ようやく着いた町
狼の獣人から2度目の襲撃を受けた翌朝、山越えの一行は被害状況を知って暗澹たる気分に陥っていた。
護衛は6人が死亡し、2人が重傷となる。この6人の死亡者のうち、夜の見張り番は3人だ。残り1人が生き残ったのは正反対側を見張っていたからである。そして、一昨日の獣人襲撃で重傷に陥っていた者は昨晩殺されていた。抵抗した跡はあったが駄目だったらしい。つまり、残り3日間を7人の護衛で乗り切らないといけないのだ。
また、行商人からも1人被害がでている。やはり野営地が戦場になって全員が無事というわけにはいかなかったわけだ。更には荷馬車も1台破壊されている。この中で無傷だった旅芸人一座は非常に幸運と言えた。
それでもまだ生き残っている人々はいる。この者たちで次の町までたどり着かないといけない。
悪臭玉を使って難を逃れたユウはトリスタンに負傷した腕を治療してもらった。それから痛み止めの水薬を飲んでから日の出までは休んだ。翌朝から歩かないといけないので、少しでも体力を回復させておく必要があるからだった。
朝の準備が終わって荷馬車が動き始めるとユウも他の仲間と一緒に歩く。左の二の腕に巻いた包帯が破れた服の中から覗くのをたまに気にしていた。
そんなユウをアデラが気遣う。
「大丈夫? 痛くない?」
「痛み止めの水薬を飲んだから大丈夫だよ。後は休憩ごとに休んで、夜はしっかり寝たらね。仕事柄、怪我はよくするから」
「夜は見張り番があるんじゃなかったの?」
「今日からはさすがにフィンに変わってもらうことになったから大丈夫」
座長のカールと話を済ませていたユウはアデラに穏やかな笑みを向けた。良い顔はされなかったが、正当な理由があるのでフィンとの交代を認めてもらえたのだ。
沈黙したアデラに変わって後ろを歩くエドウィンがユウに声をかける。
「それにしてもすごかったね! ユウが強いとは思っていたけど、獣人相手に勝っちゃうなんてさ。最後すごい臭いがしたけど、あれってなんだったんだい?」
「悪臭玉っていう道具だよ。元になる草を切り刻んで薬品を混ぜたものなんだ。元々獣を撃退するものなんだけれど、鼻が利く動物には特に有効なんだよね」
「だろうね。ぼくたちのところだとうっすらと臭ってきたけど、それでも結構きつかったから。あれを獣人が思いっきり吸い込んだらそりゃ耐えられないだろうさ」
「しかし、あれはもう勘弁してほしいな。さすがにこっちの鼻もひん曲がっちまう」
話を聞いていたらしいフィンが横から口を出してきた。他の芸人たちを守るため前に立っていたのが災いし、あのときは更に強い臭気を吸い込んだらしい。
そうやって話をしている間にもユウは周囲を警戒する。昨夜で狼の獣人を更に3体倒したので、引き上げた仲間の獣人が再び襲ってくる可能性が高いからだ。
ところが、この後狼の獣人の襲撃はなかった。姿さえも見せない。もしかしたらあの悪臭のせいかもしれないとユウなどは想像したが、実際のところはわからなかった。
一方で獣や魔物の襲撃は相変わらずだ。何か恨みでもあるのかというくらい毎日襲われた。獣や魔物を引きつける何かがあるのかと誰もが首を傾げたが、こちらも原因はわからずじまいである。
そうして9日目、ようやくモーテリア大陸西部の端に連なるディストの町に到着した。町の直前の街道は高低差の大きな場所を通っていたので、町を見下ろしながら下ってゆくのはなかなか壮観な眺めだ。
日没直前になって町の郊外にたどり着いた山越えの一行は自然に解散した。旅芸人一座も荷馬車を原っぱに停車させる。
御者台から降りた座長のカールが所属する芸人の前にやって来た。薄暗い中、全員に声をかける。
「今回は本当に大変だったが、ようやく山を越えることができた。みんなよくやってくれたと思う。これからの道のりは楽になるはずだから安心してほしい。それと、この町には3日間滞在する。興行はしないからゆっくりと休んでもらいたい」
座長の言葉を聞いた面々は一様に表情を緩めた。解散の言葉を聞くと町の歓楽街へと向かってゆく。ただ、その足取りは疲れのせいか重たそうだった。
ユウは獣人1体を倒した報酬をカールから受け取るとトリスタンと共に酒場へと向かう。アデラとベッテも同様だ。
相棒の隣を歩くベッテがユウに顔を向けた。そして、左の二の腕に目を向ける。
「その腕の傷、どの程度治ったの?」
「ある程度かな。完全に治るのはまだ先になると思う」
「毎日歩いていたけれど、傷は痛まなかったの?」
「さすがに痛み止めの水薬を毎日飲んで何とか誤魔化したんだ。おかげで全部飲み切っちゃったけれど。包帯も1度交換しているし、結構な出費かなぁ」
「薬を自分で持ってるんだ。すごいわね」
「僕たちの場合、誰も助けてもらえない場所で怪我をすることが珍しくないから、最低限の薬を持っていないと最悪死ぬこともあるんだよ」
冒険者として必要であることをユウは強調した。実際に何度も助けられただけに説明したことには強く実感している。
しゃべっている間に歓楽街へと入った4人は目に付いた酒場へと入った。数少ない空いたテーブル席を確保すると給仕女に料理と酒を注文する。
待っている間も4人で話をしていたところ、すぐに木製のジョッキだけが人数分だけ運ばれてきた。全員がそれを手にすると一斉に口を付けて傾ける。しばらく喉を鳴らして飲んだ後、次々に大きく息を吐き出した。
最初に感想を漏らしたのはアデラである。
「はぁ~、生き返るわぁ! 最高の1杯ね!」
「本当にね。これを飲むと生きてることを実感するわ」
「今回は特にそうだよな。毎日獣や魔物に襲われてそれを撃退して、おまけにあの獣人に襲われるなんてな。いやぁ、大変だったぜ」
3人が口々に生きていることの喜びを語った。まだ飲みきらないうちに近くを通りかかった給仕女にエールの追加を注文する。その直後、前に注文した料理が運ばれてきた。
そんな仲間の様子をユウは黙って眺める。思い返すのは狼の獣人との戦いだ。今まで鍛錬をして実践をくぐり抜けてきて相応に強くなったと自負していたが、真正面から戦うと対応するのに精一杯だった。人間の強敵と戦ってきたこともあったが、それよりも強い者たちが種族として当たり前のようにいることに慄然とする。
ふと、かつて教えを請うた先輩や師匠ならどうなのかという思いがよぎった。自分よりはうまく戦えるのは当然として、勝てるかどうかだ。全員勝てるような気がしてならない。そうなると自分はひどく情けないように思えてきた。
身体能力がそもそも違うので勝てないというのは仕方がないことかもしれない。しかし、実際に相対することになったときにそれでは死ぬしかなくなってしまう。それは嫌だった。何とか真正面から戦って勝つ方法はないものかと考える。
「ユウ。なにぼうっとしているんだ。傷がうずくのか?」
「そんなことはないよ。思ったよりも疲れているのかもしれない」
「今回はなかなか大変な旅だったもんな。ほら、お前の肉が来てるぞ」
「ありがとう」
相棒から差し出された肉の盛り合わせを前にユウはそれを食べ始めた。火傷をするような熱さではないが温かい。
旨そうに肉を食べているとユウはアデラに話しかけられる。
「いっぱいお肉を食べて元気だしなさい。でないと、今晩あっちが起たないわよ」
「んっく」
突然の夜の発言にユウは肉を喉に詰まらせた。慌ててエールを流し込む。
それを見ていたアデラが楽しそうに笑った。そして首を横に振る。
「え~、今更こんなことで驚くの? 今までさんざんやってきたのに」
「だからっていきなり言われたら驚くじゃない。普通そうだよね、トリスタン」
「んーどうだろうなぁ。もっと慣れてもいいと思うが」
涼しげな顔でアデラ側に言ったトリスタンにユウは愕然とした。次いでベッテに目を向けるがにっこりと微笑まれて終わる。こちらの結果はわかっていたので驚きはない。
難しい顔をしたユウがつぶやく。
「僕がおかしいの?」
「もっと聞き流せる大人になりなさいってことよ。まだやり足りないんじゃないの?」
「そ、そうかな。いや何かおかしい気がする」
「気のせいよ。今晩も頑張らないといけないんだからしゃんとする!」
「え!? 今日は傷のこともあるからちょっと休もうかなと思っているんだけれど」
「何よ、拒否されたらタダで宿に泊まれないじゃないの!」
「宿泊費のためなの!?」
意外な事実を知ったユウは再び愕然とした。目を見開いてアデラを見る。脇で見ているベッテに笑われ、トリスタンは微妙な表情でそんなベッテに目を向けていた。
そんな楽しい食事は七の刻まで続く。そして、その後はいつも通りだった。




