当てにならない地図
10月最後の週が始まった。草原の草の色はそろそろ変わろうかという頃であり、肌に感じる風もすっかり涼しい。
そんな日の朝、ユウは日の出直前に宿を出て修練場へと向かった。白み始めた空の下を冒険者の宿屋街の路地を歩いてゆく。
冒険者ギルド城外支所の建物の裏側にはウィンストンが立っていた。かつて見たことのある冒険者としての出で立ちだ。槌矛の倍も長い片手半剣が目に付く。
「おはようございます、ウィンストンさん」
「その姿、ほとんど一新したのか」
「盾以外は新しいですよ。服やブーツもです。早く槌矛に慣れたいです」
「使ってりゃそのうち慣れるさ」
機嫌の良いウィンストンは笑いながら歩き始めた。その姿は現役と言われても納得してしまうような威風だ。ユウはその後に続く。
城外支所の建物の裏側から表側に回った2人は冒険者の道に出ると北へと足を向けた。他の冒険者たちと混ざって魔窟の入口を目指す。すると、途端に周囲の視線がウィンストンへと向けられた。その表情は目を剥く者、困惑する者、嫌そうな顔をする者など多彩だ。
入口から通路に入ると音の反響が大きくなる。聞き取りにくいと黙る者がいれば、お構いなしにしゃべる者もいた。ユウとウィンストンは黙って歩く。
2人は最初の部屋にたどり着いた。周囲を見ても相変わらず多数の冒険者が往来している。それは以前と変わらない。しかし、一見同じように見えても以前のような緩やかな雰囲気はなかった。誰もがわずかにでも緊張感を漂わせている。
「ちょっと張り詰めていますね」
「そりゃそうだろう。なんせ同じ道をたどって帰ってこれる保証がねぇんだ。地図が当てになんねぇってのが怖いことだって、みんな改めて認識してるところなんだよ。ところで、お前さんは地図を用意してきたんだよな?」
「昨日してきましたよ。トビーさんにお願いして原本の方を貸してもらいました」
「いつもの資料はどうしたんだ?」
「みんなに引っ張りだこですよ。待っていたら今月中に描き写せないです。ですから、ウィンストンさんの名前を出して原本の方をなんとか貸してもらったんですよ」
今現在魔窟の中は不安定だが、それでも1度にすべてが変わるわけではない。そのため、持ち寄られた地図情報を冒険者ギルドの職員が日々全力で資料としてまとめている。もちろんその資料はすぐに公開されるわけだが、当然正確な情報を望む冒険者たちの奪い合いになっていた。
本来ならばユウもその争奪戦に参加しないといけないのだが、そこをウィンストンの職員権限を使って資料を書き上げるための元資料を見せてもらったのだ。もっとも、老職員の名前を出すと顔が引きつらせた職員の態度から、権限がなくても見せてもらえそうに思えたのは秘密である。
「そりゃそうだな。だが、お前さんの持ってる地図は今のところ正確なんだろう?」
「昨日までは、です。変わっていたら回り道するなり何か考えましょう。それで、西と東、どっちの3階に行くんです?」
「東だ。儂の担当はそっちなんだよ」
「わかりました。早速行きましょう」
最初の部屋からはユウが先頭を歩いた。まだこの辺りは他の冒険者が多数いるので魔物や罠の危険はないからだ。地図を見ながら進んでゆく。
薄らと覚えている前の部屋と通路の配置と今を比べたユウはその差異を実感した。まだ魔窟の入口近くなのでそこまで大きな違いはないものの、それでも前とは確実に異なっている。
おおよそ人の流れに沿いながら2人が進むと大部屋にたどり着いた。そこでユウは2階の地図を取り出して1階のものをしまう。そうして地図に目を落とした。
その様子を眺めていたウィンストンがユウに声をかける。
「ここまで来るだけなら地図を見なくとも人の流れに沿えば良かっただけだよな。なのにどうしてお前さんはそんなに地図とにらめっこしてんだ?」
「魔窟の実際の地形と地図の記載が一致しているか確認しているんです。僕が持っている地図は昨日までの最新の地形ですけど、それが今日の地形と一致している保証がありません。ですから、1つずつ確認しているんですよ」
「そんな細けぇことをしてたのか。で、どうだったんだ?」
「1階の地図は実際の1階と少しずれがあります。次は2階ですね」
「そりゃ困ったな。まぁしかし、行くしかねぇんだが」
説明を聞いたウィンストンがぼやいた。そうして階段を上がってゆく。
場所が2階に移ると人影が一気に減った。2階で活動する冒険者の数は多いが稼ぐために各地へと散るからだ。そのため、ここからは人の流れを追って歩くことはできない。
3階の階段を目指して再び進み始めた2人だが、ある程度進んだ所で立ち止まった。地図と目の前の壁を交互に見たユウが嫌そうな顔をする。
「ここもかぁ」
「どうした。地図と違うのか?」
「はい。昨日描き写した地図だとここってまっすぐ進めるってあるんですけど、壁ができちゃっています」
「ということは、回り込むしかねぇな」
「その先に階段があるとは限らないですけどね。ところでウィンストンさん、ここからだと比較的近い大部屋が2つあるんですよ。どっちに行きますか?」
「そうだなぁ。とりあえずこっちから行くか」
地図を修正したユウはウィンストンに向かう先を尋ねた。地図上だと片方の経路で回り道をすることになった結果、2つある大部屋へと向かう距離に大差なくなったからだ。この先も変化している可能性はあるものの、とりあえず現時点で判断を下してもらったわけである。
行き先が決まると再び地図に沿って2人は進んだ。今のところまだ魔物にも罠にも遭遇していない。冒険者たちはこの辺り一帯をすっかり探索し終えているようだった。
そうして2人はようやく目指していた大部屋の近くまでやって来る。ここで今日初めての魔物に遭遇した。犬鬼18匹である。
「やっとか! 行くぞ!」
通路の先へと喜色を含んだ叫び声を上げて突撃するウィンストンに対して、ユウは槌矛と盾を構えて犬鬼を扉の前で待ち構えた。数は4匹、以前なら対処できた数である。
「あああ!」
突っ込んでくる犬鬼の頭めがけてユウは槌矛を叩き下ろした。先頭の1匹が避けようとしたのでその左肩に当たる。その犬鬼は悲鳴を上げながら地面に転がった。
次いで転がった先頭の1匹の両脇からほぼ同時に2匹が襲いかかってくる。ユウは左手に持つ盾で1匹の牙を防ぎ、右から襲ってくる1匹には振り下ろした槌矛を跳ね上げてその顎を砕こうとした。しかし、その重さに慣れていないせいで反応が遅れ、顎ではなく喉に刺さる。
「ゲゥ!?」
おかしな声を上げて床に転ぶ1匹を尻目にユウは1歩後退した。槌矛の重さに若干振り回されている。稽古で使っていたときよりもうまくいかない。
4匹目の犬鬼が更に右側から襲いかかってくるのをユウはちらりと見る。更に2歩退いた。盾で防いでいた犬鬼がその分だけ前に出る。すると、2匹がぶつかって悲鳴を上げた。そこへユウが2匹の頭部めがけて思い切り槌矛を振り抜く。どちらも一撃で地面に倒れた。そうして姿が消えて魔石が現れる。
この頃になって左肩を潰された犬鬼が立ち上がった。殺意むき出しで再びユウに襲いかかろうとする。しかし、無傷のときとは違って動きは遅かった。
槌矛の重さに慣れないユウではあったが、さすがに負傷して弱った犬鬼では相手にならない。槌矛の感触を確認するように丁寧に振り抜いていった。
思いの外苦戦したユウはわずかに上がった息を整えながら通路の奥へと目を向けた。ウィンストンも戦いを終えて魔石を拾っている。
「そっちはどうだ?」
「終わりました。やっぱり槌矛がまだ重いですけど」
「何度も使って慣れるんだな」
「戦い方をちょっと変えないといけないかもしれませんね。ともかく、この先が3階に続く大部屋です。まず僕が覗いてみますね」
通路の奥にある扉の取っ手を握ったユウはわずかに開けて部屋の中を見た。すると、大部屋の中央に魔物の群れが立っている。様子を確認できたユウはすぐに閉じた。
体を反転させたユウはウィンストンへと話しかける。
「もう1つの大部屋の方に行きましょう」
「どうしてこっちからは行かねぇんだ?」
「中に魔物がいるからです。ということは、ここの大部屋にある階段を使って3階に行った人はいないということですよね」
「今の儂たちは立ち往生してる連中を助けるのが目的だから、誰も上がってない階段を登る理由がねぇってことだな?」
「そうです」
「そういうことならしょうがねぇ。もう1つの方に行くか」
小さくため息をついたウィンストンがうなずいた。今回は稼ぐのが目的ではないのだ。
踵を返した2人は別の場所へと向かうためこの通路を後にした。




