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結婚前夜の独り言

作者: 真朱マロ

 婚約者から初めて贈られたのは、魔法の日記帳だった。

 持ち主を二人指定して、交換日記としてお互いの間を行き来する、不思議なノートである。

 手紙とは違ってたくさん書けるし、配達の間に事故で消えることもないので、残業続きの文官や単身赴任中の騎士様が家族とコミュニケーションに使うケースが多いらしい。

 私と彼のように婚約者同士の交換日記も一般的には珍しくはないけれど、かれこれ十年。子供の時からの習慣で、交換日記を続けている人は珍しいと思う。


 彼と出会ったのは、お互いに八歳の時。

 領地が隣り合っている伯爵家どうしで、お互いに家格も派閥も同じだったので、ちょうど良い縁だと親同士が盛り上がったのだ。


 はじめましてのその席で、婚約の顔合わせという意味ぐらいは分かるけれど、新しい友達が増えるぐらいの感覚だった私に、婚約者になる彼はニコリともせず「よろしく」と言った。

 仏頂面ではないけれど、喜んでいるはずもなく、感情の見えない彼の表情に戸惑ったのを覚えている。


 それでも、彼の家の庭園を案内してもらい、トコトコと並んで歩きながら話していると、彼はそれまでの無口の殻を破って饒舌に語りだした。

 親の前でお茶をすすり合っていた時の無言と無表情は、いったい何だったのか。


 おそらく、植物そのものが好きなのだろう。

 目をキラキラ輝かせて頬を上気させながら、花の名前だけでなく、その特性から栽培方法についてまで、それはもう親切丁寧にしゃべり続けるので、ものすごく驚いた。

 私はコクコクとうなずくだけの人形と化していたが、彼の声は耳に心地よいから、聞くだけでも楽しくて時間を忘れた。


 そして、彼のお気に入りの花を見せてもらった時、ペチョッとくっついている害虫を見つけてしまった。

 彼は「虫、君は怖いよね?」と青ざめるので、私は平気だけど彼のほうが怖がっていそうだなぁと思いながら「平気」と言って、近くにいた庭師さんを呼んで駆除してもらった。


「君はすごいな」

「普通だよ。自分で触ってるわけでもないし」


 庭師さんって凄いよねって笑うと、彼は何故だか眩しそうに目を細めていた。

 そこから先は歩くとき、なぜか、ギュッと手をつながれた。

 満足そうな顔をしている彼の気持ちはわからないけれど、つないだ手は温かくて、私もギュギュっと握り返しておいた。


 そして、お互いのお父様たちが庭園まで迎えに来たけれど。

 帰らないで欲しいと駄々をこねる彼と、帰りたくないと駄々をこねる私に、お互いの両親は生ぬるい笑みを浮かべていた。

 そのおかげで、その場で婚約は確定したけれど、当たり前だが帰宅の時間は変わらない。


 そして、いよいよ馬車に乗り込む寸前。

 この世の終わりと勘違いしているほどの、悲劇的な別れの場面を繰り広げた後で、彼から魔法の日記帳を渡された。

 

「小さなことでも、僕に教えて。離れていてもずっと、心は君の側にいるから」


 彼が馬車を追いかけて走りながら叫んだ大人顔負けの愛の言葉に、私はハートのど真ん中を撃ち抜かれてしまった。

 永遠の別れのように別れを惜しむ私たちに、お互いの両親は見てはいけないものを見ているような表情で目を泳がせていたけれど、許してほしい。

 あの日あの時、別れてしまえば大人になるまで会えないと勘違いしていたし、せっかくできた友達と離れたくなかったのだ。

 ハートを撃ち抜かれた私でさえ、「婚約者」の本当の意味すら知らない子供だった。


 馬車が走り出すと、彼に渡された魔法の日記帳をギュッと抱きしめた。

 青い色の背表紙に銀箔の貼られた分厚いノートは、片手で持つには重かったけれど、とても嬉しかったのを覚えている。


 あの日からずっと、彼とは交換日記をしている。

 一日の終わりに思いつくことを書いて閉じれば、日記は勝手に彼の枕元に飛んでいく。

 彼が書いた後は私のところに戻ってくるので、毎回、顔の横にドーンとあって驚くけれど、目覚めるとすぐに彼の言葉を読むことができて嬉しいから、きっとこれでいいのだと思う。


 私の好きなもの。彼の好きなもの。

 私の苦手なもの。彼の苦手なもの。


 そんな当たり前の事だけじゃなく、今日会った些細な事や、未来の希望まで、何でも書いた。

 もちろん彼は、彼の大好きな植物の事を恐ろしい勢いで書き綴っていることもあったし、私は私で、お姉様との口論がいかに大変だったかということを臨場感たっぷりに書き綴ったりもした。

 たぶんそれらは、お互いに「よくわからないこと」に違いないけれど、相手がそれなりに楽しくやっている様子がわかるので、微笑ましく読んでいたと思う。


 そんなこんなで、気が付くと、十年。

 嬉しいことも、かなしいことも、何でも書いた。

 もちろん、面と向かって伝えるのは恥ずかしい、愛の言葉も書いている。


 明日、結婚式を迎えたあとは、魔法の日記は必要ない。

 普通のノートで、交換日記を続けると二人で決めた。


 私は彼に、彼は私に、一日も休まず交換日記を続けているほど、恋をして、愛を感じている。

 きっとこれからも、嬉しい事や、かなしいことを、書き綴っていくのだろう。


 本来の日記は、届ける相手はいないものだけれど、私には彼がいる。

 それは目に見える、私の幸せなのだ。


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