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冒険者の万華鏡  作者: 佐々木尽左
第3章 夜明けの森
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体は生き返り、そして財布は空になる

 安酒場『泥酔亭』のカウンターに座ったユウは手にした木製のジョッキを一気に傾けた。喉を鳴らして中身を胃に収める。


「っはぁ~!」


 口から木製のジョッキを離したユウは肺の中の空気を一気に吐き出した。五臓六腑に染み渡るとは正にこのことで、薄いエールを受け入れた体に潤いが戻るのを実感する。


 力の限り息を吐いたユウは再び木製のジョッキを口にした。1度目ほどではないにせよ旨い。飲みきると通りかかった給仕に声をかける。一般的に女性は頭巾を被って頭を隠すものだがその給仕は何も被っていない。


「エラ、もう1杯薄いエールを!」


「いい飲みっぷりなんだけどせこいわね。そこはエールじゃない?」


「冒険者として買わなくちゃいけないものが山のようにあるんだ、ふふふ」


「あーもーそんな顔して笑わないの。待ってて」


 肩で髪を切りそろえたエラが大きな薄い青色の目に同情を浮かべながらユウを見た。生き返ることを喜びつつも、これから先に待っていることのせいで喜びきれない顔である。


 去って行くエラから目を離したユウは空になった木製のジョッキを見つめた。小さなため息がこぼれる。


 2日間に及ぶ夜明けの森での活動は先程終わった。成果は、小鬼(ゴブリン)25匹、犬鬼(コボルト)6匹、巨大蜘蛛ジャイアントスパイダー1匹、巨大芋虫ジャイアントキャタピラー2匹、黒妖犬(ブラックドッグ)3頭、岩熊(ロックベア)1頭、巨大蛭(ジャイアントリーチ)7匹、巨大蛇(ジャイアントスネーク)1匹だ。


 これだけ殺して報酬は銅貨22枚と鉄貨10枚、1人頭で銅貨4枚と鉄貨42枚である。獣の森で薬草採取をしていた頃とは収入額が雲泥の差だ。この調子で稼げるのなら町の中の商店で働いていたときよりも儲かる。


「けど全然足りない」


 必要な物を指折り数えるユウはがっくりとうなだれた。


 防寒のために必須である外套や毛布は銅貨4枚もする。これだけで今回の稼ぎがほぼ消えるが、水袋だって1日分のものだと1袋銅貨1枚になった。当然、消耗品である干し肉や薄いエールを買うのにも金銭は必要であり、寝泊まりするのも無料ではない。


「毎日食べるのだってお金がいるんだよね。みんなどうやってやり繰りしているんだろう?」


 木製のジョッキから目を離したユウは酒場内を眺めた。大半は貧民の労働者だが、中には冒険者らしき者たちも丸テーブルを囲んでいる。とても楽しそうに飲み食いしていた。時刻は六の刻を少し過ぎた頃である。店に入る直前に鐘が鳴っていた。


 ぼんやりユウが店内を見ていると、突然木製のジョッキが差し出される。


「なんか生きてるのか死んでるのかわかんない顔してるわね。大丈夫なの?」


「財布の中身以外は大丈夫だよ。ありがとう」


「で、なんか食べるの?」


「パンとスープをちょうだい。ちょっと脂っこいのは今駄目なんだ」


「おじいちゃんみたいなこと言うわね。まぁいいわ、すぐに持ってきてあげる」


 半分は本当の理由であり半分は嘘の言い訳だった。疲れていて体が弱っているのは確かだが、肉が食べられないほどではない。これからの買い物を考えて節約したかったのだ。


 気前の良い冒険者像を早々にかなぐり捨てたユウは注文の品を待つ。そこへエラがパンとスープを運んできた。パンは黒っぽく、スープは半ば粥のようである。


「はいどうぞ。ところで、お仲間はどうしたのよ? 冒険者パーティに入ったんでしょ?」


「自分たちの行きつけの店で飲み食いしているよ」


「なんであんたは一緒に行かなかったの?」


「その店は僕にとってはちょっと高いんだ。冒険者で稼げてる人にちょうどいいくらいのところでね」


「だからうちみたいな安酒場に来たったわけね」


「別にここが悪いって言っているわけじゃないよ。僕の行きつけの店(ホームグラウンド)はここなんだし」


「サリーが聞いたら喜ぶわね。あっと呼ばれてるわ」


 別の丸テーブルから呼びつけられたエラがユウから離れた。


 1人になったところでユウはカウンターに置かれたパンとスープと向き合う。とりあえず食べながら考えることにした。パンをちぎってスープにひたす。


「最初に生活費を考えないといけないよね。まずはここからか。次に森の中に入るのは2日後だから、それまでの費用はいくらになるんだろう?」


 柔らかくなったパンを口に入れたユウが首をひねった。


 最初に思い付いたのは宿泊費だ。古鉄槌(オールドハンマー)が寝泊まりしているのは安宿屋『ノームの居眠り亭』である。ここの1泊は素泊まりで鉄貨20枚だ。なので2日で鉄貨40枚になる。


 次いで食費だ。朝食と昼食は干し肉と水袋の薄いエール、夕食は泥酔亭でパンとスープとしよう。すべてを泥酔亭で賄うとすると、1日当たり干し肉2食分で鉄貨40枚、水袋1日分で鉄貨10枚、パンとスープで鉄貨25枚だ。2日分で鉄貨150枚になる。


「鉄貨150枚、稼ぎの3分の1が生活費だけで消えるんだ。きついな」


 計算したユウは顔をしかめた。それでも銅貨2枚半は手元に残るので薬草採取のときよりもはるかに良い稼ぎだが、必要な物が多すぎて金銭が足りない。何度も言うが全然足りないのである。


 直近ですぐにもほしいのは外套と水袋だが、外套はそもそも買えない。水袋は1袋がやっとだ。


「今回の稼ぎから生活費を差し引いて元の所持品と合わせたら鉄貨換算で残り305枚、水袋を買うと残り205枚か。これで森で使う干し肉と薄いエールと虫除けの水薬を買うのか。水薬は中瓶だから4回分が限度だし、薄いエールも水袋2袋分しか買えない。となると、干し肉8食分買って終わりか」


 暗算で次に森に入るときの残金が鉄貨5枚になった。このパーティに入ったときの所持金が鉄貨10枚だったので更に下回ることになる。


 冒険者の稼ぎが良いのは間違いない。しかし、同じくらい出費があるとなると、とても良い生活ができそうになかった。


 木の匙でスープをかき混ぜながらユウはため息をつく。


「本当にみんなどうやって生活しているんだろう。少なくとも森から帰ってくる度に酒場でごちそうを食べるなんて夢のまた夢なのに」


 人気のある仕事に就いてみると途端にその苦労が押し寄せてきてうなだれるユウであった。楽な仕事などないとはよく言われるが、正にその通りだと実感する。


「でも、たぶんここまで苦しむのは最初だけなんだろうな。必要な物さえ買ってしまえば余裕が出てくるはず」


 必要な物が全然ないからこそ、それを揃えるためにユウは今苦労しているのだ。ならばこの初期投資の期間が終わるまで我慢すれば一息つけると希望を抱く。問題があるとすれば、その必要な物がいくらでもあるということくらいだ。割と致命的な問題である。


「まずは外套と水袋を買いそろえるまでが問題かな。あと何度か森に入るときは寒さと渇きに苦しめられるのか。嫌だなぁ。でも、水筒はあと2袋は欲しいし。今月は魔物との戦いよりもきつそう」


 まさか手元不如意でここまで苦しむとはユウも予想外だった。てっきり魔物との死闘で苦労するとばかり思っていたので足下を崩された気分である。


 肩を落としたユウが考え込んでいるとエラが近づいて来た。ユウが振り向く。


「しけた顔してるわね。酒場にいるときくらいもっと明るい顔をしなさいよ」


「僕もそうしたいんだけど、なかなかうまくいかないんだ」


「どうせ難しいことでも考えてたんでしょ。こういうところは頭を空っぽにするところでもあるんだから、もっと楽しいことを考えたらいいのに」


「大金持ちになったらとか?」


「そーよ。ユウなら冒険で一発当てたとかね。財宝を手に入れるなんて夢があっていいわよねぇ」


「いいなぁそれ。僕も欲しいや」


「そーそー、そんな顔をしてればいいの」


 ようやく顔の険が取れたユウを見たエラが笑った。


 その笑顔に釣られたユウが体の力を抜いたとき、何かを思い出したかのような表情を浮かべる。


「そういえば、最近ここにテリーって来てるのかな?」


「テリー? あんまり見ないわ。最後に見た記憶だと、あんたと一緒に食べてたところかしら」


「そっか、たまに来ていると思ったんだけどな」


「来てくれたら嬉しいけど、あんまり縁がなかったのかもしれないわね」


「だったらダニーは? 確か冒険者になったらここに来るって言ってたはずだけど」


「あー思い出した。そういえば1度も来てないわね、あいつ。冒険者になってるのよね?」


「去年だったかな、見かけたことはあるよ」


「だったら忘れてるんじゃない? ま、そいうこともあるわよ。でも、ユウにとってこのお店は行きつけの店(ホームグラウンド)なのよね?」


「うん、まぁ、さっきそう言ったね」


「ふふん、だったらもっとくつろぎなさいよ」


「わかったよ、我が家だと思う」


「そーそー、それでいいのよ! じゃぁね!」


 すっかり落ち着いたユウを見たエラは笑顔で離れて行った。


 知り合いの後ろ姿を眺めながらユウはぼんやりと笑う。確かにここが我が家みたいな場所になりそうだと思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] パーティーメンバーに薬を売るとか、水袋を自作するとかできそう 皮を鞣すのはおそらく貧民だろうからツテで鞣した皮を手に入れられないかな
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