第八話 深層の門番、ケルベロス
L3《深層保安領域》にある旧世代データ保管庫の深部。
俺たちは、ケルベロスの禍々しい活動痕跡を発見した場所から、さらに奥へと足を踏み入れていた。
通路の雰囲気は、先ほどよりもさらに重苦しく、濃密なデータ圧がアバターを軋ませるようだ。
意識の端で、ノイズ混じりの不気味な囁き声のようなものが聞こえる気がする。
「ケルベロス……本当にいるなんて……」
《ミュー》が不安げに杖を握りしめる。
「へっ、上等じゃねえか! 地獄の番犬だろうがなんだろうが、僕っちの敵じゃねえ!」
《テンペスト》は強がってはいるものの、その声には隠しきれない緊張が滲んでいた。
『サトシ、気をつけて。ケルベロスは単純な戦闘能力だけでなく、高度なハッキング能力や精神汚染攻撃も仕掛けてくるという報告があるわ。データの淀みに潜む悪意そのものみたいな存在よ』
アリスが冷静に警告を発する。
ウィーヴでの彼女は頼れるパートナーだが、その分析を聞いていると、改めてとんでもない領域に足を踏み入れてしまったことを実感する。
しばらく進むと、やがて巨大な円形の空間に出た。
中央には、古びたメインフレームらしき巨大な構造物が鎮座している。
おそらく、この保管庫のコアだろう。
その時。
空間全体が震えるような、重低音の咆哮が響き渡った!
『来るわ!』
アリスの叫びと同時。
メインフレームの影から、漆黒の巨体がぬるりと姿を現した。
三つの頭部を持つ、巨大な獣。
それぞれの頭部には、赤黒い単眼が不気味に輝いている。
全身は機械的な装甲と、生体組織のようなものが歪に融合した異様な姿。
その巨躯から放たれるプレッシャーは、これまでのどんな敵とも比較にならない。
あれが……L3の番人、【ケルベロス】!
「グォォオオオオオオオオッ!!!」
三つの頭部が同時に咆哮し、凄まじいデータノイズの衝撃波が俺たちを襲う!
「くっ……! 《ミュー》、防御支援! 《テンペスト》、前衛維持!」
俺は咄嗟に指示を飛ばす。
「はいっ! 【《守護の祈り》】!」
《ミュー》が即座に防御壁を展開。衝撃波をなんとか受け止めるが、壁にヒビが入る!
「うおおおおおっ! こなくそぉ!」
《テンペスト》が巨大な盾を構え、ケルベロスの突進に備える。
だが、ケルベロスの攻撃はそれだけではなかった。
中央の頭部が口を開き、回避困難な速度で高密度のデータ圧縮弾を連射!
右の頭部は鋭利な爪を振り下ろし、床のデータ構造ごと抉り取る!
左の頭部からは、頭痛と吐き気を催させるような不快なノイズ波が放たれる!
物理攻撃、ハッキングによるシステム干渉、そして精神汚染。
三位一体の苛烈な攻撃に、俺たちは為す術もなく翻弄される。防御と回避だけで手一杯だ!
『サトシ、右頭部の演算コアに脆弱性を発見! でも、防御フィールドが厚すぎる! 通常攻撃じゃまず貫通できないわ!』
アリスが解析結果を叫ぶが、突破口が見えない。
「くそっ、硬すぎる……!」
俺は《月影》で斬りかかるが、ケルベロスの装甲に弾かれるばかりだ。
第七話でプロトタイプを作った《月影・穿》も、あの防御力の前では威力が足りないかもしれない。
「きゃあっ!」
《ミュー》が精神攻撃の余波を受け、苦悶の声を上げる。アバターが明滅しかけている!
「ミュー! 大丈夫か!?」
《テンペスト》が盾で庇うが、その隙を突かれ、データ圧縮弾の直撃を肩に受けてしまう。
「ぐっ……! まだだ……!」
《テンペスト》のアバターが激しく損傷し、火花を散らしながら膝をつく。盾にも大きな亀裂が!
まずい……! このままじゃ全滅だ!
俺の脳裏に最悪のシナリオがよぎった、その瞬間――。
ヒュンッ!
一陣の黒い風が、俺たちの横を駆け抜けた。
「――邪魔よ」
凛とした声と共に、黒鴉の如きアバターがケルベロスの側面に回り込む。
《レイヴン》だ!
その手には、漆黒のダガー。
目にも留まらぬ速さで振るわれた連続攻撃が、ケルベロスの右頭部を覆う防御フィールドに僅かな亀裂を生じさせた!
「《レイヴン》……!」
まさか、こんなところで遭遇するとは。
いや、彼女もケルベロスを追っていたのか?
「ググッ!?」
ケルベロスが、予期せぬ邪魔者の登場に一瞬、動きを止める。
好機!
俺は《レイヴン》と一瞬だけ視線を交わす。
言葉はいらない。やるべきことは分かっているはずだ。
「アリス、右頭部のコア座標、ピンポイントで! 《テンペスト》、もう一踏ん張り頼む! 《ミュー》、俺に全支援を!」
俺は叫びながら、カスタムNEO-L1NNKの処理能力を限界まで引き上げる。
『座標送信! コンマ5秒だけ、フィールドの亀裂が最大になる!』
アリスからの座標データとタイミング情報が脳内に流れ込む。
「……おうよっ! 最後の一撃、叩き込みやがれ!」
《テンペスト》が満身創痍ながらも立ち上がり、砕け散る寸前の盾を構え、ケルベロスの注意を引きつける。
「はいっ! サトシ先輩に、私の力の全てを!」
《ミュー》の杖から放たれた眩い支援の光が、俺のアバターを包み込む。力が漲ってくる!
「《レイヴン》、合わせろ!」
俺は《レイヴン》がこじ開けた防御フィールドの亀裂――その一点に狙いを定める。
《レイヴン》は無言で頷き、ケルベロスの死角に回り込み、再び高速の斬撃を繰り出す!
今だ!
俺は懐から一枚のカードを取り出す。
プロトタイプだが、今の俺たちに残された唯一の希望!
「一点突破! 【デプロイ!】 【《月影・穿》プロト!】」
《ミュー》の支援を受け、さらに増幅されたエネルギーが《月影》の刀身に集中する。
白熱化した光の槍が、アリスの示した座標目掛けて放たれた!
ケルベロスの右頭部、演算コアへ――!
ズガァァァンッ!!!
防御フィールドの僅かな隙間を正確に貫き、《月影・穿》がコアを直撃!
凄まじい爆発と共に、ケルベロスの右頭部が吹き飛んだ!
「グギャアアアアアアアッ!!!」
致命傷を受けたケルベロスが断末魔の叫びを上げる。
巨体が激しく痙攣し、三つの頭部がそれぞれ別の方向を向き、やがてその場に崩れ落ち……データの残骸となって霧散していく。
「……やった、のか……?」
俺は荒い息をつきながら、その光景を見つめる。
消耗が激しい。アバターもかなりダメージを受けている。
『サトシ、よくやったわ! さすが私のパートナーね!』
アリスのアバターが素早く俺のそばに駆け寄り、その声には隠しきれない安堵と、少しばかりの賞賛が混じっていた。
「先輩……! さすがです!」
《ミュー》も安堵の表情でこちらを見ている。杖を握る手がまだ少し震えている。
「へっ……やるじゃねえか、サトシ……。マジで肝が冷えたぜ」
《テンペスト》も、ダメージは大きいが満足げに笑っていた。
「いや……みんなのおかげだ。それに……」
俺は黒いアバターへと視線を向ける。
《レイヴン》は、無言でこちらに背を向けていた。
「……助かった」
俺が素直に礼を言うと、彼女は僅かに肩を揺らしたように見えた。
「……フン。勘違いしないで。利害が一致しただけよ。それに、まだ借りがある」
相変わらずのツンとした態度だが、その声にはいつもの冷徹さだけではない、何か別の響きが感じられた気がした。……借り? ああ、あの時のチップのことか?
彼女はそれだけ言うと、再び黒い風のようにその場から飛び去り、闇に消えていった。
一体、彼女の目的は何なんだ……? そして、彼女の言う「借り」とは……?
『サトシ、ケルベロスの残骸からデータを回収できたわ!』
アリスが報告する。
思考を現実に戻し、表示された情報ウィンドウに目を向ける。いくつかのファイル名がリストアップされていた。
『これは……! 父さんの研究記録の一部だ!』
ファイルの一つを開くと、そこには見慣れた父さんの筆跡(デジタルデータ化されたもの)があった。
内容は断片的だが、《シード計画》や【アーク・システム】に関する記述が見える。アーク・システム……聞いたことがない言葉だったが、父さんが何か重要なものとして研究していたのは間違いない。
『それに、次のシードカードが存在する可能性のある座標データと……この名前は……【アマテラス】?』
アリスが訝しげに呟く。
俺もその名前に引っかかりを覚えた。
「アマテラス……? まさか、あの【アマテラス重工】と同じ名前……。偶然か? それとも……」
アリスも俺の言葉に頷く。
『……現時点では判断できません。ですが、無視できない符号です。父上の記録にある【アーク・システム】とも関連があるのかもしれません。継続して情報を収集しましょう』
新たなキーワード、【アマテラス】と【アーク・システム】。これが今回のデータで最も重要な情報かもしれない。
「すごい……! これだけの情報が手に入るなんて!」
《ミュー》が目を輝かせる。
「ふぅ……まあ、骨は折れたが、でけぇ収穫だな! さて、帰って回復するか!」
《テンペスト》も満足そうだ。
今回の戦いは熾烈だった。
一人では絶対に勝てなかっただろう。
仲間の存在、そして予期せぬ《レイヴン》との共闘。
連携することの重要性を、改めて痛感した。
そして、俺自身の力――特に切り札となるカードの威力が、仲間を守るための鍵になることも。
(もっと強くならなきゃな……カードも、俺自身も)
俺は回収したデータを見つめながら、決意を新たにした。
父さんの研究記録、シード座標、そして謎の【アマテラス】と【アーク・システム】。
これらの情報が、俺たちを次なるステージへと導いてくれるはずだ。
俺は仲間たちに視線を向ける。
《ミュー》、《テンペスト》、そしてアリス。
彼女たちとの絆も、この戦いを通してまた少し深まった気がする。
もちろん、謎多き《レイヴン》のことも気にかかるが……今は目の前の道を信じて進むしかない。
L3の脅威は去ったわけじゃない。
むしろ、ケルベロスを倒したことで、アラハバキの監視はさらに厳しくなるだろう。
だが、俺たちはもう止まらない。
世界の真実を掴むために。
そして、大切な仲間たちを守り抜くために。
新たな謎と脅威を前に、俺たちの戦いはさらに加速していく――。
(第八話 了)
【次話予告】
地獄の番犬を激闘の末に撃破!
父の研究データから現れた新たな謎、【アマテラス】と【アーク・システム】とは!?
次なる戦いへの決意を固めるサトシだけど、現実では文化祭準備で大忙し!
ミウちゃんの手作り弁当効果で急接近!?
アオイ先輩とは二人きりでVRゲーム!?
レイカ会長からは意味深な相談!?
――って、これ完全にハーレムじゃないか!
でも、そんな日常の裏ではユキに再び魔の手が…!
次回、第九話「揺れる日常と文化祭の影」
甘いだけじゃない、波乱の学園生活が始まる!?
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