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あじさい物語  作者: 川光俊哉
7/11

(7)

「愛ちゃんのことが、好きだったんだ。愛ちゃん、ぼくとはちがう学校で、愛ちゃんは二年生で、ぼくは三年生で、あじさい児童館の学童だから、ぼくは愛ちゃんのことを知ってた。

 愛ちゃん、あんまり友達がいない。本ばかり読んでる。いつも、黒い、筒みたいな服を着てて、ちゃんとすわって、図書室のすみで暖房にすがって、読んでた。

「なに読んでるの」

 って、聞いた。こわかった。心臓が、どくどく、すごい早さでうって、全速力で走ったみたい、でも、頭は風邪ひいたみたいにぼおっとしてた。手がつめたかった、ごしごし膝でこすってた。おなかが痛くなった気もした。なに読んでるの、なに読んでるの、なに読んでるの、って、五十回くらい口のなかで繰り返して。意味が分かんなくなるくらいまで、繰り返したら、やっと声に出して言えた。意味が分かんない、あいさつみたいに。

「なに読んでるの」

 愛ちゃんは、

「本」

 って、言った。それはそうだと思った。きらわれてるのかと思った。でも、こっちを見てなくて、ぼくが誰かも分かってない、声をかけたのははじめてで、きらわれるようなことはしてないし、なにも知らないだろうから、そんなことはないと思った。

「シャーロックホームズ」

 ぼくは、下からタイトルをのぞきこんで、読みあげた。

「むずかしそうな本、読んでるねえ」

「別に」

「なんの本」

「探偵」

「へえ。そうなんだ。探偵なんだ」

 横に、ほかの本もつまれてた。五冊くらい。本当に、読書が好きな子なんだと思った。学校の怪談、フランケンシュタイン、吸血鬼ドラキュラ、ノストラダムスの大予言、とか、そんな本だった。覚えてるのは、ちゃんと、ぼくもあとで読もうと思ったから。

 愛ちゃんはかわいい。どういうふうにかわいいのか、うまく言えないけど、あんなにきれいな、かわいい顔をしてるのは、人形みたいで。本当に、かわいいと思った。なにが好きかというと、かわいいから好きなんだけど、それだけじゃなくて。やっぱり、そうやって、本を読むのが好きなところが、いいと思う。ぼくは、本を読むのは、別に好きじゃない。サッカーとかで、昼休みとか放課後に走りまわってる男子、そういう男子の仲間には、ぼくは入ってなくて、雨がふっても、どろどろになりながら校庭を走りまわる、本当にたのしそうで。ぼくは、あんまりサッカーがたのしいと思ったことがないから、入れてもらったりはしなかった。入れてほしいと思ったこともあるけど、どうせ、むりだから、やらない。休み時間が、たいくつでしょうがなかった。本を読めばいいのか、と思った。

 そう、それで、愛ちゃんが好きだ。愛ちゃんはかわいいから。愛ちゃんの読んでる本の話をしたいと思った。一冊だけ、たぶん、同じ本が小学校の図書室にもあった。ノストラダムスの大予言。

「愛ちゃん」

 って、ぼくは声をかけた。でも、もう、こわくはなかった。晴れてたから、みんな、外であそんでた。風邪をひいて、マスクして本を読んでる子が、もうひとり、すみにいた。くしゃくしゃの、赤いスカートのなかで、足をもぞもぞさせて、ときどきパンツが見えた。

「愛ちゃん」

「なに」

「あれ、おもしろいね。ノストラダムス。一気に読んだ」

「へえ」

「こわいね。宇宙人、核戦争、隕石、あと、なんだっけ」

「宇宙人が、せめてくる。UFOが、空を埋めつくすのね。オセロみたいに。青い空にね、雲より白いまんまるなのが、びっしり。全滅した、黒の完敗みたいなオセロ。これ。この絵」

 愛ちゃんが、こんなに話してくれるのは、はじめてだった。うれしくて、なんだか、目の奥が熱かった。そこから、熱くなった血が、どんどん体じゅうに流れていった。

 ぼくも一回、見た絵だった。それで、いまもう一回見て、愛ちゃんの言いかたが、すごくよく分かった。オセロだ。白が黒を全部裏返したオセロ、そこから、かみなりみたいに、ぎざぎざしたビームが、いっせいにふってくる。

「テレビ、見た」

 ないしょのことをおしえてくれるみたいに、愛ちゃん、ひそひそ声で、言った。

「なんのテレビ」

「ノストラダムスの大予言、やってた。見た」

「見てない。知らなかった」

「ビデオとったよ。見ない」

「え。じゃあ、見たい」

「じゃあ、うちに来て」

 うれしかった。愛ちゃん、笑った気がした。気のせいかもしれなかった。うん、って、ぼくはうなずいて、それで、愛ちゃんも、分かった、ってうなずいて、本にもどった。本のページに、顔をくっつけるくらいに、近づけて。全滅のオセロに。目が悪いのかな、と思った。

 門のところで、愛ちゃんを待ってた。だんだん暗くなってきて、ばいばい、ばいばい、って、帰っていくみんなに言った。ぼくが帰らないのを、ふしぎに思ってるってことはないみたいだった。愛ちゃんが来た。たぶん、最後まで残ってた。

「行こう」

 愛ちゃんが、言った。

 本当にぼくはうれしくて、

「行こう、行こう」

 なんだか、泣きそうな声になってた、と思った。本気だとは、思ってなかった。川を、流れとは逆のほうに歩いていった。ぼくの家とは反対だった。どんどん歩いた。

「愛ちゃん、本当にいいの」

「いいよ」

「たのしみだ」

「すごい、なんか」

「うん」

「こわいよ」

 線路のトンネルをくぐって、坂になってきた。歩道のタイルは、割れたガラスみたいに、ごちゃごちゃで、世界一むずかしいパズルみたいに組み合わさってて、下をむくと、くらくらする。こっちまで来たことはなかった。あんまり道が分からない。坂が急になってきて、少しつかれてきた。愛ちゃんは歩くのが早い。

「あの青い屋根」

 愛ちゃんが、指さした。坂の一番上だった。くしの歯みたいに、電信柱が整列してた。電信柱のかげには、口裂け女がいる、それが、こんなにある、いやな道だな、と思った。

「こわいでしょ。口裂け女がいそうで」

 先に坂をのぼっていく、愛ちゃんが、背中でそう言う。同じことを思ってた、と、少しだけ安心した。

 愛ちゃん、カギを出して、ドアをあけた。なかは、うす暗かった。ただいま、と、愛ちゃんはもぐもぐ言った、ぼくは、おじゃまします、と言った。

 台所を通って、奥の、テレビのある部屋に来た。やっぱり暗かった。愛ちゃんに、電気つけて、と言おうかどうしようか考えたけど、結局、言えなかった。

 かばんを投げだして、愛ちゃんは、テレビの下の棚に、頭をつっこんで、ごそごそ探してた。

「あった」

 テレビをつけて、ビデオを、ビデオデッキに入れた。

「巻きもどしするから、ちょっと待ってて。なんか飲みもの持ってくる」

 ぼくを置き去りにして、愛ちゃんは、台所に行った。ぱたぱた、スリッパが鳴った。ぼくは、じっと、正座して、砂嵐のテレビを見てた。ビデオが、その下で、ものすごい早さで巻きもどしされてた。ぶつん、と、すごい音がして、巻きもどしが終わった。あ、あ、あ、あ、はじまる、と思って、愛ちゃんを振り返ったり、テレビを見たり、どうしていいか、分からなかった。

「愛ちゃん」

 ぼくは立ちあがって、愛ちゃんのいる台所に行こうとした。台所は、やっぱり、うす暗くて。冷蔵庫の前で、愛ちゃんはコップに、白い牛乳をそそいでた。うしろに、長い、細い、人影があって、あっ、と思って。口裂け女、赤マント、って、頭に浮かんだ。こわかった。

「あ、どうしたの」

 牛乳を冷蔵庫にしまって、愛ちゃんが、ぼくに気づいた。

「巻きもどし、終わって、はじまりそうになって」

「そう。じゃあ、いま行く。これ」

 牛乳をぼくに突きつけた。ぼくは、だまって受けとった。つめたくて、手がぬれた。牛乳は白い。

 さっきの部屋で、ベートーベンみたいな音楽が流れて、おおげさな、深刻な声で、ノストラダムスの大予言、って聞こえた。ぼくはもう、ノストラダムスなんかどうでもよくなってた。

 ぼくは顔をあげた。その人影は、別に、幽霊でもおばけでもなくて、

「いらっしゃい」

 と言って、愛ちゃんの頭に、手をのせた。お父さんだと思った。少し、愛ちゃんに似てる、やせてるのと、目が大きいのが。ひげが生えてた。かびみたいな、無精ひげだった。

 愛ちゃんにひっぱられて、テレビの部屋にもどった。牛乳が、こぼれそうだった。口をつけて、なめるみたいに飲んで、一センチくらい減らした。

「お父さん、いまの」

「そうなんだ。いいね、お父さん、帰るの早くて」

「帰るって」

「仕事から」

「仕事、してない」

「そう」

「ずっと」

「お母さんは」

「お母さん、いない」

「へえ」

「離婚した」

 ぼおっとしてた。いま思うと、いろいろ聞いちゃいけないことを聞いたな、と思う。ノストラダムスの大予言、はじまってた。テレビのなかで、大人たちが集まって、まじめな顔して、話し合ってた。うす暗いけど、この部屋よりは明るかった。

「もう、地球は、終わってるんじゃないですかね」

 おじいちゃんみたいな人が言った。みんなげらげら笑ってたけど、ぼくには、なにがおもしろいのか分からなかった。もういいや、と思った。そうだ、ノストラダムスじゃなくて、愛ちゃんとなかよしになりたいから、ぼくは、ノストラダムスの本を読んだんだ、って思い出した。なんだか、ぱっ、ぱっ、と画面が変わる、目がつかれる。隕石が、地球にむかって、まっすぐに落ちていく、長い長いしっぽを青っぽく光らせて。

 どーん。

 水びたしの、水にしずんだ町がうつった。べたべたした色の、イラストだった。愛ちゃんの横顔を見た。愛ちゃんも、こっちを見てた、目が合った。

「食べる」

 と、愛ちゃんが、お皿をつきだした。大きなあめ玉のつつみが、十個くらい乗ってた。愛ちゃん、そのなかの、水色のをひとつつまみあげて、開いた。

「見て見て」

 あめ玉をにぎった手を、目にもってきて、ぐりぐり押しつけた。ぎゅっと力をこめて、手をかたくして、うう、うう、と愛ちゃんがうなる。それで、そっと、目から手をはなして、ぼくの鼻の先で、開いた。白い、すきとおった、まんまるのあめ玉で、愛ちゃんの手のなかで少しとけて、ハッカのにおいが、つんとした。

「わたしの目玉」

 片目をつむって、愛ちゃん、にやにやしてた。ぼくは、なんだか分からなかったけど、その愛ちゃんの目玉を、ひょいと、口のなかに入れた。頭が、すうっとした。愛ちゃんは、お尻を浮かせて、テレビに近づいて、あとは、いつも本を読んでるときみたいに、いつもの愛ちゃんになってしまった。口のなかの、あめ玉だか、目玉だか、分からないけど、ころころころがしながら、ぼくは、部屋のなかを見まわした。本が、たくさん積んであった。シャーロックホームズ、と、思った。でも、ちがう気がした。もっとむずかしそうだった。

 また、テレビで、どかん、どかん、大きな音がした。いいかげんにしろ、と、ぼくは腹が立ってきた。ぼくにも読める本はないかと思って、それで、部屋の反対側の、窓のそばの、本棚はぎっしりつまって、あふれたみたいに、本はそのまわりに、何本も塔みたいに積まれてる。どんなのがあったのか、忘れた、ほとんど読めない字ばっかりだった。

 ひとつひとつ、塔をくずしていって、また、立てていって、いいのは見つからなかった。奥のほうに分け入っていくと、たたみの色が青かった。本棚の、一番下の段が見えた。辞書とか、そういう厚い本がならべてあった。電話帳もあった。電話の近くに置いとけばいいのに、と思った。なんとなく、その電話帳をとりだして、ぱらぱらめくってみた。折り目がついてて、紫陽花の住所のところで、とまった。えんぴつで、名前の下に線をひいてた。何人か、線をひかれてた。次のページをめくった。まだ、あ、ではじまる名字が終わってない。その次のページをめくった。電話帳よりひとまわり小さい、白い紙がはさまってた。裏返してみると、名前が書いてあって、そのとなりに、どんな人か書いてある、紹介する文章みたいなのも、のってた。電話帳の紫陽花の住所の、最後まで見てみた。紙の名前は、全部、電話帳で線をひいてある名前だった。山本奈津実、って、最初に書いてあった。奈、津、実、たぶん、この字だった。奈良の、奈、さんずいの津、くだものの実。

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