奇妙な噂話
6月の末ともなるともう夏直前である。1日の昼間が長くなるのはもちろん、日差しも強くなるものだ。アディの町でも当然日々寝苦しくなってくる。
ただ、日中の大半は魔窟に入っているのでその間の気温はあまり気にならない。中は年中一定なのだ。外に出た途端、疲労に重ねて暑さが襲ってくるが。
大きな手の面々もその暑さにじわじわと襲われていた。貧民出身のハリソン、キャロル、ボビーは慣れているが、今年の春にやって来たケネスとジュードは少々暑苦しそうだ。
一方、ユウは暑がりながらも慣れていた。かつて南方辺境で更に強烈な暑さを体験していたからである。
そんなユウたち6人は2階の大部屋で少しずつ楽に勝てるようになってきた。各個人の努力が実ったりや連携の練度が上がったりしているのが理由だ。
中でもユウの動きが地味に良くなったことも大きい。体が柔らかくなってきたことで動きにキレが出てきたのだ。今ではハリソン並みに動き回り、パーティの後方を守っている。
そうなると再び上を目指すようになった。場所を選んで3階に登って中を巡る。
現在、室内で大きな手が戦っているのは豚鬼6匹と黒妖犬3匹だ。1人豚鬼1匹を相手にしているところに黒妖犬がまとわりついてくる。
「あーくっそ、鬱陶しいぜ!」
真っ先に魔物とぶつかったケネスが横合いから牙を立てようとしてくる黒犬を避けた。1レテム半の真っ黒な体に暗く光る赤い瞳がすれ違いざまに流れてゆく。
右から左へと黒妖犬が通り過ぎると、ケネスが下がった分だけ豚鬼が前に出てきて棍棒を叩き込もうとする。この連係が実に厄介なのだ。
後方に位置していたユウは豚鬼のみを相手にすれば良かったのでまだましだった。力任せに振るわれる剣を比較的小さい動きで避けると剣を握る手を切り裂く。そして、悲鳴を上げて動きを止めたところで首筋を切った。
明らかに以前よりもユウの動きは良い。当人もそれは実感しており、勢いに乗ってキャロルを襲っている黒妖犬に挑む。動きは犬鬼よりもはるかに良い。しかし、今のユウなら何とか反応できる。
「あああ!」
「ガゥアァ!」
大口を開けて突っ込んで来た黒妖犬に合わせてユウは剣を水平にして叩き込んだ。上顎から後頭部の半ばまでが切断される。次いで前に回ってケネスに噛みつこうとする黒妖犬に斬りかかった。
こうして、ユウが3匹の黒妖犬を倒したことで戦いの形勢は大きく傾く。多少時間はかかったが大きな手はすべての魔物を倒した。
戦いが終わるといつもなら魔石を拾い集めるのだが、3階ではまず休憩だ。魔石が散らばる床に6人が立ち尽くす。
「あー、やっぱまだきついなぁ」
「初めてのときよりはましになってるとは思うが。お前でもきついのか、ケネス」
「楽じゃねぇ。けど、やっぱ戦いってのはこうでないとな!」
「まだ連戦は無理だけどな。ただ、今のうちから少しずつ戦うことに意味はあるだろう。3階に慣れておく意義は大きいと思うぞ」
「だな。ま、こうやって少しずつ戦っていけば、そのうちここで活動できるようになるさ」
呼吸を整えたケネスが背伸びをした。その周囲では他の4人が魔石を拾い始める。
体の火照りが落ち着いてきたユウも近くの魔石を拾っていた。2階までは屑魔石がほとんどだったが3階になると小魔石になる。拾っていて少し嬉しい点だ。
魔石を拾い終わったユウが上体を起こすとキャロルが寄ってくる。
「ユウ、さっきはありがとう。助かったよ」
「いいよ。みんなが楽に戦えるようになると僕も楽になるからね。あの黒い犬はすばしっこいから嫌だけど」
「同感だねぇ。けど、3階といえば魔法の道具が出てくるらしいけど、まだ1度も見かけないよね」
「めったには出ないって聞いているから、こんなものじゃないの?」
「それは知ってるんだけど、どうしても期待しちゃうんだよ」
「気持ちはわかる。ただ、出てもどうせ換金所で取り上げられるってわかっているからなぁ。やっぱりあんまり期待していないかな」
「自分のものにできたらいいのにねぇ」
話を振ってきたキャロルがユウの返答に肩をすくめた。この辺りは誰しもが思うことだ。規制品として魔法の道具がすべて取り上げられるのが嫌で3階に上がらないパーティもいるくらいである。
ケネスから集合がかかると全員が集まった。最後にユウが近寄ると声がかかる。
「ユウ、3階で次の場所に案内してくれ」
「いいけど、階段の近くは他のパーティが先に魔物を倒してるし、他の場所だと大抵罠ありの部屋や通路だよ」
「そんなとこしか残ってねぇのか」
「誰だって進んで罠にかかりたくないだろうしね。それに、まだ3階の襲撃犯は捕まっていないそうだから」
「あーそうだったな。2階の犯人が捕まったからすっかり安心してたぜ」
すっかり忘れていた様子のケネスが苦笑いした。2階の襲撃犯は自分たちが捕まえたが、3階はまだなのだ。ユウたち6人からするとウィルコックスとエルトンたちだと確信しているのだが、もしかしたら本当に別のパーティという可能性も残っていた。
それは他の冒険者たちも同じで、特に3階で活動するパーティは落とし穴のある場所には絶対に近づかないようにしていると噂されている。
ユウに反論されたケネスは黙って考え始めた。代わってハリソンが口を開く。
「そういえば、少し前からこんな噂を聞くようになったな。2階で活動する冒険者の誰かが魔法の道具を手に入れて魔窟のどこかに隠したらしい」
「ああ、その話なら俺も聞いたことがある。換金所で盗られるのがイヤだったらしい」
「ジュードも耳にしていたか。けど、おかしな噂だと思う。どうやって手に入れたかも不思議だが、外に出せないならそんなことをしても意味はないはずなのに」
「いや、そうでもないらしい。というのも、落とし穴で3階から2階に落ちて死んだ冒険者が持ってた魔法の道具を手に入れたそうだぞ。それで、惜しくなって魔窟の中で使うのなら別に外に出さなくてもいいからそうしたんだと聞いたな」
「魔窟限定でか。一体どんな魔法の道具なんだ?」
ここからジュードとハリソンを中心に噂話が始まった。魔窟の中でやることではないが、負担のきつい戦闘をした直後なので事実上の休憩が始まったともいえる。
しばらく話を聞いていたユウは首を傾げた。湧いた疑問を口にする。
「その魔法の道具を見たっていう人は誰なの?」
「それはどこかのパーティのメンバーだろう」
「どこのパーティの人なの? 見た人がしゃべったんだったら、聞いた人はその人のことやパーティについて知っているはずでしょ」
更に何かを言い返そうとしたハリソンが言葉に詰まった。冒険者同士が話をするときは大抵自分の名前と所属しているパーティ名を名乗るものだ。伝言ゲームでその辺りが曖昧になることは確かにあるが、パーティ名は最後まで残ることが多い。
例えば、ユウたちが酒場で喧嘩したことが話題になったとき、パーティメンバーの名前は早々にあやふやになった。しかし、大きな手というパーティ名は最後まで正確に伝わっていたのだ。冒険者たちが自分たちを売り込むときにパーティ名を売り込むのはこのためでもある。
「たまたま魔窟で知らないパーティが魔法の道具を使っていたのを見かけたっていうんだったら、魔法の道具を使っていたパーティの名前が出てこないのは仕方ないと思う。でも、それを見たっていうパーティの名前が具体的に1つもないっていうのは何か変だと思うなぁ」
「オレも同感。知り合いに聞いてみても、噂は知ってるけど魔法の道具を使ってるパーティを見たことのあるヤツはいなかったんだよねぇ」
キャロルもユウの肩を持つ発言をした。噂が事実だとして、魔法の道具を使っていれば絶対に目立つ。魔窟の奥に行くほど他の冒険者と会いにくいとはいえ、出会うときは出会ってしまうものだ。
話の輪が広がってきたところでケネスも口を挟む。
「その話なんだけどよ、魔法の道具を持ってるヤツがそれを隠してるなんて誰に聞いたんだ? 本人か?」
噂話をしていた4人はそこでぴたりと会話と止めた。というより止まった。指摘されてみればその通りで、本人に聞かないとわからないことがさも当たり前のように語られている。
「オレがその話を聞いたとき、それが一番最初に引っかかったんだよ。話してきたヤツに聞き返しても答えてくれなかったし」
「意外と鋭いな、ケネス」
「珍しくジュードがこういう話に食いついてると思ったら、そこは気付いてなかったのか。へー、ほー」
何となく勝ち誇ったようににやにやと笑うケネスに目を向けられたジュードは面白くなさそうに顔を背けた。
そこで話は終わりとなる。ケネスが号令をかけるとユウたちは先に進んだ。




