初心者講習と魔窟講習
安宿の大部屋で眠っていたユウは日の出と共に寝台から起き上がった。毛布を取ると真冬の冷気が体に染み込んでくる。
「ん~、よく寝たぁ」
寝台から立ち上がると同時に背伸びをしたユウは思い切り冷たい空気を吸い込んだ。何しろ遺跡探索のために町を出発して以来、久しぶりの寝床での就寝である。身の危険を感じずに眠れるというのは何よりもありがたいものだ。
周囲の寝台にはあまり人はいない。アディの町を出発する旅人ならば日の出前後に宿を出るからだ。未だ大部屋に滞在している者たちは何らかの形でこの町に用がある。
ユウも町に用事がある者の1人だ。というより、この町の周囲については何も知らないのでどこに行けば良いのかすらわからない。
ともかく、この日のユウもやることはたくさんある。その前にまずは支度だ。背嚢を担いで宿の裏手に回ると人の営みを臭気で示す場所に着く。そこで石や葉っぱを用意してから桶に向かって尻を出してズボンを下ろした。朝一番のお通じである。
「ふぅ。ちゃんとしたところでするのも久しぶりだなぁ」
用を済ませたユウがズボンを上げながら良い笑顔で言葉を漏らした。町での日常をすっかり楽しんでいる。
再び大部屋に戻ったユウは寝台に腰を下ろして背嚢に手を入れてしばらくまさぐった。干し肉はすぐに出てきたがもう1つが出てこない。
緩んだ表情を引き締めたユウは背嚢の中から水袋をすべて取りだした。1つずつ確認するがすべて空ばかりであると知ると顔をしかめる。昨日は食事以外何も買っていない。
水袋を握りしめたまま呻く。
「しまった。そういえばもうなかったんだっけ。忘れてたなぁ」
とりあえず当面はどうにかなることに安心をしていたユウはすっかり気が緩んでいたのだ。干し肉はまだいくらかあるがこれでは喉の渇きを癒やせない。
どんなに早い酒場や食堂でも開店するのは三の刻の鐘からなのが一般的だ。探せばもう開いている店があるかもしれないが、まだ慣れない町の中を無闇に探し回っても良いことはない。今しばらくは我慢するしかなかった。
味わうというよりもできるだけ喉が渇かないように気を付けて朝食を済ませたユウは再び横になって毛布を被る。三の刻の鐘が鳴るまで今はなにもできない。なので二度寝だ。こんなことができるのも文明圏に帰ってきたらである。
ユウは嬉しそうに寝台の上でごろごろとした。
安宿を出たユウは冒険者の歓楽街で開いている酒場を見つけて飛び込み、1日分の水を買った。一息つけたユウはその足で冒険者ギルド城外支所へと向かう。
三の刻の鐘が鳴ってしばらくが過ぎた城外支所は既に多数の冒険者で賑わっていた。建物の中も受付カウンターに並ぶ者たちが何人もいる。
短めの列を狙って並んだユウは順番が来るのをじっと待った。今日はとても重要な相談をしないといけないのだ。
やがてユウの番が巡ってきた。受付係は昨日と同じトビーである。
「何だ、昨日の冒険者じゃねぇか。どうしたんだ?」
「ここの冒険者ギルドにも講習ってあるんですよね。昨日ウィンストンさんに初心者講習があるのは聞きましたけど、他にもありますか?」
「あー講習ねぇ。あるぞ。戦闘講習と魔窟講習だ。戦闘講習ってのは、武器に関する知識の教授や戦い方を伝授する講習会だ。自前の武器を持ち込むのもありだぜ」
「それは知ってます。他の所で1度受けたことがありますから」
「そうかい。で、もう1つの魔窟講習ってのは、魔窟内の地形や罠や宝物などの情報を伝授する講習会だ。これも知っていて損はない知識だぞ」
「なるほど。ちなみにいくらなんです?」
「初心者講習が銅貨2枚、戦闘講習と魔窟講習が銅貨5枚ずつだ。受けたいのか?」
「結構しますね」
「知らずに死んじまうよりかはマシだろ? それに銅貨7枚で命が助かるってんなら安いモンだと思うぜ」
「確かに。だったら初心者講習と魔窟講習を受けます」
「2つもか! いい心がけだな。しかしそうなると、やっぱり頼むしかないか。ウィンストンの爺さん、こっちに来てくれ!」
「トビー、てめぇまた何かしくじったのか?」
「勘弁してくれ。完璧だって! それより、昨日の坊やが講習を受けたいそうなんだ。引き受けてくれ」
「講習なら他の奴がやってんだろ」
「それがこいつ、初心者講習と魔窟講習を同時に受けたいんだとさ」
「なにぃ?」
しわくちゃの顔をユウに向けたウィンストンが眼光を鋭くした。しばらくじっと見つめる。今にも殴りかかってきそうな雰囲気だ。
睨まれたユウは希望を微妙に歪めて伝えられて困惑する。別々に受講する必要があるのなら従うつもりなのだ。まとめて受けないといけない理由はない。
しかし、ユウが口を開くより先にウィンストンが顎をしゃくる。
「ついて来い。2階で話を聞いてやる」
「あ、はい」
「ほら、早く行った行った。ぼさっとしてると昨日みたいにどやされるぞ」
「どやしたのはてめぇの方だ、馬鹿たれ!」
振り向いたウィンストンの怒鳴り声がトビーに刺さった。
首をすくめるトビーを見たユウは慌ててウィンストンの後を追う。受付カウンターの南端にある階段を速歩で駆け上った。
2階に登りきったところでウィンストンに追いついたユウは周囲に顔を向ける。階段の脇から東西に伸びる通路の北側にはいくつもの木製の扉があった。それ以外は飾り気のない殺風景な石の表面が見えるばかりである。
どこかの部屋から聞こえるかすかな話し声を耳にしながら、ユウはウィンストンに続いて部屋に入って扉を閉めた。昨日と同じ狭い打合せ室だ。
奥の丸椅子をたぐり寄せた老職員がそれに座り、顎でユウにも勧める。
背嚢を下ろしたユウはテーブルを挟んでウィンストンの正面に座った。昨日とは違ってまるで尋問されるような雰囲気はない。
わずかな沈黙の後、ウィンストンが口を開く。
「昨日の今日で講習を受けに来るとはな。しかも2ついっぺんにとは。随分と気合いが入ってるじゃねぇか」
「2つ受講したかったのは確かですけど、別にまとめてだとは言ってませんでしたよ。別々に受けられるんでしたらそれでも良かったですけど」
「あの野郎、手続きを面倒がりやがったな。後ではたいてやる」
「そうだ、まだお金を払っていませんでしたね。今払います」
「あいつカネも受け取ってなかったのか! 後でぶっとばしてやる!」
次第に厳しくなる罰に目を背けながらユウは巾着袋から銅貨7枚を出してテーブルに置いた。それをウィンストンが懐に入れるのを見てから話しかける。
「それで、ウィンストンさんが講習をしてくれるんですか?」
「引き受けたんだからしょうがねぇ。まとめてやってやる。ただし、長くなるぞ」
「はい、構いません。お願いします」
「まとめてとなると何から話そうか。いや、順番にいくか。待て、そういやお前さん、なんて名前なんだ? まだ聞いてなかったな」
「ユウです。証明板の文字を読んだときに名前も言いましたけど」
「そういやそうだったな。すっかり忘れた。改めて名乗ると、儂はウィンストン、この冒険者ギルドで職員をしている。これでも元冒険者だ」
むしろ現役の冒険者だと名乗られても納得できる迫力にユウは苦笑いした。自分よりも強そうに見える。
「長くギルドに勤めてるからご意見番だなんて言われちゃいるが、陰で煙たがられてるのは知ってる。本当ならさっさと追い出したいんだろうが、面倒事があったときに押しつけるのに便利だからまだここに居させてもらってる爺だよ」
「つまり、僕の相手は面倒だってことですか?」
「昨日のはまだそうとも言えるが、今日のは単にトビーの奴が怠けただけだ。まったく、あいつは昔からずっとそうなんだよ。単純で簡単な仕事ばっかり選んでやりやがる。だからまだ一人前になりきれねぇんだ」
「そんなにひどいんですか?」
「ああ。あいつ、何かあると周りの連中に仕事をまるごと投げちまうんだよ。それがまたなかなか口がうまいもんだから、周りもつい引き受けちまう。あれがいけねぇ」
「口がうまいんでしたら、今の受付係はいいんじゃないですか?」
「そうなんだが、面倒事を周りに押しつける性格はそのままなんだよな、まったく困ったもんだ」
不満が漏れたウィンストンの言葉が室内に響いた。事情を知らないユウは何とも言えない。その微妙な表情を見て自分の愚痴に気付くと苦笑いする。
「悪いな。年寄りの愚痴なんぞ若い奴にゃつまんねぇって知ってるはずなのによ」
「いえ、いいです」
「それよりさっさと講習を始めちまおう。同じしゃべるならこっちの方がいい」
少し上を見ていたウィンストンが再びユウに視線を戻した。それを受けてユウも居住まいを正す。
ようやく初心者講習と魔窟講習を合わせた講習が始まろうとした。




