実際はどんなものなのか
冒険者ギルドの老職員から手ほどきを受けるようになって以来、ユウの体から痛みが消えることはなかった。裂傷や打撲のような痛みではなく、体の内側から湧き上がる痛みだ。
当然魔窟に入るときもその痛みは引きずることになるのだが、疲れだけでなく痛みも抱えるのはユウにもきつい。そこで、試しに痛み止めの水薬を飲んでみたものの、その効果は傷の痛みや頭痛などに限定されるらしく大して効かなかった。
もう本当に慣れるしかないとユウは悟る。より一層新しい朝の鍛錬に力を入れた。一刻も早く体の痛みを取り除きたいのだ。
そんな自分の体との戦いを強いられるユウをよそに大きな手は今日も2階の大部屋に挑む。現状は壁際に寄らなくても勝てるようになったという状態だ。
とある大部屋で犬鬼の群れを倒した後、背伸びをしたケネスが仲間に振り返る。
「とりあえず大部屋を攻略できた感じはするよな、ジュード」
「相変わらず数の多さは面倒だが何とかなってきたとは思う」
「そろそろ3階に行ってみねぇ? どんなもんか様子を見に行くだけでもいいからよ」
「まぁそうだなぁ」
「今は集めた情報から推測して動いてるけどよ、1回やってみて体験した方がそろそろいいと思うぜ。なんていうか、感覚として具体的な距離感をはっきりさせておきてぇんだ」
「言いたいことはわかる。そうか、具体的な距離感か。確かに俺たちは知らないな」
相棒の主張を聞いたジュードが黙って考え込んだ。そのうち3階に上がるつもりではいても、今はその時期をうまく決められない状態でもあった。その感覚を掴むために1度3階を体験しておくというのは悪くないように思える。
黙るジュードから視線を外したケネスはハリソンに顔を向けた。じっとジュードを見ていたパーティメンバーに声をかける。
「ハリソンはどう思う? そろそろ3階を体験してもいい頃合いじゃねぇ?」
「最近は何をやっても手詰まり感が強くなってきたから、1度行くのも悪くないと思う。何をどう対策すればいいのかはっきりとわかるような手がかりが欲しい」
「だよな! 3階での経験は間違いなくきっかけになるぜ。キャロルはどうだ?」
「正直なところわからないねぇ。頑丈な剣としては先の話だと思ってたことだから、今でも順調だと感じてたくらいだからね。ボビーも同じだよ」
「ん、そうだ」
順番に意見を聞いて回るケネスは悪くない反応に気を良くした。いつも慎重だったハリソンまでが前向きになっているというのは大きい。
最後にケネスはユウにも話を振る。
「ユウはどうだ?」
「挑戦したいっていう気持ちはある。同時にどれだけ通用するのかって不安はあるけど」
「その不安はオレだってあるぜ。けど、やってみたらどんなもんかわかるだろ?」
「確かにね。そうなると後は地図があればいいわけだ」
「罠には引っかかりたくねぇもんな」
「実は1枚だけ3階の地図を描いていたりするんだけど」
「なんだユウ、お前もやるきマンマンじゃねぇか!」
「いやちょっと時間の都合上1枚しか写せなかったから、それなら3階にしようかなって」
「いいね! やっぱこういう巡り合わせってあるんだよな!」
ほぼ全員から同意を得たケネスが嬉しそうに叫んだ。そうしてジュードへと向き直る。
「ジュード、行こうぜ!」
「そうだな。1度行ってみようか。ユウ、その描いた地図っていうのはどの辺りなんだ?」
「西側、小鬼が出てくる方だよ」
「数が少ない方だな。だったらいいんじゃないか。ここからだと反対側だから結構遠いが」
「お金を稼ぎながら進むならこのまま2階を通って行けばいいけど、早く行きたいなら一旦1階に降りた方がいいよ」
「稼ぐのは重要だから2階を通っていこう」
「決まりだな!だったらすぐに行こうぜ!」
意見がまとまると大きな手の一行はすぐに魔窟を東側から西側へと突っ切った。今回はやる気を見せるケネスが仲間を引っぱっていく。
昼食を挟んで西側の3階へ続く階段のある大部屋にたどり着いたユウたち6人は小鬼の群れを一掃した。魔石を拾い終えると階段の前に集合する。
「いよいよだなぁ! 高ぶってきたぜ!」
「今回は様子見だからそんなには進まないぞ、ケネス」
「わかってるって。あー楽しみだなぁ」
まるで子供のようにはしゃぐケネスをジュードがなだめた。それから全員で階段を登ってゆく。
初めて見た3階の様子は今までとまったく変わらなかった。通路の幅は10レテム程度、天井までの高さは約5レテム、床、壁、天井を構成する石材には発光素材が混入しているのでぼんやりとした明るさで光っている。
2階に初めて上がったときの経験から予想していた6人は周囲の光景に驚かなかった。それよりも魔物がいないことにケネスは少し落胆し、他の5人は安心する。
「最初はこんなもんか。ユウ、案内を頼むぜ」
「そのまままっすぐ進んで」
罠のない経路を確認しながらユウは前衛のケネス、ジュード、ハリソンに進む先を指示した。3階からは不意打ちもあるので背後も警戒しながら歩く。
最初にたどり着いた部屋は空っぽだった。ということは既に誰かが通った後ということになる。そのまま2つある扉のうち1つを開けて通路に足を踏み入れた。同じく魔物はいない。それを何度か繰り返す。
しかし、ついにとある通路で魔物と出会った。成人男性よりも一回り大きく黄土色の肌をした巨漢で頭部はほぼ豚だ。9匹の豚鬼である。半裸状態で粗末なズボンをはいていたり腰蓑を巻いていたりしており、刃こぼれした槍や棍棒など多彩な武器を手にしていた。それらが一斉に突進してくる。
「ピギィィィ!」
「うぉ!?」
棍棒を全力で振り回されたケネスはそれを躱すと戦斧を目の前の豚鬼に叩き込んだ。棍棒を持っていた右腕を切り落とす。しかし、悲鳴を上げるが豚鬼の戦意は衰えなかった。残った左手で掴みかかろうとする。
ケネスに一拍遅れてジュードとハリソンも豚鬼とぶつかった。ジュードはまだ互角に戦えているがハリソンは完全に押されている。
「ハリソン! ああくそ!」
「ピギャァァ!」
後衛であるキャロルがハリソンを助けようとした。しかし、前衛の間をすり抜けてきた豚鬼とぶつかってしまい、それどころではなくなる。ボビーも同じだ。
いきなり乱戦になってしまったことに驚きつつもユウは刃こぼれした槍を手にした豚鬼相手に戦う。力任せに突き出された槍の穂先を短剣で受け流すと、そのまま相手の手を切っ先で傷つけた。そして、悲鳴を上げて槍を落とす豚鬼に近づいてその首に剣を突き刺す。かつて戦った経験が生きた。
他の五人は色々な差異が出る。ケネスとジュードはアディの町に来る前にいろんな魔物と戦った経験があった。その中には豚鬼もいたので対応できたという。一方、ハリソンとキャロルは魔窟で小鬼と犬鬼しか相手にしたことがなかったのでかなり苦戦した。強い腕力を持った相手との対戦は今回が初めてだったのだ。ただし、同じ初対戦でも巨漢のボビーは腕力で対抗できる分だけまともに戦えた。
今まで魔物個体で見れば楽に戦える相手ばかりだったことから、その個体が強くなったことで大きな手は苦戦する。もはや陣形など関係なく、個別での戦いになっていた。
2匹目の豚鬼を倒したケネスが叫ぶ。
「お前ら生きてるか!?」
「ハリソンの方へ行け!」
同じく2匹目と戦っているジュードの声にケネスはすぐさま反応した。どうにか持ちこたえているハリソンを攻撃する豚鬼の背中に戦斧を叩き込む。悲鳴を上げたその豚鬼を2人がかりで仕留めた。
キャロルが相手をしていた豚鬼を譲り受けたユウはそれを倒すと素早く周囲を見る。まだ戦っているのはジュードとその戦いに飛び込んだキャロルのみだ。それもすぐに終わる。
6人はしばらく魔石も拾わずに呆然としていた。放っておいたらいつまでもそのままのように見えたが、ハリソンの呻きでジュードが我に返る。
「ハリソン、怪我をしたのか」
「最初に押し込まれたときにちょっと腕をな」
「僕が治療するよ。ちょっとじっとしてて」
背嚢から傷薬の軟膏と包帯を取り出したユウはハリソンの右の二の腕の手当てをした。そして、手を動かしながらユウは老職員の言ったことを思い出す。
『あそこを突破するにゃ、地力を上げるしかねぇんだよ。小手先でなんとかなるほど甘くねぇ。その様子じゃ、陣形をいじったり、もっとうまく連係できるように練習したりしてんだろう。それも大切だが、自分の実力を上げねぇとダメだぞ』
その意味をユウは今回知った。過去の経験のおかげで豚鬼とは戦えたが、次の相手も同じように戦えるとは限らない。特に貧民出身の3人には不安がつきまとう。
このパーティではまだ3階は早いということをユウは実感した。




