アディの町の中(後)
手にした干し肉を食べ終わったユウは町の北西部にある住宅街に入った。ここは城壁内に住む身元の確かな労働者の住む場所だ。勤め先は騎士や兵士の住宅、神殿や教会、商会や商店などが多い。そのため、労働者としては比較的裕福で一軒家に住む者が多い。
割と整然と並ぶ住宅を眺めるユウは昔の目標の1つがここだったことを思い出した。もう今は叶わない夢を懐かしむ。
他に見るべきものがない住宅街をいくらか見たユウは足を南に向けた。すると、先程見た日用品や各種道具を売っている商店を再び目にする。ただし、旅人に必要な道具は見当たらない。
「あれ、おかしいな? 冒険者関連の武器や防具ってこの辺りじゃなかったっけ?」
首を捻りながらユウは商店を見て回った。行き交う人々も一般の町民ばかりで冒険者は見かけない。仕方なく、とある雑貨屋の店主に声をかける。
「武器屋や防具屋ってこの辺にはないんですか?」
「そりゃ大通り沿いだよ。こんな住宅側にゃ冒険者なんて寄り付かないからな。お前さん、どこから迷い込んだんだい」
「あはは、ちょっと神殿を見て回っていたら、いつの間にかこっちに来ちゃってたんです」
「なんだ迷子か。ちゃんとおうちに帰れよ」
気の良い店主は笑ってユウの質問に答えてくれた。
言われた通りユウは更に南へと進む。確かに大通りに近い場所に冒険者が求める店が並んでいた。武器屋や防具屋はもちろん、雑貨屋、薬屋、古着屋、質屋もある。
たまに店内に入って陳列されている品物を見て回った。質はどれも良さそうだ。気になる値段を店主に尋ねてみると確かに町の外よりも高いが思ったほどではなかった。しかし、町の中のこの手の店で重要なのは魔法の道具である。
「このお店に魔法の武器って売っていますか?」
「売ってるよ。ただし、冒険者ならこの町の中で長期間滞在していることを証明してもらわないと見せられないけどな」
「そうなんですか?」
「やっぱり知らないのかい。魔窟の3階で活動してて、町の中の宿に常泊してるっていう証明板を冒険者ギルドで手に入れるんだ」
まさかそんな物が必要だとは思わなかったユウは目を見開いた。店主は多少呆れていたがそれ以上は何も言わない。
驚きつつもユウはそのまま店を出た。知らないことばかりである。
一旦大通りに出たユウは道が左右に伸びていることを知った。東側を見るとギルドホールの建物が見える。
「ということは、こっちに西門と工房街があるんだ」
顔を西に向けたユウがつぶやいた。アディの町の北側でまだ行っていない場所はそこだけである。昼下がりの時間帯に大通り沿いに西へと進んだ。
両脇が商店街という大通りを西へと向かうと途中から風景が少し変わった。大通りの北側が商店から工房に、南側が商店から食堂である。しかし、当初この食堂をユウはてっきり酒場だと思い込んでいた。いくつかの絵看板を見たことで後に誤解は解けたが、今少しは勘違いしたままである。
大通りの北側にある工房は、日用品、細工物、武具、加工食品などを作っている場所だ。火を扱うパン工房ではサウナを兼業していることが多い。これは町ならではである。
興味のある工房の中を外から眺めると、武器工房、弓矢工房、防具工房などが大通りに軒を連ねていた。いずれにも冒険者が客としており、棚の品物を熱心に眺めたり、工房の親方と真剣に話したり、品物を手に取って感触を確かめたりしている。
路地に入って工房街の奥へと進むと別の工房が現れた。細工工房、製薬工房、裁縫工房、皮革工房、その他にも日用品や加工食品を作っている工房もある。傾向として町民の生活に必要な工房ほど住宅街に近く、冒険者に必要な工房ほど大通り沿いにあった。
興味が湧いたユウはいくつかの工房に入ってみる。その中でも防具工房では親方に品物の値段を聞いてみた。飾ってある軟革鎧を指差す。
「あの軟革鎧っていくらするんですか?」
「銀貨30枚だ」
「え、そんなにするんですか!?」
「たまに勘違いする奴がいるから言っておくが、新品だからな。商店で売ってる中古品とは違うぞ」
「あ、あー」
「客に合わせて1から作るんだ。値が張るのは当然だろう」
言われてみればその通りなのでユウは黙った。そもそも町の中の物は何でも高いということを知っているはずだったが、今やすっかり町の外の値段に慣れてしまっている。何とも気恥ずかしかった。
工房街から大通りに戻ったユウは遠くに西門があるのを見ながら次はどこに行こうか考える。残るは町の南西側のみだ。最後は歓楽街にすると決めているので目の前の酒場は後回しにするとして、そうなると残るは大通りの南側になる商店街と住宅街となる。
一旦東に向かって歩いたユウは商店の並ぶ場所にまで戻ってきた。そこで五の刻の鐘が鳴る。店を回っていると時が経つのが早い。
朝に見た宿屋街に近い商店街だと日用品の他に旅の道具が揃っていたが、東西に伸びる大通りの南側に広がる商店は冒険者に関係する品物が多数揃っていた。往来する人々の中に冒険者が多いのでユウは納得する。
その大通りの南側の商店街の路地に入ってユウが奥に進むと行き交う人々は冒険者から一般の町民に変わっていく。しかし、北側の住宅街の住民に比べて貧しそうに見えた。
やがて商店街を南へと突き抜けると住宅街へと入る。ここの住民も身元の確かな労働者だ。しかし、町並みは北側とまったく違う。一軒家が多い北側に比べて4階や5階という高層建築物が多いのだ。全体的に低所得の労働者が多いからである。
南北で棲み分けがなされていることに驚きつつも、ユウは南側の住宅街の中を歩いた。北側に比べるとやや貧民街に雰囲気が近いが、それでもあの混沌とした場所に比べると別世界である。
ある程度住宅街の中を歩き回ったユウは残る歓楽街へと向かった。歓楽街でも東側一帯に広がる食堂が集まる場所を通る。五の刻の鐘が鳴ってから結構過ぎているが、まだ夕方になり始めたばかりなので人通りは少ない。
「うっ、いい匂いがするなぁ」
大通りへと出るために食堂が並ぶ路地を歩いているユウは周辺から漂う肉の焼ける臭いやスープの香りに気を取られた。先程まではそれほどでもなかった空腹の感覚が強くなる。
思わぬ刺激に困惑するユウは何とか食欲を抑えて大通りに出た。それから西に向かう。西門が見えてきた辺りから酒場の店舗に変わった。そろそろ夕方になろうという時期が微妙なのか、客入りはどこもまだである。
適当な路地に入ってみてもそれは変わらなかった。往来する冒険者にも酔っ払った者はまだいない。これが日没後だと大変な賑わいになるのだ。
いつもの夕食の時間には早すぎるが、ユウはとりあえず適当に入ってみることにした。町の中の酒場がどんなものかまず知るためだ。
路地の両脇に並ぶ酒場からユウが選んだのは石造りの2階建ての酒場だった。ほとんど直感である。店内に入るとほとんどのテーブルが空いていた。目算で2割程度の客入りである。
がら空きのカウンター席にユウは座った。それからすぐ調理場に続くカウンターの端に立っていた給仕女を呼ぶ。
「エールと黒パン3つスープと肉の盛り合わせをください」
「黒パンは2つで銅貨1枚なのよ。だから2つか4つにしてちょうだい」
「鉄貨50枚で、ああそうか、鉄貨は使えないんでしたね」
「そうよ。なぁに、最近町の中に入ったばっかりなの?」
「はい、今朝入ったばかりなんですよ」
「外に比べたら高いけど、その分おいしいわよ。それで、黒パンはどうするの?」
「それじゃ2つで」
「全部で銅貨6枚よ」
普段のほぼ倍の値段に目を見張りつつもユウは懐から銅貨を6枚出して給仕女に手渡した。それからすぐに周囲を眺める。
さすがに町の中だけあって外の酒場よりも少しきれいに見えた。貧民の歓楽街はもちろんのこと冒険者の歓楽街と比べてもだ。建物の造りもしっかりしているように思える。
それにしてもとユウは少し首を傾げた。接触してくるはずの相手は今自分を監視しているのだろうかと考える。見たところそれらしい人物は見かけない。
「まぁ、簡単に見つかるようじゃ駄目なんだけどね。それにしても気になるなぁ」
今までは特に意識せずにいられたが、ユウは1度気にし始めるとどうにも落ち着かなくなった。良くないこととは思うが気にするほど悪循環に陥りそうに思ってしまう。
そんなときに給仕女がやって来た。手にしている料理と酒をユウの目の前に置いていく。
「お待ちどおさま。楽しんでいってね」
笑顔で去って行く給仕女を見送ったユウは料理に目を向けた。心なしかいつも食べていた物よりも旨そうに見える。
生唾を飲み込んだユウはまず木製のジョッキを口に付けた。




