情報なのか?
「橘会長は,何か具体的な情報を掴んでるんですか?」
「……さあ,どうかしら。ただ……私たちは,見えない脅威に対して,常に備えておく必要があるということよ」
レイカ先輩は,それ以上は語らず,意味深な笑みを浮かべるだけ。
彼女の真意は,まだ読めない。
ただ,僕に対して,単なる後輩や実行委員としてではない,何か特別な――警戒と,そして少しの期待が入り混じったような複雑な感情を抱いているのは,間違いなさそうだった。
◇◆◇
生徒会室を出て,重い足取りで廊下を歩く。
レイカ先輩の話が頭から離れない。
アラハバキの干渉が,この学園にも……?
考え事をしながら,妹のユキがいるはずの一年生の教室へ向かう。
ユキもクラスの文化祭準備を手伝っているはずだ。
教室を覗くと,ユキは友人たちと一緒に,壁に飾り付けをしているところだった。
楽しそうな表情を見せている。
最近,少し顔色が良くなった気がする。
アリスが検知していた干渉波も,ここ数日は落ち着いていたはずだ。
「お兄ちゃん!」
僕に気づいて,ユキが笑顔で手を振る。
その笑顔に,少しだけホッとする。
「無理するなよ,ユキ。ちゃんと休んでるか?」
「大丈夫だよ! それより,こっち手伝って! このリボン,上手く結べなくて」
ユキに言われるがまま,飾り付けを手伝う。
他愛のない話をしながら,一緒に作業をする。
兄妹でこうして何かをするのは,久しぶりかもしれない。
その時だった。
「……っ! あ……」
突然,ユキが顔をしかめ,ふらりとよろめいた。
手に持っていたリボンが床に落ちる。
彼女は苦しそうに頭を押さえ,壁に手をついた。
「ユキ!? どうしたんだ! 大丈夫か!?」
駆け寄ると,ユキの顔は真っ青になっていた。
額には冷や汗が浮かび,呼吸が荒く,浅くなっている。
「頭が……ガンガンする……なに……か……変な……音……が……」
その言葉は,途切れ途切れだった。
『マスター! 緊急警報! ユキさんのバイタルサインに急激な異常変動! 例の干渉波です! 強度がこれまでにないレベルまで急上昇しています! 危険です!』
プライベート通信で,アリスの緊迫した警告音が脳内に鳴り響く。
なんだって!?
今までで一番強い干渉波だと!?
「ユキ! しっかりしろ! ユキ!」
僕はユキの体を支える。
彼女の体は小刻みに震え,焦点が合っていないような虚ろな目をしている。
「くそっ……! アラハバキめ……! ケルベロスを退けたと思ったら,今度はユキに直接手を出すつもりか……! ふざけるな……!」
腹の底から,焼け付くような激しい怒りが込み上げてくる。
妹だけは……ユキだけは,絶対に傷つけさせない……!
どんな手を使っても!
『発信源の特定,最終段階です! しかし,この干渉レベルは危険すぎます! このままではユキさんの意識が持たない可能性が……!』
アリスの悲鳴に近い声。
「ユキ……! 僕の声が聞こえるか!?」
僕の声に反応するように,ユキが薄っすらと目を開ける。
その瞳には,強い苦痛と,そして深い恐怖の色が浮かんでいた。
「お……にい……ちゃ……」
弱々しく僕を呼んだ,その言葉を最後に,ユキの体から力が抜け,僕の腕の中にぐったりと倒れ込んだ。
意識を失ってしまったのだ。
◇◆◇
ユキを保健室のベッドに寝かせ,僕は固く拳を握りしめていた。
保健の先生には「貧血かもしれない」と説明したが,本当の原因は分かっている。
幸い,意識を失ったのは一時的なものだったようで,今は苦しげながらも,か細い寝息を立てている。
だが,油断はできない。
いつまた,あの悪夢のような干渉波が襲ってくるか分からないのだ。
「アリス,状況は?」
『干渉波は一時的に収束しましたが,完全に消滅したわけではありません。依然として,ユキさんの深層意識に微弱ながら持続的なシグナルが観測されます。……そして,マスター。先ほどの強力な干渉波の発生とほぼ同時に,学内ネットワークにおいて,複数のサーバーで原因不明のシステムダウン,及び一部の監視カメラ映像に深刻なノイズと異常な動作が記録されました。関連性はほぼ確定と見てよいでしょう』
「……やっぱり,偶然じゃない。アラハバキは,本格的にこの学園にも手を伸ばしてきてる……! ユキを狙って……!」
文化祭の準備で浮かれる学園の,その裏側で,見えない脅威が確実に動き出している。
ユキを蝕む黒い影。
そして,レイカ会長も何かを掴んでいるはずだ。
(ユキは……僕が絶対に守る……!)
静かに眠る妹の顔を見つめながら,僕は改めて心の底から強く誓った。
そのためなら,どんな危険な橋だって渡ってやる。
アラハバキだろうと,L1NNK社だろうと,なんだろうと関係ない。
僕の大切な日常を,そしてかけがえのない仲間たち――アリス,ミウ,アオイ先輩,そしてユキ――を脅かす奴らは――
この《SAT0$H1》が,絶対に許さない。
ウィーヴでの『俺』の力で,現実の脅威も,必ず打ち砕いてみせる!
(第九話 了)
【次話予告】
妹・ユキを襲ったアラハバキの凶悪な干渉波!
原因を突き止めるため、俺は学園ネットワークの闇へとダイブする!
不審なログ、謎のシステム異常…そこに潜むのはアラハバキの手がかりか、それとも新たな罠か!?
一方、現実では文化祭準備が本格化!
ミウとはパソコン選びの約束?
アオイ先輩とは週末アキバデート!?
レイカ会長も何かを探ってるみたいだし…
ヤバい! ウィーヴも現実も目が離せない!
このままじゃ俺の日常とハーレム(?)が崩壊しちまう!
次回、『俺ハカ』第十話「学園クライシス! アラハバキの影を追え」
妹も学園もハーレムも、俺が全部守ってみせる!
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