海洋の魔物の来襲
ロウィグ市でユウとトリスタンがひっそりと生活を始めて2週間が過ぎた。新年を迎えてまた齢をひとつ重ねたわけだがこんな状態では嬉しくもない。
当初の様子見の期日がやってきたわけだが、2人はどうするべきか悩んでいた。半月が過ぎて都市の状況はほぼ何も変化していなからだ。2人がやって来た当初と同じく交易を活発に行いつつもどこか重苦しい雰囲気が全体を覆っている。
何も変化がないということは今後も冒険者ギルドの拘束は続くわけだが、一方で赤い蠍が何かを成し遂げたという噂も都市に広まっていた。領主からの依頼で難破船を調査し、魔法の箱を持ち帰ったらしい。ただ、その箱が何であるか、そして開けたかどうかまでは不明である。
こんな状態なので2人は迷っていた。都市の外に脱出する打算を本格的に考えるか、それとも状況が変化するのを期待するのか、難しいところである。
などと考えていたユウだったが、もうその必要はなくなった。事態が大きく動いたからである。
この日は珍しくいつもより少し早く自伝を書き終え、相部屋で武器を磨いていた。すると、いつもより早くトリスタンが戻って来る。
「ユウ、港が大変なことになっているらしいぞ。海の魔物が襲いかかってきたらしい」
「海の魔物が? どうして」
「わからん。俺も賭場で血相を変えて入った奴が叫ぶのを聞いただけだからな。その後急いでここに帰ってきたが、途中、街の中も騒然としていたぞ」
相棒の話を聞いていたユウは呆然とした状態から徐々に立ち直っていった。そうしてどうするべきか考える。
港に直行するのは論外だ。海洋の魔物に襲撃されたばかりの最前線に個人で出向いても巻き込まれるだけでしかない。冒険者ギルドに行くのは本来ならば最も常識的な行動だろう。ただし、行けば魔物と戦う緊急依頼で拘束されるのは間違いない。宿屋でじっとしているのは直近では最も安全だ。問題なのは、情報が何も手に入らないので最悪の場合手遅れになるかもしれない。
ぱっと思い付いたことはどれも躊躇われる内容だった。そこで、ユウは立ち上がってトリスタンに告げる。
「トリスタン、酒場に行こう」
「今から? 確かに時間的には飯時だが、今はのんきに食ってる場合じゃないだろう」
「酒場の様子を見に行くんだ。最近この町の酒場には冒険者が多かったでしょ。その他の冒険者たちがどうしているのか様子を見るんだ。今の僕たちには海の魔物が襲ってきたっていう情報しかないから、これくらいしかできることがないよ」
「なるほど、情報収集をするために行くわけか。まぁそれなら」
理由を知ったトリスタンが納得するのを見てからユウは部屋を出た。それから足早に宿を出る。
年が明けたばかりの今の時期、五の刻を過ぎてしばらくすると日が暮れる。そのため、六の刻に近い時間だとすっかり夜の帳が下りていた。普段ならば1日の仕事が終わり、帰宅する者や酒場に向かう者で通りは賑わう。
しかし今、街の様子はいつもとは違っていた。誰もが港に海洋の魔物がやって来たことを知っていて右往左往している。近所同士でどうするべきか話し合う人々や、早速逃げだそうとしている者たちが多い。松明を手にして往来する人々の顔に余裕はなかった。だが、幸いまだ混乱しているというほどではない。
普段よりもずっと歩きにくい道をユウはトリスタンは進んだ。歓楽街へと入っても人通りは絶えない。ただ、普段のようにどの店に入ろうかと迷っているわけではなく、大半が店を素通りする人々ばかりである。
こんな状態で開店などしていられないと考える店主も多いらしく、酒場の大半が既に店を閉じているか閉じようとしていた。追い出される客をたまに見かける。
そんな様子を見ていると、ユウは馴染みの酒場も閉まっているのではと思うようになってきた。考えてみれば当然で、こんなときにのんきに酒を飲む輩などそう多くはないことに思い至る。これは考えが浅かったかと後悔し始めた。
いつもの酒場に到着したユウは、しかし店が開いていることを知って驚く。更に中に入ると客入りがなかなかの上にほぼ全員が冒険者だった。
意外な状況に目を丸くする2人だったが店内を見ながら奥へと進む。そうして、カウンター席に知り合いを見つけた。ジーンである。
「ジーン!」
「おお、ユウとトリスタンじゃないか。あんたらも来たのかい」
「まぁそうなんだけれど。どうして冒険者がここにいるの?」
「慌てて動いても仕方ないからだよ。港に海の魔物が襲ってきたってのは知ってるよな?」
「うん。さっき聞いた」
「その港は領主様の兵隊が守ってるから当面はどうにかなる。それに、こんな日が落ちた状態で港に駆けつけても、兵隊に間違って斬りかかられるだけだしな」
「冒険者ギルドには行かないんだね」
「襲撃の一報が入った直後にギルドにいた奴に聞いたんだが、今は冒険者全員に緊急依頼をかけて、とりあえず城外支所にいる連中を港に送り上げるためにまとめている最中なんだ。けど、相当混乱してるみたいでな、今行ってもろくに動けないんだと。だったらここで酒を飲みながら待ってる方がいいだろ?」
「そのギルドにいた人は?」
「あっちのテーブルで飲んでるぜ。やってられんって言ってこっちに来やがったんだ」
言いながらジーンが声をかけると、その男が振り向いて木製のジョッキを掲げた。それを見たユウの顔が引きつる。
図らずも正解の行動をしたらしいことを知ったユウはトリスタンと共にジーンの隣に座った。給仕女に注文するとジーンに顔を向ける。
「でも、よくこの酒場が開いていたよね。他はほとんど閉店していたのに」
「オレたちを用心棒代わりに使ってるんだ。街がこんな状態じゃいつ暴動が起きるかわからんだろ? それに、店を閉めて避難したら物取りの被害に遭うかもしれんから、今のうちに全部売り払っておこうって寸法なんだよ」
「ああ、なるほど。お金なら持って逃げられるもんね」
「そして飯と酒はオレたちの腹の中、みんな幸せになれて結構なことさ」
にやりと笑ったジーンが木製のジョッキを持ち上げた。
そのとき、ユウとトリスタンが注文していた料理と酒が運ばれてくる。精神的にあまり落ち着いた状態ではないが空腹では動けないので食べ始めた。
食べながらトリスタンがジーンに話しかける。
「それで、今はここで待つとして、いつになったら冒険者ギルドに行くんだ?」
「オレは明日の朝に行くつもりだ。一晩経てば状況も色々見えてくるだろうしな」
「その間、港での戦いは大丈夫だと思うか?」
「正直わからん。が、もしダメだったとしたら、今すぐギルドに行って港に送り込まれる連中は高い確率で死ぬだろうな。さすがにそれはイヤだから、そういう戦況を見極めるためにも間を空けた方がいいだろ」
「確かにそうだな」
「他にも、城外支所に今いる連中は日が暮れた今の状態で港に送り込まれることになるが、それは避けたいんだ。そんな暗い中で戦っても死にやすいだけだしな」
理由をいくつか聞いていたユウはトリスタンと共に目を見張った。自分たちが思っていた以上に色々と考えていることを知る。
相棒とジーンが色々と話をする中、ユウは明日からどうするべきか考えた。冒険者ギルドから冒険者全員に緊急依頼が出ているので城外支所に出向かないといけないが、このまま宿に引きこもっていればやり過ごせるのではという考えが脳裏をよぎる。ただ、都市の危機にそんなことをすれば住民の心証は悪くなるのは間違いない。宿屋の店主から冒険者ギルドに密告される可能性がある以上、この方法は諦めるしかないだろう。
そうなると、冒険者ギルドに出向いた後、どこに配属されるかで生存率が大きく変化する。今のままだと現在戦場になっている港に送り出される可能性が高いわけだが、これをどうにかする手立ては今のところない。
実は今、非常に危険な状態だということに気付いたユウは顔をしかめた。しかし、その割にジーンはのんきだ。それが気になる。
「ジーン、明日から海の魔物と戦うことになるのに、随分と余裕があるように見えるよね。怖くないの?」
「確証はないんだが、もしかしたら港行きを避けられるかもしれない可能性があるんだ。オレはそれに賭けてみようと思ってるのさ」
「そんな方法があるんだ」
「ただ、オレ1人っていうのはちょっときついから、頭数を揃えたいと思ってたところなんだよ」
「え? 数を揃える?」
「ユウ、トリスタン、一口乗ってみるか? もしかしたら、何とかなるかもしれないぜ?」
再びにやりと笑いかけてきたジーンをユウとトリスタンは呆然と眺めた。そんな2人は計画を聞いて驚く。
他に方法がない2人はジーンに協力することにした。




