本店への帰還
境界の川沿いにいくつかある町のひとつにトレジャーという名の町がある。トレジャー辺境伯領と同じ名前なわけだが、ここが辺境伯領にとっての領都だ。西方辺境の中では大都市の部類に入る。しかし、ここ数年はその勢いに陰りが見えていた。
というのも、6年前に始まったチャレン王国内戦の戦場になったからだ。主戦場はファーウェストの町だったものの、一時は近郊まで攻め入られたので無傷ではなかったのである。
それでも領内で最も大きな町であることには変わりなく、相変わらず領内の中心として、更には辺境伯全体としては南北を繋ぐ重要な拠点として栄えていた。
11日間の旅を終えて、オスニエルの隊商はそんなトレジャーの町に到着する。北上して南門まで続いているのでそのまま進んだ。街道の両側は城壁まで原っぱのままなので見晴らしが良い。
検問所で隊商の先頭の荷馬車が停まった。町の中に入るための手続きを行う。どちらも手慣れているのですぐに終わり、停車していた荷馬車の一団は再び動く。
町の中はレラの町やウェスポーの町よりも大きかった。しかし、数万人規模の都市を見たことのあるユウや中に住んでいたことのあるトリスタンからすると驚きはない。
落ち着いた様子で荷台の後方から大通り近辺を見ていた2人は、やがて門を潜ったことに気付いた。
思わずユウが声を上げる。
「もしかして、着いた?」
「本店か。さすがに支店よりも大きいな」
思っていた通りの規模にトリスタンもわずかに感心した。周囲には使用人や人足などが動き回っている。それを見ながら荷台から降りた。
続いてユウも降り、御者台へと回る。すると、使用人と話をしていたアイザックが御者台から降りて2人へと近づいた。そうして荷馬車を指差す。
「2人とも、私が呼ぶまで荷馬車の中で待っていてください」
「え、荷馬車の中でですか?」
「そうです。今の2人は私の旅の同行者であって警護担当ではないですからね。このままじゃ本店の中に入れられないんですよ」
「ああそういえばそうでしたね」
「ユウの報酬はこれから用意するのでもう少し待ってください。もしかすると遅くなるかもしれないですが」
「わかりました。夕食はどうしましょう?」
「そうですね。荷馬車の中の残りを食べておいてください。もし六の刻の鐘が鳴っても私が来なかったら」
少々困った顔をしたアイザックがユウとトリスタンに指示を出した。この後は報酬をもらって本当の意味で契約が完了するわけだが、あとわずかだけ待つ必要があるというわけである。ただ、待つだけなので2人はすぐに承知した。
話が終わると2人は荷馬車の後ろに回って荷台に乗り込んだ。そうして外の風景を眺める。
「やっと終わったね。長かったなぁ」
「レラの町に長くいすぎたんだよ。不正の摘発なんて本当にすると思わなかったしな」
「支店長が首謀者だったからね。その後の後始末で時間がかったのが」
「こうしてみると、この依頼ってなんで報酬が固定なのかわかった気がするぞ」
「何か問題が発生したときはいくらでも時間がかかるからなんだろうね。今回は概算でそれでも充分あるけれど」
「ということは、今後はこの依頼を基準にして考えればいいわけだな」
「ああそうか、だからレセップさんはこの依頼を僕たちに回したんだ」
「あの人、やる気のない態度の割にちゃんと考えているんだ」
今回の仕事に関して落ち着いて考えてみたユウとトリスタンはレセップを見直した。あれで精力的に活動すればもっと出世できるはずなのだが、本人にその気はまったくなさそうだ。
気の抜けた様子でその後もとりとめのない話を続けていた2人だったが、あるときふと荷馬車の外に人の気配を感じた。そろそろ話すこともなくなってきたこともあって、どちらも聞くとはなしに聞いてみる。
「馬は厩舎に入れたな。それじゃ、荷物の運び出しを手伝ってくれ」
「どの荷馬車のやつだ?」
「あれだ、今スペンサーが木箱を受け取った荷馬車だ」
「うわ、重そうだな。もっと軽いところにしてくれよ」
「聞いたか? アイザック様が帰って来たんだってよ」
「知ってる。この隊商と一緒に帰って来たところを見てたからな。今は中にいるらしいぞ」
「今回の査察でレラ支店の不正を暴いたっていう話じゃないか。しかもその後しっかり支店を建て直したらしい」
「すごいよなぁ。ああいう人がここを引っぱってくれたら安心なんだけど」
「まぁでも、正妻のお子さんじゃないもんな」
「惜しいよなぁ。そういえば、ハミルトン様って任されてた交渉を失敗したらしいぞ」
「どの交渉のことだ?」
「鋼材の件だよ」
「あれかぁ。難しいらしいな、中央との交渉は」
「それでもこれで何回目だよ、失敗するのは。会長の病状は良くならないっていうし、この商会、大丈夫かな」
「お前ら怠けてんじゃないぞ! さっさとこっちに来い!」
怒鳴り声を最後に荷馬車の近くから話し声は聞こえなくなった。しかし、その後もしばらくユウとトリスタンは黙っている。
聞いた話の内容は大半がどうでも良いことか知っていることだった。ところが、その中の一部に部外者が聞いてはまずそうなことがあったので2人とも困惑する。
何とも困った表情を浮かべる2人だったが、自分たちの乗る荷馬車に近づく足音に気付いた。そのままじっとしていると、その人物が荷台へと顔を覗かせてくる。
「ユウ、トリスタン、待たせました。一緒に応接室まで来てください」
「アイザックさん。やっとなんですね」
安心した様子のユウが勢い良く起き上がって荷台から降りた。トリスタンも同様に地面に立ってアイザックについて行く。
案内された応接室はユウが想像していたよりも小さかった。後で聞いた話によると、少人数用の打合せ室だという。
椅子を勧められた2人は座り、対面のアイザックと向かい合った。そうしてすぐに話しかけられる。
「まずは今まで護衛をありがとう。2人のおかげで無事本店まで帰って来ることができましたよ。これは約束の報酬です。ユウは砂金、トリスタンは金貨ですね」
テーブルの上に置いてある天秤の片方、重りが置いてある方へとユウは目を向けた。重さを確認してきちんと要求通りであることを確認する。それを革袋に入れて懐にしまった。
その様子を見ながらアイザックがしゃべる。
「それにしても、レラの町で砂金が足りないことに気付いたときは驚きましたよ。思いの外ウェスポーの町で取り引きに熱中していたみたいです」
「支店で借りたら良いとあのときは思いましたけれど、これを僕たちが本店まで同行する理由にするっていうのはさすがでしたね」
「さっき報告の場で使わせてもらいましたよ。それでも胡散臭そうには見られましたが」
「では、これで契約は本当に完了しましたね。なかなか大変でしたけれど、面白い経験ができました」
これでやり残したことはもうない。最後の挨拶をしてユウは立ち上がろうとした。
ところが、アイザックから待ったがかかる。
「ちょっと待ってください。話はまだ終わっていないんです」
「何かまだやり残したことってありましたっけ?」
「いえ、そうではなく、新しい依頼を2人にしたいんです」
中腰のまま固まったユウはトリスタンと顔を見合わせた。それから再び椅子に座り直す。
「実はですね、私がトレジャー辺境伯領内の支店を回っていた頃に、腹違いの兄であるハミルトンがとある交渉に失敗していたんですよ。それだけならよくある商売の失敗談なんですが、最近は失敗続きだったこともあり、今のハミルトンは商会内で求心力を失いつつあるんです」
「お家争いだとよくある話ですね」
力なく笑いながらトリスタンが感想を漏らした。貴族でも珍しくない話なのでよく知っているのである。
「そして、間の悪いことに、今回私は支店の不正を暴くという功績を挙げてしまいました。そのせいで、私を会長に推す声が高まってきていて、母親であるゲイル様が焦っていらっしゃるんです」
「つまり、何をされるかわからない」
「その通りです、ユウ。ですから、また2人を雇いたいんです」
「本店からの命令っていうのがまだ有効だとしたら、無理なんじゃないですか?」
「それは撤回してもらいました。何しろ2度も護衛の傭兵に襲われたとなったら、いくら本店のお抱えであっても信用なんてできませんから」
その点だけは決して譲らなかったらしいとアイザックは強調した。何なら、レラ支店の不正に本店の一部が関与してたことをなかったことにしても良いと交渉したという。
話をするアイザックの態度から結構切羽詰まっていることを理解した。同時にそうなるとより危険であることも感じ取る。
どうしたものかとユウとトリスタンの2人は顔を見合わせた。




