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あじさい物語  作者: 川光俊哉
6/11

(6)

「いちおう、伝えておこうと思うんです。あなたたちの町で、よくないことが起こる気がします。橋の上で、いつも、川をながめているふたりがいますね、ひとりは女の子、もうひとりは、背が高くて、やせた象のような男。女の子は愛、という名前で、男は青という名前です。

 川ぞいの木は、全部、桜でしょう、春は本当に、きれいで、川の両側から枝がたれさがって、かぶさって、ぼったりしたピンク色の雲、それも入道雲みたいに大きな、ぱんぱんにはりつめた雲みたいに見えて。夏は、引っ越してきたばかりだから、まだ桜は見たことがないかもしれないですね。

 春から、やけに天気がいい。ぜんぜん桜がちらないから、五月に入っても、橋の上でお花見をしてる人たちまでいた。それでも、花だからちるけど、風が吹いて、少しずつ枝からはなれていくしかなくて。花が咲いたまま、花びら、どんどん色がうすくなっていくみたいで、たまに、強い風が吹く、そしたら、やっとその風にのって、ちっていくんですね。ピンクの入道雲から、ピンクの夕立がざあざあふりつけるようで、川に浮かんで、流れていくのはピンクの星座みたい。夜空を、早送りにしてながめているような。

 葉桜になって、それが、やっと梅雨に入ってからです、それでも、雨はふらない。ふらないはずです。ああ。すいません、申し遅れました、わたしは、蝶です。ちょうちょの、蝶。雨がふらなくて、からからにかわいた紫陽花の町には、わたしは住めない。蝶、知ってますか、どれだけいるか、どれくらいの種類がいるか。少し前の、六月はじめに、朝、陽炎が燃えて、わたしたち、みんな、それをつかまえて、空にのぼっていったんです。雲の上まで。

 雲の上には、雨のつぶが集まって、あちこちにまるく浮かんでて、しゃぼん玉みたい。太陽の光を、そのまま受けて、なかに閉じこめて、かがやく。砂場で、ぎゅっと泥のおだんごをつくるみたいに、虹を、ぎゅっとにぎりしめて、かたまりにしたような。

 わたしは、それをなめて、生きていくことができた。楽園、ですか。わたしたちは、つめたい風に気持ちよく羽をさらして、ひらひら、あたりを飛びまわる。誰かと、頭をぶつけるでしょう、あげは蝶とあげは蝶だったら、それで、男と女なら、たまごを産みつけますね、雲の峰の根もとに、そっと。

 雲の上は、蝶の楽園なんです。太陽の栄養が溶けた、虹のしゃぼん玉をなめて、わたしは死なない。誰も死なずに、蝶はどんどん増えていって。

 雲は、ずっと紫陽花の上にありました。

「人は、よく、空を見あげるねえ」

「ずっと下をむいてる人もいるよ」

「空を見るのは、どんな人」

「ああ、また、見てる」

「雨がふらないからね」

 わたしたちは悪くない。わたしたちがいるから、雲が雨にならないわけじゃなくて、水を求めて、ここに来てしまったというだけ。

 雲は、どんどん大きくなった。町の水分を、吸いあげていくんですね、わたしには、それがなんの水だか、ひと口なめれば分かるようになっていった。川の水はあまいですよ、川であそぶ子供の汗がとけてる、そんな気がします。水道の水、プールの水、噴水の水、まずい。変な薬が入ってるんでしょう、にがくて、くらくらしてしまう。

 みんなひからびて、からからの体で、よくそうやって歩いてる、走って、仕事して、みんななんだかいそいでる、人の一日は早い、毎日川の道を歩いて駅まで行っていた人も、すぐにいなくなって、また別の人が同じ道を歩くようになって、またすぐ、ふいに、いなくなって。おちつかない。人の一生は早い。早送りみたいに、立ちどまらない。みんな、もうずっと水を飲んでないし、ひからびて、ミイラみたいになって、内蔵、心臓も肺も胃も肝臓も腎臓も、骨も、脳みそも、スポンジみたいに軽くなってるのに、気づいてない。

 人の水分は、コーヒーに似た味がします。

 楽園の生活はたいくつ。紫陽花の人たちを上からながめるくらいしか、たのしみがないのに。たのしみ。ちょろちょろ、みじかい足を動かして、あっちからこっちへ移動するだけのことで、そんなのを見てるのは、もう、たのしくもなくて。遠くから見れば、人って、虫より虫みたい。桜の花のちるのも、葉桜も、ゆっくり感じることもできないで、せかせか、写真にとって、あっちからこっちの移動にもどる。

 愛と青は、橋にいました。なんにもしないで、ただ、川を見てる。ひまな人もいるものだと思いましたが、それを一日じゅう見ていたわたしも、よっぽどひまで、もの好きだったと思います。アイスをくわえて、パンを食べて、お昼には麦わらぼうしをかぶって、日が落ちたら、橋をわたって、ばらばらに別れて、愛は影をひきずって、青は影を追いかけて、帰っていくんです。

 わたしは、ふたりに興味を持った。風のない、しずかな、暑い日に、わたしは紫陽花におりていった。ああ、もう帰れないかもしれないな、と、少しこわかった。誰にも言わず、羽に空気をいっぱいにつかまえて、川を目あてに、ゆっくりと、地上に近づいた。

「この川の、ずっと上流」

「ああ。沼がある」

「そこまで行ければね」

「どれくらいあることになってる」

「分かんない。三日三晩歩く」

「何キロだ。電車だと、すぐじゃないのかな」

「分かんない」

「行けないね」

「学校あるしね。夏休みかな。夏休み、家出する」

「あれ、見て」

「どれ」

「あそこの線、ちょっと黒ずんでる、十日くらい前まで、川の水位はあのへんまであった」

「うん」

「だんだん、水がなくなっていくねえ」

「いそがないと」

 桜の木の枝の、ふさふさした緑の葉っぱのすきまにかくれて、わたしは、愛と青の声をはじめて聞きました。

「時間がないね」

 と、少し考えてから、愛がまた言いました。

「やっぱり明日か」

 青が、ため息をつくように、なんだか、おびえてでもいるように、小さな声で言いました。

「明日だね」

「そうか」

 明日。明日、なにかがあるんだ、と、わたしは思いました。それから、ふたりはもうなにも話しませんでした。愛と青、ふたりは、川を見守っていたのだと思いました。こうして、見ていなければ、もうとっくに川はかれて、紫陽花は砂漠になっていたんじゃないかと思いました。

 愛と青は、帰っていきました。ふたりなかよく麦わらぼうしを指にひっかけて、くるくるさせて、ふたりは別れて、なんとなく青はそれを頭にかぶる。うしろ姿は、ひまわりそっくり。愛のほうに目をやると、まるでたんぽぽで、やっぱり、という気がしたんです。

 雲を見上げました。赤く、黄色く、おかしのような色だと思いました、でも、なにかの花びらの色に似ているのだということにしておきました。案外、小さかったんです。巨人みたいにそびえ立つ、ぶどうをさかさまにしたような入道雲の姿を想像していたのに、空のむこうがすけて見えそうな、ふわふわした綿のひとつかみでしかなくて、わたしの楽園も、たいしたことはなかったのだと、がっかりしました。もう帰りはしないだろうな、と、思いました。

 すぐに、夜になりました。ひとつ、ふたつ、星が光った。雲の上ではもっときれいなので、めずらしくもないので、つかれて、わたしはすぐに眠りました。

 朝、ふたりが来ました。まだ、日がのぼって、ほとんど時間がたってないんじゃないかと思います、深い緑の、水色の、ちくちく痛いくらいにつめたい空気と、ずっとむこうの遠い遠い太陽です。


  ぽた、ぽた、ぽた


 ずっと聞こえていた、水のしたたる音で、わたしは目をさましたんだと思います。葉桜のなかから、ぬけだして、そっと、愛の肩にとまっていました。

「これは」

「右手だから、右のほうへ」

「分かった」

 

  ぽた、ん


 青が、投げた。高くて、ほそい、とてもかすかな音で、ひとつぶの水滴が落ちたようにしか、それでも、思えなかった。右手。それが、右手らしいのです。右手ってなんだっけ、と、考えてしまったものでした。

「これは」

「右足だから、やっぱり右のほう。右手より下がいい」

「分かった」


  とぷ、ん


 ビニールの、半透明のごみぶくろから、ひとつずつ取りだして、それは、たぶん、子供の右足でした。つるつるしたかかとが、光るようで、くつも、くつ下もはかずに、まるっこい、かわいい指が、五本。人形だろうか、そうだろうか、いちおう、うたがいましたが、青の手につまみあげられて、ふっくりと、昆虫の腹のように青ざめていましたが、みずみずしい弾力が、わたしの羽にびりびり伝わってくるようで、ふるえました。

「頭」

「あっち。ずっと、あっち。ずっと遠くに。ずっとずっと、沼の蛇までとどくくらい。できるだけ遠くに投げて。見えなくなるくらい。あっちの橋まで、とどく」

「むりだろうな」

「でも、がんばって。できるだけ、遠く。おねがいだから」

 

  どぼ、ん


 人の住むところに、カラスは早起きで、人よりずっと早起きで、かあ、かあ、かあ、長く声をひっぱって、鳴いています、たまに、ばさばさ、はばたくのが聞こえる、でも、どこにも姿は見えない。そのカラスが飛ぶみたいに、黒い髪で風を切って、ななめに川に突き刺さる。わたしは、愛の肩をはなれて、追いかけた。海に浮かんだブイみたい、浮かんで、しずんで、むかしばなしの桃はこんな感じかもしれないとも思って、流れていくのに、うまくとまろうと、ふらふらしてた。でも、あれは、一番似てたのは、ごみだった。なんだか分からない、ごちゃごちゃした、黒いごみ。

 うまく、とまれた。顔はうつぶせに、川の水につかってて、わたしがとまったのは、頭のてっぺん、つむじのあたり。とまれたのはいいけど、これからどうしよう、どうしようと思ってたら、川は線路をくぐって、大きくまがりました。わたしたちは、まがりきれずに、コンクリートの絶壁の、すきまから生えてる草にひっかかりました。そのはずみで、頭がぐるっとまわって、わたしはあわてて飛びたって、半回転した、鼻の頭に、もう一度とまりました。

「くすぐったい」

 男の子でした。目を寄せて、わたしを見てて、なんだか変な顔になってました。

「ごめんね」

 わたしは、飛ぼうとしたんですが、

「いいよ。そのままで」

「そう。ごめんね。なるべく、しずかに、動かないようにしてるね」

「ちょうちょだ。ひさしぶりに見た。ちょうちょ、どこにもいなかった。つかまえなきゃいけないのに、見つからなくて、夜になるまで探してた。学校の宿題だったんだよね」

「うん。いなくなってた。わたしたち、雨がふらないところじゃ生きていけないから」

「そうなんだ」

「きみは、どうしたの。どうして、そんなことになったの」

「殺されたんだね」

「ああ、やっぱり。愛と青ね。かわいそう。どうして」

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