これからに備えての骨休め(前)
相棒であるトリスタンと古鉄槌を再結成した後、ユウはエンドイントの港町まで歩みを進めた。色々と予定とは違うが、ともかく陸地の東の端と思われる場所までやって来たのだ。
それは良いのだが、これまでの旅がなかなかに厳しかったのでユウたちは疲れ果てていた。それは、隊商護衛の仕事が終わった翌朝は三の刻まで起きられなかったことからも明らかだ。緊張の糸が切れたということもあって体から疲労が抜けきらない。
ざわめきがすっかり落ち着いた安宿の大部屋で、ユウは寝台に寝転がりながら同じく横になっているトリスタンへと顔を向ける。
「トリスタン、起きているかな?」
「起きているぞ。起き上がりたいと思わないが」
「僕も。全身がだるい上にお腹の底が重いんだ」
「俺は足の裏が痺れているような感じがするな。ふくらはぎ辺りまで疲れが詰まっているみたいだよ」
「今は懐も温かいから、しばらく何もしないでおこうかなって思っているんだけど」
「いいね。ちなみにどのくらいのつもりなんだ?」
「何も考えていないよ。1週間くらい休んでも良いんじゃないかな」
「じゃ、そうしようぜ」
どちらもあまり働いていない頭で直近の予定を決めた。荷馬車の護衛のときからは考えられないくらい緩んでいる。
話し終えたユウは反対側に寝転がると自分の背嚢に手を突っ込んだ。少しまさぐってから干し肉を取り出す。
今度は仰向けになるとユウは手にした干し肉を囓った。代わり映えのしない味である。そのまましばらく口を動かした。飲み込もうとしてむせ返る。
横に向いたユウはしばらく派手に咳き込んだ。
休息の始まり方が非常に冴えないことになってしまったユウだが、涙目になりつつものんびりと休日を過ごす。
長い時間をかけて朝食を食べ終えたユウは起き上がった。まだ起きる気のないトリスタンに断りを入れると荷物を持たずに安宿を出る。どこに行くかは何も決めていない。
人口が数千人となかなか大きな町であるエンドイントの貧民街もそれに見合った規模だ。西門の辺りから町の外周の北側に足を向けると市場に入る。最初はみすぼらしい店舗が続いていたがすぐに屋台や露店に変化した。
武具、雑貨、薬、古着、果物、パン、菓子、串焼きと様々な品物が並べられている。雑多だが活気があるので見ていて楽しい。
行き交う人々は様々だ。大半が貧民だが、その中に人足、冒険者、旅人、水夫などが混じっている。いずれも楽しそうにしゃべりながら歩き、店の前で真剣に商品を品定めし、店主と値段交渉していた。
そのままユウは貧民街を西から東へと抜けると、今度は町の東側にある倉庫街に出る。ここから更に東へと向かうとエンドイントの港だ。人足や水夫が忙しく動き回っている。次いでユウが町の南側へと回り込むと川船の船着き場が現れた。こちらも人足と船舶関係者の往来が激しい。
貧民街に続いて活気のある場所だが、前にも何度か港町を見ているのでユウは既視感を覚えた。少なくとも新鮮さはあまりない。
結局町の外周をぐるりと1周するのにユウが思っていたほどの時間はかからなかった。まだ四の刻の鐘さえ鳴っていない。
町の見物をあっさりと終えたユウは安宿に戻った。昨晩寝ていた寝台の上にはトリスタンが横たわっている。しかし、起きているようだ。
ほとんど客のいない大部屋の中を歩いてユウは相棒に近づく。
「ただいま」
「もっとのんびり見物をするかと思っていたが、結構早いな」
「活気はあるけど町の造りはそう変わらないからね。ぐるっと1周して終わったよ」
「ユウのことだから冒険者ギルドに行って話し込むと思っていたんだけどな」
「別に急ぐ必要はないからね。まだ行っていないんだ」
しゃべりながらユウは寝台に座った。腰にぶら下げていた水袋を取り出して口を付ける。
そのとき、町の中から鐘の音が聞こえてきた。2人はお互いに目を向ける。
「ユウ、とりあえず昼飯にするか。酒場に行こうぜ。休みのときくらい、昼もちゃんとした飯を食いたいぞ」
「そうだね。いいかもしれない」
かつてとりあえず肉をたくさん食えと教えられたことを思い出したユウは懐の温かい今なら実行できると考えた。これは体作りのための忠告だったが、いい加減干し肉に飽きていたというのもある。
荷物を持って宿を出たユウとトリスタンは近くの安酒場へと入った。客入りは大体満席だ。少々出遅れた感じで2人はカウンター席が埋まっているのを目にする。反対にテーブル席は2ヵ所空いていた。そのうち、出入口に近い方へと座る。
「僕たち注文します! エールに黒パン2つ、海鮮スープ、それと肉の盛り合わせをお願いします」
「俺は、エールにスープ、それと焼き魚と肉の盛り合わせを頼むぜ」
通りかかった給仕女に注文したユウとトリスタンはすぐに顔を向け合った。どちらも機嫌が良い。
「トリスタン、随分と顔がにやけているじゃない」
「そりゃそうだ。昼間からエールを飲むんだからな。仕事のときにはできない贅沢をするんだから、顔もにやけるってもんさ」
「昼間にお酒を飲むなんていつぶりだろう」
大して意味のない雑談を2人でしていると、給仕女が注文した料理と酒を持ってきた。最初に木製のジョッキに口を付けると、どちらも料理に手を付ける。昨晩の夕食とあまり代わり映えしない品だが、昼に食べるとまた違った味がするような気がした。
ある程度食が進むと手の動きが鈍ってくる。空腹がある程度落ち着いたところでトリスタンがエールのお代わりを給仕女に注文した。
その向き直ったトリスタンにユウが声をかける。
「ご飯を食べ終わった後、昼から何するかって決めているの?」
「これっていうのは決めてないけど、賭場にでも行ってみようかなと思っているぞ」
「賭場かぁ。トリスタンのことだから、娼館に行くと思っていたよ」
「それは晩飯を食った後だな!」
「やっぱり行くんだ」
「そりゃもちろん! まとまった金が入ってしばらく休暇なんだから、行くに決まっているだろう。ここで行かなきゃいつ行くっていうんだ?」
「うん、まぁ、そうだね」
満面の笑みを浮かべるトリスタンにユウは曖昧な返事をした。旅の途中で娼館に行くことを覚えてからすっかりこの調子になった相棒に戸惑うばかりである。
もちろんユウも女性に興味がないわけではないが、他人の姿を見ているとのめり込んで戻れなくなりそうで怖いのだ。なので、ある程度冒険をして落ち着いてからで良いかなと内心で思っている。その落ち着くのがいつなのかはまったくわからないが。
給仕女の持ってきた木製のジョッキを受け取ったトリスタンに次はユウが問いかけられる。
「で、ユウは昼からどうするんだ?」
「町の見物はもうやったし、後は鍛錬か模擬試合くらいしか思い付かないんだけど」
「休みなのに体を疲れさせるのか?」
「そう言われるとちょっと困るんだけど、あれをやらないとなんだか落ち着かなくて」
「ユウは真面目だなぁ。他に何かないのか? 簡単な暇潰しでもいいから」
「う~ん、そうだなぁ。あ、だったら自分の記録でも書こうかな」
「自分の記録? なんだそれ?」
相棒から訝しげな目を向けられたユウは少し前から自伝のようなものを書いていることを説明した。記憶に残っているうちに書き記して忘れないようにするためと伝える。
「なるほどなぁ。貴族でもそんなことはしないっていうのに、ユウは珍しいなぁ」
「空いた時間にやることを何も思い付かなくて始めたことなんだけどね」
「はは、ユウらしいな。でもそうなると、ペンで書ける場所が必要になるよな。どこで書くつもりなんだ?」
「今思い付いたばかりだから、まだ何も考えていないよ。前は宿の個室にあった机を使っていたけど」
「今は安宿の大部屋だから机なんてないよな。この酒場のテーブルを使うか?」
「さすがに嫌がられるんじゃないかな」
「エールの1杯でも注文しておけば文句も言われないって。酒場で酔っ払いながら文字を書いている変人とは思われるだろうけど」
「嫌だなぁ。でもそうなると、後は宿の寝台の上くらいしか書く場所がないんだよね」
「あはは、それはそれで変人扱いだな!」
楽しそうに笑うトリスタンにユウは恨めしそうな目を向けた。酒を飲む客が周りにいる中で書き物をする勇気はまだない。第一、酔っ払った客に絡まれるのがほぼ確実である。
結局、ユウは散々考えた末に安宿の大部屋の寝台で書くことにした。敷き布を剥いで下の木箱を剥き出しにして机代わりにするのだ。ペンを取るユウはつらい姿勢になるが他に案が思い付かない以上は仕方ない。
昼食後、笑顔のトリスタンと別れたユウは何ともいえない表情を浮かべながら安宿に向かう。上手に休むのも才能なのかなとぼんやり思った。




