年明けの作業
年が明けた。旧年は完全に過ぎ去り、新年がついに始まったわけだ。しかし、だからといって何かが変わるわけではない。昨日と同じように今日が続くだけである。
ユウはこれで冒険者になってから丸5年、旅に出てから丸3年が過ぎた。そろそろ銅級の証明板を持っていても不思議ではない活動期間であり、故郷を旅立ってからそれなりの年月が過ぎた頃でもある。
そんなユウは新しい年を船の上で迎えた。他の船員と同じ部屋で毛布にくるまって寝台の上に横たわっていたのである。昨日と違う点は新たな仕事に就いた点で、今日からは再び1日中働くわけだ。
今回、ユウとトリスタンは『速き大亀』号で働くことになったが、ユウはバシリオの下で働くことになった。これは前にも調理場で働いたことがあるという実績を買われてのことだ。一方、トリスタンはセリノの下で働くことになっている。
調理場で働くということは最も早く起きるということだ。何しろ二の刻までに朝食を作っておかないといけない。なので、一の刻頃には起きておく必要があった。
先に起きたバシリオに起こされたユウが目を開ける。まだ夜中なので辺りは真っ暗だ。しかし、バシリオの右手付近はぼんやりとした明かりが灯っている。角灯だ。一方向にだけ穴がくり抜かれてそこから明かりが漏れるように広がり、強い獣臭がする。
「ふぁ、おはようございます」
「船首に行くぞ」
「火なんて使って大丈夫なんですか?」
「こいつはどの方向に向けても蝋燭は常に立つような仕組みになっとる。だからいくら傾けても心配いらん」
船尾付近の船員室から船首までユウはバシリオとともに歩いた。真っ暗な船内の通路に角灯のあかりがぼんやりと浮かび上がる。
船首の調理場にたどり着くと最初にすることは視覚の確保だ。室内の燭台の蝋燭に火を移して周りが見えるようにする。
朝食の材料は前日に船倉から運び込まれているので取りに行く必要はない。このような暗闇の中で樽や木箱を運ぶのは危険だからだ。
塩漬け肉の入った樽の蓋を開けたバシリオが包丁を持つ。
「ユウ、肉を切るぞ」
「わかりました。切ったやつを入れるのはこの木箱ですか?」
「そうだ。さっさと終わらせるぞ」
2人は向かい合って塩漬け肉を包丁で切り始めた。ぼんやりとした明かりの下、黙々と樽から取り出した肉の塩を払って均等に切る。
規則的に揺れる船上でユウは指先に集中して切り続けた。手元が狂って自分の指を切ってはたまらない。ところが、意外なところからその集中を乱そうとする原因が現れる。
「しかし、やっとまともに手伝えそうなヤツが来てくれて助かったわい」
「え?」
「さすがに1人で毎食何十人分も用意するのはきつすぎるからな」
「他の船員の人は駄目なんですか」
「樽や木箱を運ばせるくらいなら誰でもいいんだが、この調理ってやつになると任せられるヤツは途端に少なくなっちまうんだなぁ」
「つまみ食いでもするんですか?」
「多少なら見逃してやるんだが、すぐ調子に乗って好き放題しようとしやがるんだよ」
そこからバシリオの愚痴がとめどなく溢れてきた。もう歳なので誰かと一緒に作業しないと厳しいが、それを任せられる船員が少なすぎるといろんな言葉で繰り返される。余程困っていたらしい。
ただ、それを聞かされるユウはなかなか厳しい状態だった。うまく聞き流しながら作業ができれば最良なのだが、まだ船上での調理にはそこまで熟達していないのだ。しかし、だからといってバシリオに黙るよう要求もしにくい。その結果、今のユウは戦っているとき並に集中する必要があった。
塩漬け肉の切り分けが終わると次はビスケットと乾燥果物の木箱を空ける。そして、最後に薄いワインの入った樽の蓋も開けて準備完了だ。終わってみればほぼ塩漬け肉の切り分けだけが大変だった。
手を払ったユウがバシリオへと振り向く。
「他に何かやることはありますか?」
「今はもうねぇな。後はメシをもらいに来るヤツを待つだけだ」
「あとどのくらいでみんな来るんでしょうね?」
「お前が思った以上に手慣れてたから作業が早く終わっちまった。だからまだかなり先だろうよ」
「空いている時間に何かできることがあったらやりますよ」
「こんな暗い中で作業しても危ねぇだけだ。寝とけ」
「良いんですか?」
「この炊事担当はな、朝早くて夜遅いんだ。だから、昼間でも寝られるときに寝とかなきゃ体が保たねぇんだよ」
調理は作り始めから食器や道具の片付けまでが作業の範囲だ。そのため、今のような朝食前の作業から夕食後の後片付けまで作業時間は意外に長い。ただ、合間合間に休める時間はあるのでそのときに眠るのだ。
その話を聞いたとき、ユウはまるで野営をしているときみたいだなと思った。これが出航中何十日と続くのだ。もちろん以前の航海でも炊事を手伝ったことはあるが、用意する人数が今よりずっと少なかったのでもっと間があったのである。
この船の事情を理解したユウは椅子に座って壁にもたれかけて目を閉じた。次第に意識が遠のいてゆく。
「ユウ、起きろ!」
「はい? あ」
頭を上げたユウはバシリオが船員に朝食を配っているのを目にした。慌てて立ち上がる。
「寝るのはいいが、外から足音が聞こえてきたら起きられるようになっとけ」
「完全に野営のときの仮眠じゃないですか」
「いい例えだな。そんなもんだと思っとけ」
「はは、早速怒られてんな、新入り」
朝食を食事用の袋に入れてもらった船員が面白そうに笑っているのを見て、ユウはしょんぼりとした。それがまた一層笑いを呼ぶ。
楽しそうに出て行った船員と入れ替わるように次の船員がやって来た。今度はユウが朝食を配る。口を開けた食事用の袋に切り分けた塩漬け肉とビスケット数枚と乾燥果物をひとすくい入れた。そして、最後に薄いワインを水袋へと注ぐ。
これを皮切りに次々と船員がやって来るようになった。すぐにバシリオと2人で延々と朝食を配るようになる。その中にはトリスタンはもちろん、船長のアラリコや甲板員のセリノもいた。
二の刻の鐘が鳴り終わってしばらくするとやって来る船員はいなくなる。これで朝食の配給は終わりだ。この次は後片付けだが、その前にやることがある。
「ユウ、ワシらも朝メシにするぞ。片付けは後だ」
「それじゃ食事用の袋に入れますね」
「そのまな板の上で食ったらいいぞ。どうせ後で洗うからな」
「えぇ、良いんですか、それ」
「誰も気にしたことなんてねぇぞ。第一、あれに入れるなんて面倒だろ」
しゃべりながらバシリオがその通りにするのを見てユウは呆然とした。どうせ後で洗うのだからという心と共用の調理道具でそれはどうなのという心がせめぎ合う。しかし、最後は前者がかろうじて勝ってしまった。そのため、ユウも同じようにまな板の上に自分の食事を乗せる。
小さく切った塩漬けの肉を口にしたユウは微妙な表情を浮かべた。久しぶりの味に薄いワインを口にする。ビスケットは噛みちぎるのに苦労し、すぐに口の中が乾いてやはり薄いワインを口にした。そのワインの味も微妙である。一方、初めて食べる乾燥果物は確かにその果物の味がしたが、水分がないためかなり濃い味になっていた。
結局、どれも船の上で食べる味だということだ。そう思ったとき、ユウは妙に納得した。
朝食が終わると次は片付けだ。空の木箱や樽は蓋をして調理場の隅に置いておき、船倉から新しいものを持ってくるときに代わりに持って行くことになる。調理道具は海水か雨水で洗うことになるが、真冬の今はこの作業は冷たくてなかなかにきつい。
そういった片付けをしていると、調理場の外が慌ただしくなっていることにユウは気付いた。朝食を終えた船員が出港準備をしているのだ。前回の船旅ではあちら側で作業していたことを思い出す。
そのとき、ユウの頭にひとつの疑問が湧いた。それをバシリオにぶつけてみる。
「バシリオ、海が荒れているときの食事の用意ってどうするんですか?」
「荒れ具合にもよるが、ひどいときは肉を切れねぇからビスケットと乾燥果物だけになる。嵐になるとさすがに配れねぇが」
「ああ、やっぱりそうですよね。そもそも食べる余裕なんてないでしょうし」
「まぁな。前の船に乗ってたときはどうしてたんだ?」
「同じでしたよ」
「そうだろうなぁ」
大きくうなずくバシリオを見ながらユウは自分の経験が一般的なものだと知って安心した。とりあえずはやっていけそうだと自信を持つ。
会話をしながら作業をしていると、何か重い物がこすれる音がユウの耳に届いた。バシリオによると碇が巻き上がっているとのことだ。それを聞いたユウは出港が間近なのを知る。
船が動き出したのはその後間もなくしてからだった。




