遊牧の町
休暇が終わると、グラントリー率いる荷馬車の集団はアストの町を出発した。これからの道のりは大半が野獣の森だが、最終日に平原へと出て次の町に到着する予定だ。1ヵ月以上にわたる森の旅がようやく終わろうとしている。
森の中の旅にもすっかり慣れたユウとトリスタンは荷台の上で外の風景を眺めていた。しばらく森を見ていたかと思うと後ろを進む馬に目を移す。
たまに獣人が街道を横切ったり商売を持ちかけてきたり襲ってきたりするが、いずれも一行はうまく対処していた。ユウたちも1度襲撃してきた獣人たちと戦ったが、時間稼ぎに成功している。
そうして10日後、プラブの町にたどり着いた。野獣の森を出て平原を少し進んだ場所に天幕が集まっているのだ。この町も人間と交易するために獣人が集まったのが始まりだが、前の2つの町とはいささか趣が異なっている。平原を遊牧する獣人たちが作る町なので家畜関連の産業が盛んなのだ。また、この町には少数ながら商売関係の人間が住みついているので人間は珍しくない。
町の郊外の原っぱに荷馬車が停まると2人は荷台から降りた。そのままグラントリーが乗っている荷馬車に向かう。既に護衛の獣人たちが雇い主から報酬を受け取っていた。
その中に混じってユウも報酬をもらう。
「ユウ、これがお前の報酬だ」
「確かにありますね。ありがとうございます。次の報酬はルゼンド通貨でお願いします」
「わかってるぞ。それじゃ、3日間ゆっくりと休んでくれ」
硬貨の数を確認したユウがグラントリーに笑顔を向けた。相棒も報酬を受け取ったのを見ると町の歓楽街へと向かう。
ジョンとカイルも合流して酒場の集まる場所を歩いた。ここも天幕の外にテーブル席があって客がそこで飲み食いをしている。ただし、その中には人間も割と見かけた。そのせいか、誰もユウやトリスタンに注目しない。
その様子にユウが少し感動する。
「うわ、こんなに人がいるのを見るのは久しぶりだよ」
「まったくだな。それでも何て言うか、帰ってきたっていう感じはしないが」
「この町にゃ、毛皮や材木、それに薬草を買いに人間の商売人がたくさん来るからなー」
周囲に目を向けたカイルがユウたちに言葉を返した。随分とのんきな声だ。
延々と酒場を探し回っていてもしかたないので、4人はとある酒場のテーブル席に座った。そのまま給仕の獣人を呼んで料理と酒を注文する。それから雑談を再開した。
腰を落ち着けるとジョンが口を開く。
「ここは平原の連中が集まる町だから肉が安くて旨いぞ。しかも量も多い」
「さっきお金を払ったら確かに森の町よりも安かったよね。量が多いってどのくらい?」
「倍くらいあるぞ」
「え? そんなに?」
「そうだ。だからオレたち獣人はこの町が好きなんだ。この町を拠点にして活動してる連中も多い。ここに帰ってきたら安くて大量に食えるからな」
「獣人にとって肉は重要だもんね」
しゃべっている間に給仕の獣人が料理と酒を運んできた。注文していた中に肉の盛り合わせががあったが、確かに羊の肉が他の町の倍くらいある。というより、これは塊だ。
目を見開いてその肉の塊を凝視するユウとトリスタンを見てジョンとカイルは笑った。そしてすぐに自分の肉にかぶりつく。
ユウもナイフで羊の肉を厚く切ると口に入れた。噛み応えのある肉から熱い汁が口内に広がる。幸せの瞬間だ。
4人ともしばらくは自分の肉に集中した。このときは全員の口数がかなり減る。
ただ、食べるに従ってユウの意識は少し変化していった。食欲を満たされるに従い、たくさん残っている肉を見ると苦しくなってきたのだ。目算では何とか全部食べきれるはずだが、腹が結構苦しくなるのは避けられそうにない。
一方の獣人2人はまったく平気そうだ。食べる速さも最初からそれほど変わらない。そんな様子を見ていると、体のつくりが根本的に違うとユウなどは感じる。
そんな食事も大体肉の塊を片付けることで一段落着いた。大きな息を吐き出したトリスタンがカイルに声をかける。
「カイル、前に獣人の町には賭場も娼館もないって教えてくれたよな?」
「そんなことも言ったっけな」
「この町にもないのか? こんだけちらほら人間がいたら、それ相手の商売があってもおかしくないだろう」
「どうなんだろうなー。見たことがないからなんとも言えん。ジョンは知ってるか?」
「オレも知らん。人間の相手のそういうのは利用したことがないんだ」
「探したらあるかな? いや、聞いてみた方がいいか」
獣人2人の反応が芳しくなかったことから、トリスタンは周囲に目を向けた。テーブル席に座っている多くは獣人で人間は数人だ。
一通り周りを見たトリスタンは通りかかった給仕の獣人にエールを追加で注文した。持ってきてもらったその木製のジョッキと自分のものを両手に持って席を立つ。そして、1人で飲んでいる人間が座っているテーブル席へと向かって行った。
それを見送った3人がトリスタンを見守る。
「あ、エールを奢ったね。うまく話しかけられたみたい」
「そうだな。楽しそうにしゃべっているようだが」
「おい、こっちに連れて来たぞ?」
話を聞くだけだと思っていたユウたち3人は、トリスタンが人間を連れてやってきたことに意外そうな顔を向けた。質問だけして戻って来るとばかり思っていたからだ。
そんな3人の気を知らないトリスタンは連れてきた人間を自分の隣に座らせる。
「こいつ、今日は自分だけ非番だから1人で飲んでるらしいんだ。だから、一緒に飲める相手を探していたそうだぞ」
「だから連れてきたんだ。それで、聞くことは聞けたの?」
「聞いたぞ、な!」
「ええ、賭場と娼館ですよね。人間向けの。ありますよ、1軒だけですが」
「あるんだ」
にこにこと笑顔を見せるその若い男はユウにうなずいた。聞けばプラブの町の南へと延びている獣皮の街道を往来する隊商の人足だという。今回は毛皮と燻製肉を買い付けにやって来たそうだ。もう何度もプラブの町へはやって来ているので、この町のことは何でも知っていると豪語している。
その人足の男によると、賭場も娼館も町の北の端にあるらしい。家畜関係の商売は町の西側、毛皮と木材と薬草の商売は町の東側で行われるので、普通は町の北側に人間の商売人はあまり来ない。なので、こういうこっそりとする遊びの施設はそこにあるのだという。
話を聞いたトリスタンは目を輝かせた。顔を突き出してその人足の男に尋ねる。
「で、どんな感じなんだ?」
「悪くないですよ。ここじゃ人間が発散できる場所なんて限られてますし」
「ほほう、なるほどな」
のめり込みつつあるトリスタンをユウは少し心配そうに見つめた。相手の発言が微妙だからだ。何とでも受け止められるような言い方である。
ジョンとカイルは何とも言えない態度だった。人間相手の商売を利用するつもりはないが、どんなものなのかは興味があるという様子である。
人足の男はトリスタン相手にしゃべりながらテーブルにある肉をしきりに摘まんでいた。どうも腹が空いているらしい。
ある程度話を進めると人足の男はトリスタンに提案する。
「それじゃ、今から行ってみます?」
「今からか。う~ん、そだなぁ」
「そっちの方もどうです?」
「僕はいいよ。トリスタンも次の町まで我慢したらどうなの? 別に急ぐ必要なんてないだろうし」
「でも、まだ2週間くらい先の話だろう? 1度試してみるのも悪くないと思うんだ」
止めに入ったユウだったが、トリスタンはどうにもこの話に前向きだった。後で聞いた話によると、賭場の方はともかく、前の旅芸人一座での体験が良かったので今回もと考えたらしい。
結局、興味を断ち切れなかったトリスタンは人足の男と一緒に席を立った。ユウは獣人2人と一緒にそれを見送る。もっと強く止めるべきかとも考えたが、もしかしたら本当に善意で勧めてくれている可能性もあった。それほど微妙な態度だったのだ。
そして翌朝、ユウは暗い雰囲気の相棒と再会する。
「おはよう。どうだったって、その様子じゃ駄目だったんだね」
「ああ。外れだった。そりゃこんな場末の町に流れてくる奴なんてそんな程度だよなぁ」
「わかっていて行ったんじゃないの?」
「それでもって期待してしまったんだよ!」
「で、あの男は?」
「いつの間にかいなくなっていたんだ。女に聞いたら、酒場でこの町に慣れていない客を狙って肉と酒をたかる奴じゃないかって言われた」
騙されたというか、たかられていたと知らされたユウは静かにうなずいた。酔って判断がおかしくなった相棒が娼婦まで奢らされなくて良かったと慰める。
旅先で色々とあることはユウも知っているが、自分も気を付けないといけないと改めて自戒した。




