石製寝台に眠る者
ユウが戦いに復帰してからしばらく後に盲目鰐は倒れた。思った以上に時間がかかったのはトリスタンがほとんど1人で奮闘したからである。結局、尻尾による打撃で受けた衝撃は戦いが終わるまでユウの体から抜けきらなかったのだ。
牽制するので精一杯だったユウは空の石棺に腰を下ろした。どうにも体が重い。
魔物の死骸を迂回してやって来たトリスタンが心配そうな顔を向けてくる。
「ユウ、大丈夫か?」
「ちょっと微妙かな。石棺に叩きつけられたから、動くのが少しつらいんだ」
「ここを出るのは休んでからにした方がいいな」
「そうだね。とりあえず荷物を」
戦いの途中で床に置いた背嚢のことを思い出したユウは地面に目を向けた。白いもやのようなものが床をゆっくりと流れている。
最初にユウの脳裏に浮かんだのは雪だった。真っ白という点が一致していたからだ。しかし、雪は雲のように床を流れたりはしない。
立ち上がったユウは松明の明かりを頼りに白いもやが流れてくる先へと進む。異変に気付いたトリスタンも後に続いた。
白いもやが流れてくる元はすぐに見つかる。ある石棺の石の蓋が開いていて、そこからあふれ出しているのだ。
その光景を目の当たりにしたユウが硬直する。これは、いつか見た光景だ。石棺は長期間眠りにつく者を保存するためのものであり、これにより理論上は数百年も利用者を生かしておける魔法の装置である。
石の蓋が開いたことにより液体は猛烈な勢いで気化していた。しばらくはこの状態が続くだろう。
「なぁ、ユウ。これ、どうなっているんだ?」
「あの石棺で眠っている古代人がこれから起き上がる準備をしているところなんだよ」
「前に話してくれたあの古代人と同じようにか?」
「たぶん。あの石棺がちゃんと動いていたらだけれども」
「どうして今になって復活しかかっているんだ?」
「さっきあいつに吹き飛ばされたときに、たまたまあの石棺の上に叩きつけられたからだと思う。さすがに避けようがなかったし」
話ながらも白いもやが溢れる石棺から2人は目が離せなかった。先程よりも吹き出す勢いは穏やかになっている。
白いもやは相変わらず吹き出ていたが次第にその勢いは弱くなっていた。石の箱の中はまだもやで満たされているが、もうあまり外には流れてこない。
会話が途切れてから黙っていた2人だったが、やがてトリスタンがユウに声をかける。
「これ、いつまでじっとしているんだ?」
「あの中から人が起き上がってくるまでだよ。生きていればだけれど」
中から人が起き上がってくるまではわからないとユウは思いつつも、恐らく誰かが起き上がるんだろうなとぼんやり思った。石の蓋を開けて成功したときと失敗したときの事例をどちらも見たことがあるだけに、この予想は確信に近い。
答え合わせのときがやって来た。それまで緩やかになっていた白いもやの一部が突然せり上がったかと思うと、人の上半身が現れたのだ。白い肌で彫りの深い顔の赤みがかった金髪の美女で、白い貫頭衣らしきものを身に付けている。
美女はゆっくりと周囲を眺めていた。その表情は寝ぼけているようであり、または状況を理解できていないようでもある。しかし、唯一の光源であるユウたちへと目を向けたときにその表情が変化した。
「? !」
明らかに表情を強ばらせたその顔を見たユウは既視感を覚えた。相手からすると暗い場所で目覚めた上に、未開の蛮族のような格好をした正体不明の男が2人自分を見ているのだ。理解不能な上に意味不明でもあることは察しがつく。
以前の経験を踏まえてユウは自分から話しかけることにした。このままでは埒があかないし、相手はどう接して良いのかわからないのは明白だからだ。石棺ひとつ分だけ近づいて異界諸言語で声をかける。
「僕はユウ。あなたは誰ですか?」
「あ、え?」
「あなたは今、とても混乱していますね。自分が想像していた状況とあまりにも違うので」
「異界諸言語? 帝国語は話せないの?」
「帝国語、教えてもらった。だから、少し、話せる。でも、単語だけ」
かつて古代人に教えてもらったわずかな単語が役に立った。ユウは古代語である太陽帝国語の単語を何とか並べて答える。すると、美女が頭を抱えるのを目にした。そうだろうなと同情する。しかし、ずっとこのままというわけにはいかなかった。再び異界諸言語で話しかける。
「あなたは異界諸言語を話せますか?」
「あなた、えっと、ユウ。ユウの言語は少しわかる」
「少し」
「そう、少し。そして、ユウは帝国語を少しだけ話せる」
「その通りです。帝国語は単語しか話せないです」
「わかりました。では、ユウの知っている異界諸言語と私の知っている帝国語で話します」
「わかりました」
前回の経験を活かせたとユウは喜んだ。初めて接した古代人から心理的な状態もいくらか聞いていたのが功を奏したと考える。とりあえず、片言でも言語が通じることがわかって本当に安心した。
自分の気持ちも落ち着いたところでユウは再び異界諸言語で問いかける。
「改めて、僕はユウ、隣がトリスタン。あなたは誰ですか?」
「私は、私はマガ」
石棺の中に座ったままの美女がようやく名乗った。その表情はまだ硬い。
名前を聞いたユウの第一印象は変わった名前だなというものだった。しかし、古代人の一般的な名前など何も知らないのでそのまま受け入れるしかない。
そこまで考えてユウはちらりとトリスタンを見た。そういえばまだひとつ大切なことを教えていないことを思い出す。
「隣のトリスタンは現地語しか話せません。帝国語も異界諸言語も使えないんです」
「わかりました。しばらくユウが通訳してください」
お互い不得意な言語で話をしているので会話が非常にたどたどしい。ユウももどかしい思いをしているが、不安という意味ではマガの方がかなり大きいはずなので我慢する。
とりあえず、会話という最も基本的な項目をユウは一応解決した。言葉が通じるのならばできることは一気に増える。
次いでユウはマガに現在について説明することにした。前の古代人とのやり取りで、前提となる知識や常識が異なると意思疎通が難しいことを理解している。そのため、前に古代人とやったように常識のすり合わせを始めた。
かなり時間がかかるということを伝えると、ユウはマガに現在の世界の状態と知識や常識を教える。今回が2度目なので、相手が何を知りたがっているか、何を教えれば良いのかがある程度わかっているのは非常に楽だ。
最初は驚いたり頭を抱えたりと忙しかったマガも現在の状態を理解するにつれて態度が落ち着いてきた。それでも顔をしかめることはまだ多いが、大きな落差を深刻に受け止めることは少なくなる。
また、現在の常識を教えるときにユウはトリスタンに実演してもらった。直接言葉を交わせないのでずっと手持ち無沙汰だったからだ。また、マガと接する機会を増やすことで互いにどんな人物なのかを理解してもらおうという意図もある。言葉が通じなくてもわかることはあるのだ。
長時間の教導の末にマガは少し渋い表情を浮かべた。しばらく沈黙してから口を開く。
「ありがとう。今がどうなっているかある程度わかったわ」
「とりあえずは良かったね。これからが大変だろうけれど」
「そうなのよ。ああもう、なんでこんなことになったんだろう」
もう何度目かわからないため息をついたマガを何とも言えない表情でユウは眺めた。前の古代人もそうだったが、現状を正しく認識してなおかつ冷静に受け止められるのは素直にすごいと思う。自分が同じ立場だったらどうだろうと考えて背筋が寒くなった。
そこまで考えてユウはマガの状態を改めて見る。白い貫頭衣のようなものを着て石棺の中で座っている状態だ。さすがにこのまま連れ回すわけにはいかない。
自分の背嚢を探し出して持ってきたユウはその中から衣類一式を取り出した。ウール製のチュニックとズボン、それに革のブーツと外套である。
「マガ、そのままじゃ外に出られないだろうから、これを着て。前に僕が着ていた服だけど、洗ってあるからきれいだよ」
「ありがとう。これは、ユウたちほどには臭くないわね」
何気なく告げられた言葉にユウは衝撃を受けた。そういえばと思い返して、自分が昨年の7月以来体も服も洗っていないことに気付く。そろそろあれから1年だ。こんなに長い期間洗っていないのは近年なかった。
異界諸言語がわからないトリスタンに説明を求められてマガの言葉を伝えると苦笑いされる。相棒は大して気にならないらしい。
ベルトがないことを指摘されたユウは麻の紐で代用することにする。それをナイフで切りながら、また体と服を洗いたいと小さくため息をついた。