東端地方の西の端
晴天ではあるがあちこちに雲が点在しているこの日は雪は降っていなかった。しかし、風は少し強く、海の波はやや荒れている。冷たい浜風は遮る物がない平原を容赦なく吹き抜けていった。
そんな中、ひとつの荷馬車の集団が東から西へと進んでいる。地平線上に目的地が見えてからも速度を変えることはない。ただ黙々と進んでいた。
目の前の町から鐘の音が鳴り響く。太陽の位置と合わせて考えると四の刻だというのはすぐにわかった。それでも荷馬車の集団は止まらない。町まで一気に進んでしまうのだろう。
その町はウェスニンと呼ばれていた。北モーテリア海に面する港町で東端地方では一般的な造りをしている。町の中心は石造りの城壁で囲まれており、港と城外の貧民街と市場などは土塁と木製の柵と堀に囲われている。ここもまた蛮族に襲われることがあるのだ。
荷馬車の集団は東端の街道に沿って町に到達する。木製の防壁の真ん中にある門は大きく開かれており、城門のように検問所はなかった。なので、荷馬車はそのまま防壁の奥へと入ってゆく。
門近くの空き地、城門に続く街道の脇へと荷馬車の集団は向きを変えた。すべてがそこに停車する。その直後、中から人が次々と出てきた。
最後尾の荷台からユウとトリスタンが出てくる。自分の荷物を引っ張り出して背負うと相棒と共に商隊長のところへと向かった。
商売人レナードヴィチの姿を見つけるとユウは声をかける。
「レナードヴィチさん」
「お前らか。これで契約は完了だな。ほら、報酬だ」
「はい、確かにありますね。それでは、僕たちはこれで失礼ますね。お世話になりました」
簡単な別れを告げるとユウとトリスタンはレナードヴィチから離れた。そのまま隊商から離れようとすると、若い人足のひとりから声をかけられる。ユウではなくトリスタンにだ。そちらに向かうとある荷馬車の裏手に連れて行かれる。
「どうしたんだ?」
「この前蛮族に襲われたときに助けてもらったときのお礼をしていなかったから、今しようと思って。はい、これ」
「干し肉と黒パン?」
「昼ご飯まだでしょ。うちの旦那、ケチだからこのまま昼なしで終わらせようとしてるのミエミエだからあげるよ」
「お前、こんなことしていいのか?」
「どうせ鍋に何人分の食材が入ってるかなんてわかりゃしないんだから平気だよ」
「そっか、ありがとう」
荷台から引き抜かれた干し肉と黒パンを受け取ったトリスタンが人足に笑顔を向けた。
先日の蛮族来襲で人足が殺されかけていた件はユウも話を聞いている。あれから親しげに話をしているところをよく見かけていたことを思い出した。相棒から干し肉と黒パンを分けてもらうとユウも人足に礼を述べる。
今度こそユウたちは本当に隊商から離れた。
両手に食べ物を持って2人は防壁内の街道を歩く。海の臭いを嗅ぎながら周囲を見た。雰囲気は他の港町とそれほど変わらない。
それまで黙っていたユウがつぶやく
「やっと西の端にたどり着いたねぇ」
「随分と感慨深そうじゃないか。なんか東の果てを見たときよりも感動していないか?」
「ええ? そうかなぁ」
「俺もやっと着いたとは思っているけれど、うーん、何というか」
ユウの態度を見ていたトリスタンが何やらもどかしそうに身悶えた。
残念ながらユウにはその理由はわからない。困惑しつつも見守るしかなかった。
そんなユウに対してトリスタンが間を置いてから話しかける。
「ところで、これからどこに行く? この昼飯も食べたいが、場所がないんだよな」
「宿はまだ早いし、酒場に持ち込むのは気が引けるし、歩きながらっていうのはできれば避けたいし、うーん。あ、冒険者ギルドに行こうか」
「あそこで食べるのか? 立って?」
「打合せ室かテーブルがあるはずだから、そこに座って食べよう。どうせ聞かないといけないことがあるんだし」
「あそこしかないか。なら、行こうぜ」
同意した相棒と一緒にユウは途中出会った人に道を聞きながら冒険者ギルド城外支所へと向かった。元々防壁内の城外地域は広くないのですぐに見つかる。
この町の城外支所も大きくはなかった。やはり、あまり多くの冒険者がいないのだろう。それでも造りはどこの町でも同じようで必要最低限の施設は備えていた。出入口から中に入ると正面に受付カウンターがあり、左側にいくつかの古いテーブルと椅子が置いてある。
目的の設備を見つけたユウはトリスタンと共にテーブルのひとつを占めた。荷物を脇に置いて席に座る。
「やっと人心地付いたね」
「まったくだ。それじゃもらった昼飯を食べるか」
「うーん、やっぱり黒パンは硬いね。鍋に入れる用だからこんなものか」
「この黒パン、干し肉よりも硬くないか?」
もらい物ではあったものの、素直な感想を言い合いながらユウとトリスタンは昼食を口にした。普段は使わない場所で食べるのが少し新鮮に感じる。
改めて室内を見たユウだったが、入った当初から人の出入りがほとんどない。ここの冒険者は一体何の仕事をしているのか不思議に思う。だからこそ、村の警備隊が安定した職業として勧められるのかもしれないと考えた。
食事が終わった2人は食休みも済ませると席を立つ。そうして、受付カウンターの前に立つ職員へと向かった。
あと少しでたどり着くというところでユウは相手から話しかけられる。
「見ない顔だね。何の用かな?」
「カウンの町からやって来た冒険者です。東端地方から別の地方へ行きたいので船の仕事を探したいんですが、今ありますか?」
「ここから西へ行きたいと。あー、惜しいな。3日前までならあったのに」
「えぇ!? ということは、今はないんですか」
「カウンの町へ行く船の依頼ならあるんだけどな」
「それじゃここまでやって来た意味がないじゃないですか」
「はは、確かに。しかし、ノモの町行きもオーリア市行きもないのは確かだ」
「次に西へ行く船の仕事はいつ舞い込んで来そうですか?」
「本当なら毎週1隻くらいは来るはずなんだよ。でも、いろんな理由で遅れたり途中で引き返したり沈没したりするからはっきりとしないんだ」
申し訳なさそうな顔つきで答えてくれる受付係の回答を聞いたユウは曖昧な表情でうなずいた。船の仕事をした経験があるので、その色々な事情は大体察しがつく。ただ、だからといって簡単に引き下がれるわけではないが。
「週に1回やって来る予定ということは、年内に船が来るかもしれないんですよね」
「そりゃ可能性で言えばあるよ。何週間も来ないときもあれば、数日中に連続してやって来るときもあるからね。ただし、ここの港にやって来た船がいつも冒険者ギルドに仕事の依頼を出すとは限らないよ」
「あー、そうかそうですよね。ということは、毎日ここに通うしかないわけですか」
「熱心だな。週に1回で充分だろうに。あるいは週に2回くらいかな」
残念な返事しか聞けなかったユウは肩を落とした。警備隊の満期除隊証明書を出して依頼を引っ張り出したい気分だが、そんなことはできるはずもない。
そんなユウに対して受付係が声をかける。
「気長に待つしかないね。春以降なら海も穏やかになってこっちにやって来る船も増えるよ」
「そんなに待つ気はないですよ」
「まぁそう言わずに。もし、長期間待つ羽目になって路銀に困ったら言ってくれよ。安定した仕事を回してやるからな」
「ちなみにどんな仕事なんですか?」
「ここから東にあるバーディの村の警備隊の仕事さ。今熱烈募集中なんだよ」
にこやかに紹介してきた受付係から目を離したユウはトリスタンに顔を向けた。ちょうどトリスタンもユウに顔を向けている。
懐に手を入れた相棒が1枚の書類を取り出して受付カウンターの上に置いた。それを受付係が覗き込むようにして見る。
「ヴィリアンの村の警備隊の満期除隊証明書。なんだ、1度入隊したことがあるんだ」
「だからもうやる必要はないだろ?」
「東端連合に対する貢献度に関してはね。でも今は、路銀が不足した場合の働き口として紹介しただけだよ」
「そっちは気にしなくてもいいよ」
「日銭稼ぎの冒険者が何日待てるかな?」
「わざと船の仕事を出さないってのはなしだぞ」
「その証明書がある冒険者にそこまではしないよ。でも、本当に来ないときは1ヵ月くらい船がこないときがあるからね。特に冬は」
「本当に路銀がなくなりかけたら考えるさ」
「ぜひそうしてもらいたいね」
肩をすくめる受付係に対してトリスタンが挑戦的な目で見返した。実際のところ、2人は砂金や宝石を換金すればいくらでも待つことができるので受付係の目論見が達成されることはない。なので、2人はただ待てば良いだけだ。
とりあえず現状を知ったユウとトリスタンは冒険者ギルドを後にした。




