よく連れて行ってもらった酒場
市場を巡った後、ユウはトリスタンと共に安酒場街へと舞い戻ってきた。五の刻をとうに過ぎ、六の刻へと近づきつつある時間だ。
酒場街独特の臭いがする路地を歩くトリスタンにユウは声をかけられる。
「今度は別の酒場に行くんだよな?」
「うん。『昼間の飲兵衛亭』っていう酒場なんだ。稼げている中堅の冒険者がよく利用しているんだよ」
「ユウも前にここで活動していたときはよく行っていたのか」
「僕っていうより、同じパーティメンバーの先輩に連れてもらっていたっていうのが正しいかな。当時の僕はお金を節約するので四苦八苦していたから」
「はは、そういえばそうだったな」
「だから、自分の意思で行くのは実は今回が初めてなんだよ」
「やっと稼げている自覚を持てたわけだな!」
相棒に笑顔で肩を叩かれたユウは苦笑いした。確かにその通りだからである。
安酒場街の半ば辺りまでやって来ると、2人は年月を感じさせる木造の店舗に立った。酒場『昼間の飲兵衛亭』である。ユウから見ても前と何も変わっていない。
扉を開けて中に入ると客の数はまだ少なかった。テーブル席がぽつりぽつりと埋まっているくらいである。
カウンター席に座った2人は給仕女に料理と酒を注文した。しばらくすると注文した品が届けられる。そこから早めの夕食が始まった。エールを皮切りに料理を口に放り込んでゆく。今日は昼食が早めだったので調子良く料理が胃に入っていった。
食事と並行して2人は会話も進める。
「昨日今日と貧民街を紹介したけれど、どうだった?」
「基本的には他の町と変わらないな。当たり前と言えば当たり前なんだが、そういう意味では安心した、けど、賭場と娼館がないのが意外だよ。町の中にはあるのに」
「あーうん、それねぇ。僕は旅に出てからそういうのを知ったから、全然不思議に思わなかったんだよね。戦争前と今は少し違うから、探せば工房街みたいに固まっている場所があるのかもしれないけれど」
「ということは、戦争前は本当になかったのか?」
「娼館はなかったよ。でも、娼婦は宿屋街や安酒場街にいたけど。賭場は、見かけなかったな」
「ユウはその辺あんまり興味ないもんな。あれ? でもそうなると、娼婦は普段どこで寝泊まりしているんだ? 客を引けないときだってあるだろう」
「この町の貧民街の娼婦は普通の貧民だよ。昼はどこかで働いていて、夜になると娼婦になるんだ」
「よく知っているな」
「小さい頃から近所のお姉さんやおばさんがそういうことやっているのを見聞きしていたからだよ」
堂々と話すことではないので話題になることはなかったが、宿屋街や安酒場街の片隅に立っている姿を見かけることはよくあった。あれを見ていると、アルフの家の存在価値はかなり重要に思えてくる。
「そうなると、賭場も娼婦も自分で探すしかないわけか。ユウのお勧めがあれば楽だったんだが」
「ごめん、そっちは全然役に立てそうにないよ」
「仕方ないさ。自分で探す楽しみが増えたと思えばいいだろう。それより、ひとつ気になることがあるんだ。ダニーって知り合いについてなんだが」
「気になるよね。ダニーだけ印象が悪いだろうから」
「何か色々とやらかした奴のようだが、一体どんな奴なんだ?」
問われたユウはダニーについて少しずつ話をしていった。アルフの家で一緒に生活していたこと、非常に活発だったこと、家を飛び出して冒険者になったこと、最初は冒険者として順調に活動していたこと、自分と再会したときにダニーが焦ったらしいこと、その後無茶なことをして転落したことなどだ。後半は伝聞になるので説明も曖昧になってしまうが、それでも知っていることはすべてしゃべる。
「なるほどなぁ。元々せっかちな性格の上、弟分扱いしていたユウが自分以上に活躍して焦ったってわけか」
「どうもそうみたいなんだ。それで、気にはしていたけれど結局何もできなくてね」
「俺からすると勝手に自滅したように見えるから、放っておいて正解だったと思うぞ」
「そうかな?」
「だって、結局はダニーって奴の心持ち次第なんだから、ユウはどうしようもないだろう。ダニーに遠慮して活動を自粛するなんてできないし、する必要もないだろう?」
「確かにね」
「むしろ、一緒に住んでいたときの感覚を引きずっているのが悪いんだ。自分の腕一本でやっていく世界にいるんだから、自分が抜かれることくらい考えておくべきなんだよ。面白くないっていう気持ちはわかるけどな」
その話はどこかで聞いたことがあるなとユウはぼんやりと思った。自分よりも年下や後輩に追い抜かれる日は必ずやって来る。人ごとではなかった。
ただ、それでもダニーに会いづらいという点は変わらない。苦手意識という程ではないものの、やりづらさを感じてしまうのだ。もしかしたら元々合わないのかもしれない。
「ありがとう。だいぶ楽になったよ。ダニーは今この町にいないから忘れよう」
「それがいい。いない奴のことで悩んでも仕方がないからな。この町にいる冒険者のことで悩んでいることはあるのか?」
「それはないかな。でも、会えなくて困っているのはあるけど」
「まぁそれはなぁ」
「前はこの酒場でよく会っていたから、そのうち誰か来るんじゃないかって思っているんだ」
「だからこの店に入ったのか」
「そうだよ。ただ、今のところはまだ誰も来ていないようだね」
暗い話から別の話題に切り替えたユウは店内に目を向けた。客の数は徐々に増えてきており、テーブル席の空きが少なくなってきている。
「知り合いの顔は見当たらないのか?」
「うん、ないね。たまたま来ないだけか、それとも別の酒場に移ったのかもしれない」
「別の酒場に移っていたらどうしようもないな」
「それにしても、どの冒険者の顔もみんな明るいね。そんなに儲かっているのかな」
「この店って中堅の冒険者が来るところなんだろう? ということは、今まで聞いた話はどうやら正しいみたいだな」
「でも、知らない顔ばかりだなぁ。話したことはなくても、顔くらいは知っている人がいても良いかなって思っていたのに」
旅に出る前のことをできるだけ思い出しながらユウは冒険者たちの顔を見ていた。しかし、いずれも知らない者ばかりである。チャドが古参の冒険者パーティは引退か解散したと言っていたが、かつての中堅のパーティの顔ぶれがひとつも見当たらないのは寂しかった。最近は冒険者の数は増えているらしいが、戦争前の冒険者たちがどうなったのか何もわからない。
「10年もすると冒険者の顔ぶれががらりと変わるって聞いたことがあるけれど、この様子じゃ本当にそうかもしれないね。5年くらいでこの有様なんだから」
「出入りが激しい職業だもんな、冒険者は。俺たちだっていつどうなるかわからんぜ」
「そうだね」
「ところで、今後はどうするつもりなんだ?」
「夜明けの森で活動するつもりだけれど、しばらくは旅の疲れを癒やしたいかな。少なくとも最低今月いっぱいは休みにしよう」
「賛成だ。基本的には2人で夜明けの森に入るんだよな?」
「うん。知り合いの冒険者パーティと一時的に組むことはあるだろうけれど、まずはこの町の知り合いと会うところかな」
「会えなきゃ相談もできないしな。冒険者ギルドの依頼はどうする?」
「できるだけ受けないようにしたい。駆け出しのときに受けた強制依頼も含めた依頼にあまり良い思い出がないから」
「何があったんだ?」
「報酬が安かったり依頼主に問題があったりしたんだ。今はお金に余裕があるから同じことをしたいとは思わないでしょ」
「確かにな」
「だから、当面は夜明けの森での活動に専念するよ」
これからの方針が決まると2人はほぼ同時に木製のジョッキを傾けた。喉へと流れ込んでゆく酒精が気持ち良い。
小さく息を吐き出したトリスタンがユウに顔を向ける。
「となると、明日からは別々に動き回ることになるが、ユウは何をするつもりなんだ?」
「いつも通りかな。体と服を洗って、武具と道具の手入れをして、夜明けの森に入る準備をして、他には、そうだ、羊皮紙を買わないと」
「羊皮紙? ああ、自分の記録を書くんだったか」
「後は知り合いと再会するためにこの酒場に通うことかな。積もる話もあるし。トリスタンはどうするの?」
「ユウにこの町の貧民街について教えてもらったから、もっと慣れておこうと思う。特に賭場を見つけ出したいんだ」
「今のところどこにあるのかわからないもんね」
「そうなんだよ。絶対に見つけ出してやるぞ」
木製のジョッキを握りしめたトリスタンが決意を露わにした。ユウはそれを微笑ましそうに眺める。
次第に店内が騒がしくなっていく中、ユウとトリスタンはその後も2人で夕食を楽しんだ。




