山越えの手前
刃傷沙汰のあったバステインの町の興行は何とか終わった。さすがに帝都ほどの稼ぎは得られなかったが、まずまずの収入を得て座長のカール一同胸をなで下ろす。
負傷したフィンの代わりに一座で組み手を披露することになったユウとトリスタンは疲れ果てた。やっていることはいつものことだが、観客の前というのがどうにも落ち着かなかったのだ。カールの要求通り派手な動きを積極的に取り入れたことでより好評を博す。トリスタンがユウに追いつくのに苦労していたが、観客に気付かれた様子はなかった。
出発の日がやってくると、旅芸人一座は毎度の通り商売人の集団と一緒に次の町を目指す。ただし、旅の最中の護衛からフィンは外された。負傷の快癒に目処がつくまで安静にするためだ。野獣の山脈に差しかかると嫌でも働いてもらうことになるため、今のうちに傷を治してもらわないといけない。
バステインの町からは人外の街道になる。次のベモの町から先は獣や魔物だけでなく、獣人も出没する地域なので結構な危険地帯だ。2日ほど街道に沿って南に進むと地面が傾いてくる。高原地帯に入ったのだ。ルゼンド帝国はこの辺りまでで、ここから先はベモの町を中心にしたベモ自治領の領域である。ルゼンド帝国の傘下にある自治領なので事実上の帝国だが、行政区分上は明確に違った。
このベモ自治領は野獣の山脈の東端、高尊の森の北西端、生死の湖の領域の西端に位置している。人外の街道沿いにある高原上の中継拠点の町だ。モーテリア大陸西部に向かう者はここで準備をし、大陸北部へやって来た者はここで一息つくのである。
旅芸人一座はそんな町に4日かけて到着した。盗賊に襲撃されることもなくたどり着けたことに一同は喜ぶ。
町の郊外で旅の集団から離れた旅芸人一座の荷馬車は街道から少し離れた場所に停まった。すぐにカールが芸人を集めるとフィンに話しかける。
「フィン、怪我の具合はどうだ?」
「ましにはなってきましたが、さすがにまだ」
「旅をしながらだからな。ここから先はお前にも働いてもらわないといけないから、ここではゆっくりと休んでもらいたい。みんな、ベモの町では4日間滞在する。興行はしないから充分に休んでくれ。ただし、フィンの怪我の具合によってはもう少し滞在するかもしれないから、それは頭の片隅に入れておいてほしい」
座長から伝えられた芸人たちはうなずくと解散の合図と共に歓楽街へと足を向けた。
今回、ユウとトリスタンはアデラとベッテだけでなく、エドウィンとフィンの2人も加えて酒場へと向かう。フィンの左腕の包帯がちらりと目についた。
歩きながらトリスタンがフィンに声をかける。
「フィン、実際のところ、4日でその傷は何とかなりそうなのか?」
「完治は無理だろう。でも、安静にしていればかなり治るはずだ。街道を歩いてる間にも少しはましになったからな」
「こっちは元々護衛の仕事を引き受けているから別に構わないが、戦える奴が1人増えるっていうのは重要だからな。特にこれから向かう野獣の山脈は危ないんだろう?」
「そうなんだ。俺もせめて自分の身を自分で守れるようになりたいと思う。できれば仲間を守れるようにもなりたいが」
真面目な顔のフィンがトリスタンに返答した。若干思い詰めているようにも見える。
そんなフィンの肩をエドウィンが軽く叩いた。そして、良い笑顔で励まそうとする。
「心配しなくてもいいよ。いざとなったらぼくは逃げ回るからさ。こういうとき、軽業師で良かったと思うよ。獣人の攻撃も躱しきってやるんだ」
「1度や2度くらいならお前も逃げられそうだな。ただ、山道は足場が悪い。うまく立ち回らないとすぐに追い詰められてしまうから気を付けるんだぞ」
「そこはそんなに真面目に答えなくてもいいんだよ。気勢を上げてるだけなんだからさ」
困った顔のエドウィンが驚いた表情を返してきたフィンを諭した。それを見たアデラが楽しそうに笑い、ベッテが苦笑いをする。
良さそうな酒場を見繕った6人は中に入ってひとつのテーブルを囲んだ。給仕女に料理と酒を注文すると話を続ける。
「ユウ、トリスタン、1度お前たちの組み手を見せてもらったが、大したものだな。オレが現役の傭兵だった頃よりもよっぽど動けてるじゃないか」
「先輩や師匠が良かったんだ」
「強い人たちだったんだろうな。正直とても羨ましい」
「運が良かったと思う。出会っていなかったら、今頃死んでいたんじゃないかな」
「そこまでか。トリスタンは誰に習ったんだ?」
「剣は人に教えてもらったことがあるが、体術は我流なんだ。ただ、ユウと一緒に旅をすることになってからは、あいつから色々と教えてもらっているぞ」
そこからユウとトリスタンの身の上話が始まった。主に武術をどう習ったのかという話をフィンが興味深そうに聞く。その間、アデラとベッテは食事に集中していた。
次いでエドウィンがトリスタンに尋ねる。
「それで、これから山越えが始まるわけだけど、獣人と戦えそうかい?」
「やってみないとわからないな。実際にどのくらいすごいのか見てみないと何とも言えないよ。もっとも、ユウと組んで2対1で戦ったら勝てそうな気もするが」
「おー、それはすごいね。ぼくなんて3対1でも勝てる気がしないよ」
「それは普段戦っていないからだろう。でも、軽業師のエドウィンよりも素早いのか。獣人相手は大変そうだな」
質問に答えた後、トリスタンは少し難しい顔をして黙った。矢面に立って戦うだけに不安があるのは見ていて良くわかる。
しばらくは獣人の話に終始したが、やがて話題は別のものに変わった。すると、アデラとベッテも積極的にしゃべるようになる。今は大陸西部の流行が気になっているようだ。
こうして七の刻頃までユウたちは楽しく食事を続けた。
翌日、ユウとトリスタンは冒険者ギルド城外支所へと足を運んだ。獣人関係の情報を求めたわけだが、バステインの町とさほど違いはなかった。現在の峠越えの街道沿いでは特に言うべき事もないと返される。たまに獣人に襲われる隊商があるそうだが、それは例年通りなので驚くことではないらしい。
そこでユウは獣人が傭兵として働いているということを思い出した。受付係に尋ねてみると確かにそのような獣人の傭兵はたまに見かけるとのことだ。しかし、冒険者になる獣人はほとんどいないのでこのギルドではほぼ見かけないという。その姿を見たいのならばこの辺りを往来する傭兵団か郊外の隊商を探すしかないと教えてもらった。それでもこの町で見かけることは少ないと忠告されたが。
時間に余裕のある2人はベモの町の郊外を歩いて回った。あんまりじろじろと見るのは良くないので長時間見つめることはしない。しかし、どこを見ても人間ばかりだった。
丸1日費やして成果なしだった2人は酒場のカウンター席でぐったりとする。
「うーん、見つからなかったね」
「1人くらいいると思ったんだけれどなぁ。山向こうのこちら側には滅多に来ないのか」
「僕はそう思う」
「これなら、山を越えてきた傭兵か冒険者に話を聞いた方がいいかもしれないぞ」
「1回やってみようか」
相棒の意見を受け入れたユウは2人揃って酒場内で耳を澄ませた。近場では山越えした人はいなさそうだったので店内を少し歩いて回る。そうして、ようやく見つけた傭兵1人に酒を奢って獣人についての話を尋ねた。しかし、初めて人外の街道を通った上に獣人に襲われていないと返答されてしまう。
とんだ空振りに肩を落としたユウとトリスタンはカウンター席に戻った。情報収集がうまくいかないときはこんなものである。
「ほしい情報が手に入らないのはもどかしいよね」
「これはこのまま出発する可能性が高いな。そういえば、ユウの故郷に獣人はいないのか?」
「いないよ。探したらいるのかもしれないけれど、町の周りや近くの森では見たことなかったかな」
「そうか、駄目か」
「僕の故郷はもっとずっと西側だから、仮に獣人がいても意味がないよ」
「わかっているんだがな。なんていうか、こう、もどかしいな」
ある程度情報は集められたが肝心な部分が抜けている状況にトリスタンが顔をしかめた。気持ちはユウも同じで難しい顔をしている。
結局、ベモの町に滞在している間に獣人の姿を見かけることはなかった。こうなるともう野獣の山脈で遭遇したときにどうにかするしかない。
そうこうしているうちにベモの町を旅立つ日がやって来た。二の刻前に旅芸人一座の荷馬車へと向かう。最近は日の出の時間が遅くなってきたので、宿を出るときと明るくなるときが重なるようになってきた。
出発の準備が整うと荷馬車が動く。ユウたちもそれに合わせて歩き始めた。




