懐かしい我が家
スープ屋の主人チャドと別れたユウはトリスタンと共に東へと向かった。人の流れに沿って歩いていると相棒から話しかけられる。
「次はどこに行くんだ?」
「貧民街の中にある僕が過ごした家に行くんだ。孤児の面倒を見ていた人の家でね」
「ああ、アレフって人の家だったか?」
「アルフだよ。右足の悪い人だったな。家があるなら、今もいるはず」
「出かけていないっていう場合もあるぜ」
「それはまぁ、仕方ないよ。でも、誰かしら家にいるから誰にも会えないっていうことはないはずなんだ」
2人でしゃべりながら歩いていると市場の東端にたどり着いた。ユウの記憶ではここから先が貧民の住宅街なわけだが、目の前には住宅ではない雰囲気の建物が並んでいる。その中からは金属を叩く音や気を削る音が聞こえてきて、煙突からは煙が立ち上っている家屋もあった。生活のためというよりも仕事のためという音や臭いである。
「あれ? こんな場所なかったはずなんだけれど」
「ここの貧民街がどんなものかは知らないが、工房っぽいよな。いや、やっぱり工房だ。あそこを見てみろよ。防具の工房だぜ」
「本当だ。うわ、この臭い、どこかに皮革の工房があるんだ」
突然襲ってきた異臭にユウは顔をしかめた。旅立つ前にこんな臭いを放つ場所はなかったことは確実に覚えている。まさか市場と貧民街の間に工房街らしきものができあがっているとは予想外だ。
そんな驚きを抱きつつも更に東へと進むと、ようやくユウが見知った貧民街が現われた。
町の中以上に密集して不衛生なそこは、糞尿、吐瀉物、ごみなどが狭い道に散乱し、臭いが強烈だ。狭い道の両脇には詰め込まれたかのような木造の家屋が密集していて隣家との間に隙間はほぼない。似ているがどれも違うそれらの家屋が延々と連なっていて、たまに枝道や裏路地が分かれている。そして、喧噪がひどく、子供の声がやたらと多い。
「トリスタン、物盗りに注意して。特に子供」
「わかった。近づかれないようにすればいいんだな。なかなか難しそうだが」
周囲に目を向けながらトリスタンがユウの言葉に応じた。元貴族だが城壁の外での暮らしが長いのでその辺りは心得ている。
先頭を歩くユウは道が記憶の通りであることに安心した。これならアルフの家にたどり着ける。
次第に懐かしの我が家へと近づいていくと、ユウは周囲から声をかけられるようになった。最初はかつてのチャドとエラの遊び友達だ。驚いた顔をしながら近づいて来る。
「お前、もしかしてユウか?」
「そうだよ。確か、ガスだったよね」
「覚えててくれたんだ。懐かしいなぁ。町を出て行ったんじゃないのか?」
「また戻って来たんだ。それで、今からアルフの家に行く途中なんだ」
「アルフなら死んだぞ。4年くらい前によその町からやって来た連中に殺されたんだ」
「なんでまた」
「知らない。今、あの家はケントが面倒を見てるよ」
「そうなんだ。今、家にケントはいるかな?」
「たぶんいると思う」
「ありがとう」
衝撃の事実を聞いたユウは半ば呆然としつつも先を急いだ。しかし、あの家に近づくにつれて近所づきあいのあった人々から次々と声をかけられてその度に足を止める。こうなると襲われる心配はなくなるわけだが、なかなか先に進めない。
もどかしい思いをしつつもユウはトリスタンと共にようやく懐かしの我が家にたどり着いた。そこは貧民街の不潔な一角にある粗末な木造の掘っ立て小屋で、すぐ右脇が裏路地で得体の知れない不快な臭いが漂っている。
扉を叩いてしばらくすると、やや鼻が丸い顔つきの少し小柄な青年が姿を現した。ユウを見て少しの間怪訝そうな顔をするも、誰か気付いて目を見開く。
「お前、ユウか」
「そうだよ。ケント、久しぶり」
「よく来たな。後ろにいるのは?」
「仲間のトリスタンなんだ。もう何年も一緒に冒険者として活動しているんだよ」
「そうか。まぁ入ってくれ」
招き入れられたユウはトリスタンと共に掘っ立て小屋の中に入った。室内は広くない一間のみで玄関側に台所があり、床は木の板で敷き詰められているが泥だらけだ。中央には6人用の木製で軽そうな長机が2台くっつけられていて、その周囲に丸椅子がある。壁際に物が乱雑に寄せられていおり、奥にはわらを敷き詰めた平たい麻袋が重ねられていた。
過ごしていた当時と変わらない屋内の様子にユウは懐かしさがこみ上げてくる。その気持ちを抱きながら勧められた丸椅子に座った。
隣に座ったトリスタン共々、ユウは対面に座ったケントに目を向ける。
「7年、いや7年半ぶりくらいかな、ケントと会うのは」
「そうだな。まさかまたここを訪ねてくるとは思わなかった」
「そうなの?」
「大抵はここを出て行くと再び顔を見せる奴はほぼいないからな。珍しい」
「テリーはここに来たことがあったけれど、そうあることじゃないんだ」
「逆にテリー以外は顔を見せたことなんてないだろう。そういうものだ。しかしまた、どうしてやって来たんだ?」
「5年前の春に1度この町を出て、昨日また戻って来たんだ。それで、知っている人がどうなっているのか気になってあちこち回っているところなんだよ」
「なるほどな。それでここにも来たわけか」
「うん。でも、さっきそこでガスと会ったんだけれど、アルフが死んだって聞いたんだ。よその町からやって来た連中に殺されたらしいね」
「ああ、そうなんだ。いつものように子供を探して回っていたらしいんだが、そのときにな。オレは実際にその場を見たわけじゃないが、噂によると物盗りとのいざこざに巻き込まれたらしい。それ以上の詳しいことはわからん」
かつては無口だった先輩が普通に話している姿を見たユウは内心で驚いた。しかし、アルフが殺されてこの家の面倒を見ているのならば変わらざるを得なかったことは察せられる。
「それで、今はケントがこの家の面倒を見ているって聞いたけれど」
「そうだ。あのとき、オレが一番年長だったからそういうことになったんだ。結局やりたいことも見つからなかったからな。これで良かったのかもしれん」
「子供たちを探し出しているのもケントがやっているの?」
「ああ、最初はどうやっていいのかさっぱりわからなかったが、最近は何とかなるようになってきた。アルフのようにいろんな所からというのはまだ無理だが、必要な人数を集めることはできる」
「ということは、獣の森での活動や店の手伝いなんかもやっているんだ」
「そうだ。オレはもう直接やっていないが、今は子供たちにさせている。大体3年から5年くらいでみんな独り立ちしているな」
「僕たちと変わらないね」
「そうだ」
お互いにうなずき合ったユウとケントは小さく笑った。アルフの死という大きな出来事はあったものの、この家はそれを乗り越えていつも通りの日常を送っているわけだ。
そんな話を聞いていたトリスタンがケントに尋ねる。
「ここに何人いるのか知らないが、毎年のように独り立ちしている子供がいるのなら、貧民街のどこかで会ったりしないのか?」
「あまりないな。この家から出て行く子の数なんて全体に比べたら大したことはないし、冒険者になるとオレたちの生活の範囲から外れることになる。それに、同じ貧民街でも別の集団に移るとまったく話を聞かなくなることは珍しくない。他にも別の町や村に移る子もいるからな」
「へぇ、そういうものなんだ」
「ただ、例え元気にやっていることがわかってもこちらから会いに行くことはしない。こっちは独り立ちさせるのが目的で、それ以上は関わらないようにしているんだ」
「どうしてまた?」
「ここでの生活は最低だからだ。正確にはもっと下もあるが、ともかく、そんな底辺のところから抜け出せたのなら、忘れたいという子だっているだろうからな」
貧民街のこういった仕組みを知らないトリスタンは興味深そうに話を聞いていた。
そこへユウが再び話に加わる。
「ということは、僕がここにいたときのみんなはもう独り立ちして、どうなっているのかわからないんだね」
「そうだな。大変な時期に独り立ちした子もいるが、その後のことはわからない」
「そっかぁ、ビリーなんて町から出て行っちゃったもんね。あ、マークなんかは行商人になりたいって言っていたけれど、どうだったの?」
「見習いとしてどこかの行商人に弟子入りして出て行ったな」
「そうなんだ!」
かつて将来の夢をきいたことのあるユウはその夢に向かって歩き出したマークの様子を聞いて喜んだ。今はどうなっているかわからないが、うまくやっていることを祈る。
聞けば話をしてくれるケントとの会話をユウとトリスタンは楽しんだ。自分たちも大陸を1周した話を伝える。
とても楽しいひとときだった。




