久しぶりの徒歩での旅
ロンティの町で3日間休んだ後、ユウとトリスタンはその郊外で徒歩の集団に混じって立っていた。時刻は二の刻を回ったくらいだ。先程日の出を迎えたばかりである。
「今日も良い天気みたいだね。暑くなりそう」
「夏は大陸北部みたいに涼しかったらいいんだが、さすがにここは暑いからなぁ」
「これ、森の端だからまだましだけれど、中に入ると更に蒸し暑くなるんだよね」
「嫌だな、それ。でも、西方辺境はほとんどが森の中なんだったよな」
次々と出発する荷馬車を眺めながら2人は気候の話を続けた。ユウにとっては懐かしいものだが、トリスタンにとっては初めての体験だ。森自体には何度か入ったことがあったものの、いずれも冬だったので夏の森はまだ知らないのである。
所属している徒歩の集団が歩き始めた。それに合わせてユウとトリスタンも脚を動かす。荷馬車の集団との距離はある程度あった。
海岸にあるロンティの町からフロンの町までは辺境の川沿いに続く探索者の街道を進む。この川が大陸西部の中央と西方辺境を隔てる川だ。ナタインの町の側を流れる近山の川より西側はすべて辺境だという口さがない都会人もいるが、公式には辺境の川が西方辺境の東境のひとつである。
そんな街道の西側には西端の森が広がっていた。この森は大変広く、東は辺境の川から西は最果ての山脈にまで広がっている。南は二股鎌の山脈の西側に突き出た辺りまでだが、この森の中に開拓された町があり、それらを街道が結んでいた。そして、この辺り一帯をスタース王国という西方辺境で最も古い王国が治めているのだが、ユウたちは今回この王国内を当面は進んでゆくことになる。
久しぶりの徒歩での旅をユウは懐かしんでいた。歩いて移動するという意味では野獣の山脈を越えるときもそうであったが、徒歩の集団に混じってとなるとかなり前の話になる。しばらく考え込んで、大陸東部を歩いたとき以来だと思い出した。
そんな歩きの旅は快適ではなかったが順調だ。日差しはきついが涼しい風が東の平地から吹いてくれるのでまだましであり、焚き火を熾すための木の枝は西端の森の端から取ってくれば良い。
ただし、この木の枝は少々くせ者である。水分を含んでいるので火を点けると煙が発生するのだ。これがなかなか煙たい。それでも1日の終わりに焚き火は欠かせなかった。
その日、夕方になると隊商が野営地の設営を始めたのでユウたちも泊まる準備を始める。徒歩の集団の人々は適当に腰を下ろして保存食を口にするが、ユウとトリスタンはそんな人々から離れて川の土手を降りたところで焚き火を囲んだ。
割と煙る中、トリスタンが顔をしかめる。
「やっぱり生木は煙がきついな。それでも火を熾さないという選択肢はないが」
「せっかく川の水と森の木があるんだもんね。温かいご飯を食べないと」
河原の石で作った簡単なかまどに乗せられた鍋の中をかき混ぜながらユウは返答した。こちらも涙を流しているがおたまを手放すそぶりは見せない。
鍋の中身は干し肉と黒パンである。手持ちの食材がそれだけしかないからだが、それでも温かい食事は旅中でのごちそうだ。それが夏であってもかわらない。
そんな鍋料理にユウは腰から取り出した袋の中身を振りかけた。怪訝そうに眺めるトリスタンに声をかけられる。
「お前って塩を持っていたのか?」
「これは魔塩だよ。採掘していたときに濃度の低いやつを袋に入れていたんだ」
「まだ持っていたのか、そんなもの」
「塩ばっかり舐めるのも何だかなと思って遠慮していたら、使い時がなくて」
「だから今使おうというわけか。まぁ、味は普通の塩だから別にいいんだが」
理由を聞いたトリスタンに微妙な表情をされたユウは曖昧な笑顔を返した。ユウ以外にとっては普通の塩だとわかっているので遠慮なく使えるのだ。汗をよくかく季節ということもあって多めに鍋へと振りかけた。
いつもより塩味のはっきりとするスープを食べた後、ユウたちは他の人々と離れたまま一晩を過ごす。街道の近くの森から獣や魔物それに盗賊に襲われたときに少しでも対処のための時間がほしいのだ。
そうして3日ほど進む。徒歩の旅は順調だ。周囲の景色は単調なので飽きやすいが、同時にそれは何事もなく旅を続けているという証でもある。
夕方になると2人はいつも通り徒歩の集団から分かれて土手の下へと向かった。荷物を置くとユウが森へと薪を拾いに行き、トリスタンがかまどを作る。更には鍋に食材と水を入れて松明の油をかけた枝に火を点けた。燃える枝が煙り始める。
「けほっ、こればっかりは慣れないよねぇ」
「飯にも煙の臭いが染み込みそうに思えるな。ああでも、明日は森から離れるから温かい飯もお預けか」
「明日の朝にここで薪を拾って持って行く?」
「いいなそれ。1日くらいだったらそんな手間も我慢できるし」
鍋の中身をかき混ぜながらしゃべるユウはトリスタンと明日の野営について気楽に話をしていた。とりあえず食事を作るのに必要な分だけあれば良いので大量に持って行く必要はない。2人で分け合って持つならば簡単に持ち運べる。
そんなことを話し合いながら2人はできあがったスープを食べた。そうして夜の見張り番を交代でこなしながら眠りにつく。
土手を枕に眠っていたユウは肩を揺すられて目覚めた。かすかな月明かりから相棒に熾されたことに気付く。
「もう交代の時間?」
「そうじゃない。徒歩の集団が狼に襲われた。ここでもいくらか聞こえるだろう?」
説明されたユウが耳を澄ませると確かに多数の悲鳴とかすかな獣の鳴き声が聞こえてきた。起き上がって土手を登ると徒歩の集団が寝泊まりしているはずの場所に目を向ける。周りを狼に囲まれた人々は震え上がっており、四方へと逃げようとしたらしい者たちは狼に噛みつかれてのたうち回っていた。
しばらく見ていたユウは隣で土手からわずかに頭を出すトリスタンに小声で話しかける。
「随分と数が多いね。いくつかの群れが集まっているのかな?」
「狼って他の群れと一緒に狩りをするものなのか?」
「わからない。ただ、ひとつの群れに襲われただけなら逃げ切れる人もいたんだろうけれど、あれじゃどうにもならないよね。周りを完全に囲まれちゃっているから」
「この辺りで人間を襲うことに慣れた狼なんだろうか?」
「どうだろう。冒険者ギルドでは何も言われなかったし、今回たまたまなのかもしれない」
「それにしても、徒歩の集団だけを狙って隊商の方は完全に無視だな。隊商の方を警戒している狼も何匹かいるみたいだぞ」
「徒歩の集団は襲いやすくて、隊商は襲いにくいって知っているんだ。思った以上に頭が良いみたい。これ、僕たちの方へ来たらまずいね」
「賢い狼の相手はごめんだな。うわ、喰ってやがる。見たくねぇ」
目の前の惨劇に顔をしかめたトリスタンがつぶやいた。狼がこれからどう動くのかわからないので目を背けるわけにはいかないのだ。気分が悪くても観察し続けなければならない。
狼たちを警戒しているのはユウたちだけではなかった。隊商の護衛も狼たちに注目している。人足たちも目を覚まして様子を見に来ていた。何十頭という野生の動物の群れは怖いのだ。
そんな隊商側の面々だったが、悲劇はそちらにも降りかかってきた。徒歩の集団が野営していた場所とは反対側の森から何者かたちが静かに隊商へと近づいていく。それに気付いたのは隊商で夜の見張り番をしていた1人だったが遅かった。反対側の狼に気を取られていたことと襲撃者側に弓使いがいたことで対応が遅れたのだ。
射殺された護衛が倒れた音に気付いた別の護衛が声を上げたことでぎりぎり奇襲に気付けたものの、目前まで迫られたことには変わりなかった。強襲へと切り替えた盗賊に野営地へと簡単に入られてしまう。隊商側は最初から乱戦を強いられた。
狼の反応から隊商が襲われたことを知ったユウとトリスタンもそちらへと目を向ける。暗くてはっきりと見えないが混乱していることは窺えた。
嫌そうな顔をしたユウがつぶやく。
「隊商側も襲われたらしいね。盗賊かな」
「みたいだな。あ~狼が何匹か様子を見に行ったな。もしかして三つ巴になるのか?」
「盗賊は狼が怖くないのかな」
「さぁどうなんだろう。それより、これ明日からどうする?」
「襲撃が終わった後、どうなっているかによるから何とも言えないよ。でも、たぶん2人だけでフロンの町に行くことになるんじゃないかな」
目の前のひどい有様にユウはため息をついた。
翌朝、狼が去った後は見るに堪えない光景となり、隊商側も盗賊を退けたが商隊長を殺されたらしく混乱したままとなる。
それを見たユウとトリスタンは黙って2人だけで出発した。




