いつもの安酒場
貧民街で懐かしの我が家を訪問したユウとトリスタンはしばらくそこで過ごした。恩人の訃報を聞きつつも再会した先輩と楽しく話をしたユウは満足する。
やがて、子供の1人が戻ってきたのをきっかけに2人はその家を辞した。そうして貧民街の路地を再び歩く。
「ふう、暑いなぁ」
「俺たちまだ昼飯を食ってなかったよな。いい加減腹が減ってきたぞ」
「だったら次は酒場に行くからそこで何か注文したら良いよ」
「次の知り合いは酒場にいるのか?」
「そうだよ。味は可もなく不可もなくだけれど、ごまかしが少ないって有名なんだ」
「それはまた何とも微妙な評価だな」
貧民街の路地を北へと進む2人は楽しそうにしゃべっていた。日差しの強さにいささか参っていたが、次の目的地が酒場ということでどちらもいつも通り歩く。
やがて貧民街の北端から安酒場街へと移ると周囲の雰囲気が変わった。往来する人々は大人ばかりとなり、周囲の臭いが酒精と吐瀉物の混じった独特のものとなる。
変わったのは雰囲気だけではなかった。路地こそ以前と変わりないが両側に軒を連ねる酒場が前とは微妙に違う。東側に伸びる路地へと目を向けると、明らかに奥行きが広がっていた。どうやら店の数自体が増えているらしい。
そんな安酒場街を見ながらトリスタンが感想を漏らす。
「小さな町だって聞いていたが、酒場の数は結構あるんだな」
「僕が旅に出る前よりも数は増えているみたいなんだ。特に東の方は見たことのない酒場が並んでいるみたいだし」
「そうなのか。人が増えているってことだな。いいことじゃないか」
「まぁね。僕たちもそのおこぼれに与れたら良いんだけれど」
「それで、知り合いの酒場っていうのはどこなんだ?」
「もう少し行ったところだよ。ああ、見えてきた」
歩きながらユウが指差した先には隣接する建物と同様に傷んだところの多い木造の建物があった。それを目にしたトリスタンが微妙な表情を浮かべる。
「なかなか趣のある店だな」
「結構前からあるらしいからね。でも、僕が旅に出る前はいつもここを使っていたんだ」
相棒の返事を待たずにユウは店内に入った。貧民街の住民が客層の中心で冒険者や旅人もやって来る店だが、五の刻あたりとなるとさすがに閑散としている。
「いらっしゃい! って、え!? もしかしてあんた、ユウなの?」
「そうだよ。久しぶり、エラ。大きくなったじゃないか」
「それはお互い様でしょ! あんなちっちゃい子供だったのに」
「最初から僕の方が年上だったじゃないか」
「そういう意味じゃないのよ。で、その隣の人は誰なの?」
「僕のパーティメンバーだよ。トリスタンっていうんだ」
「初めまして。ユウと組んで冒険者をやってるトリスタンだ」
「あたしはエラよ。この『泥酔亭』の給仕をしてるの」
屋内の扉近くでユウたち3人は再会と自己紹介を互いにしていた。閑散期だからこそ許されることである。
そこへ灰色の頭巾を被った女がやって来た。ユウも当然覚えているサリーだ。ここの女将の娘である。
「エラ、あんた何やってって、ユウじゃない! いつ戻って来たの?」
「昨日だよ。こっちは僕のパーティメンバーのトリスタンなんだ」
「初めまして。『泥酔亭』の女将候補のサリーよ」
「トリスタンだ。まだ若そうなのに女将候補なんてすごいじゃないか」
「ふふ、女将がお母さんだからよ。割と容赦なくて厳しいのよね」
「それだけ期待されているってことだろう」
「まぁね。あと何年かしたら、私が女将になるんだから」
サリーは得意気に胸を張った。やる気は充分らしく楽しそうである。
そこへ今度はカウンターから顔を出した中年の女が声をかけてきた。全員がそちらへと顔を向ける。
「サリー、エラ、何やってんだい?」
「お母さん、じゃなかった女将、ユウが帰ってきたのよ! パーティメンバーを連れてね」
「今度は2人で通ってくれるから売り上げも2倍よ!」
「結構なことだね。あらホント、ユウじゃないか。本当に帰ってきたんだねぇ。今度は毎日通っておくれ」
「あー、頑張ります。とりあえず、僕たち客としてやってきたんで座って良いですか」
「客なんだったらいいとも。空いてる所ならどこでもいいさね」
ようやく一息つけることにユウとトリスタンは喜んだ。まさか店内の扉付近で足止めされるとは思わなかったのだ。
カウンター席に座った2人はそれぞれエラとサリーに注文の内容を告げる。ユウはエール、トリスタンは更に肉類だ。ユウは夕飯に備えて酒だけにしたのである。
そこからはたまにやって来るエラやタビサ相手に2人が自分たちのやってきたことを話した。大陸1周について聞いたエラはいくらか驚いてくれる。しかし、タビサは良くわからないという様子だった。
自分の話への反応が今ひとつなのを残念がるユウだったが、ふとサリーを見かけないことに気付く。
「エラ、サリーの姿を見かけないけれど、厨房にでもいるの?」
「サリーなら今子供にお乳をやりに行ってるわよ」
「は? サリーって子供がいるの!?」
「そういえば言ってなかったわね。サリーって4年前に結婚したのよ。お相手は厨房のあそこにいる料理人のエヴァンね。ちなみに、子供は3人、4歳と2歳と今年生まれた子の3人」
「5年で3人も産んでいるんだ」
突然の報告にユウは固まった。自分の大陸1周の話よりも衝撃を受ける。同年代の女性がもう3人も産んでいることが未だに信じられない。
エラの言葉に従ってカウンター席から厨房の奥へと目を向けると、確かに料理人らしき男が働いているのが目に入った。後ろ姿なので顔は見えないが、小さい頃からこの安酒場に通っていて自分たち孤児以外の男がここの厨房にいるのは初めて見た。それによく見ると、右脚の膝下から先がない。義足らしい木の棒が足の代わりを務めている。
「サリー、すごいなぁ」
「何がよ?」
「だって、3人の子供を育てながらこの酒場を切り盛りしてるんでしょ? 酒場だけでも大変だろうに」
「そうよねぇ。女将さんが子育てを手伝ってるとはいえ、大抵自分でやってるんだもんね」
何度もうなずくエラを見ながらユウは木製のジョッキに口を付けた。小さい子供はまだしも、赤ん坊などどうやって扱えば良いのかまったくわからないだけに素直に感心する。
一方、隣で料理と酒を楽しんでいたトリスタンがその手を止めた。そして、顔をエラに向ける。
「エラも結婚しているのか?」
「あたしはまだね。いい人がなかなか見つからないのよ」
「サリーと同じくらいの歳に見えたから、てっきり付き合ってる彼氏くらいいるのかと思ったんだけれどな」
「前に付き合ってた男はいたけど、ダメだったのよねぇ」
「何が駄目だったんだ?」
「獣の森で採れた薬草を冒険者ギルド以外に売っているのがばれたのよ。代行役人がやって来たときはホントに驚いたわ」
「獣の森で薬草が採れるのはユウから教えてもらっていたが、そうか、売る先は決まっていたんだっけか」
「そうなのよ。あのバカ、結婚資金を貯めるんだって言っていたけれど、大半が酒と博打に消えてたの知ってるんだから。秘密の稼ぎがあるだなんて言ってたけど、まさか違法取り引きだっただなんてね」
肩をすくめるエラに対してトリスタンが苦笑いを返した。確かに大っぴらにはできないという点では秘密に違いない。
そんな2人の会話を聞いていたユウは目を見開いていた。エラも適齢期なのだから付き合っている男がいても不思議ではないのは理解できるが、やはりあの一緒に住んでいた時期の感覚がどこか抜けきっていなかったようである。時の流れに内心でおののいた。
故郷を出て戻ってくるまでに5年以上かかっているが、自分以外にも時間が等しく流れていることをユウは強く実感した。その後は3人でサリーの子供の話へと移る。
『泥酔亭』にやって来てから驚かされっぱなしのユウだった。しかし、その衝撃から抜けると聞きたかったことをエラに問いかける。
「そうだ、エラはホレスさんやジェナさんが店を畳んだことって知っているかな?」
「『貧民の武器』と『小さな良心』の店主さんよね。知ってるわよ」
「あの2人、その後どうしたのかな? チャドに聞いてジェナさんが宿屋街で家族と宿屋を始めたらしいのは知っているんだけれど」
「ジェナが始めた宿屋は『乙女の微睡み亭』だったかしら。2年前くらいだったかなぁ、宿屋街の南東に石造りの新しい宿屋を建てたんだって。ホレスは工房街のどこかで働いているみたいよ。どこかまでは知らないけど」
「そうなんだ」
1人の居場所がはっきりとしたことにユウは喜んだ。この調子でもう1人も捜し出せればと思う。
その後もユウはトリスタンと共に客を捌きながら話を聞いてくれるエラとの会話を楽しんだ。




