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あじさい物語  作者: 川光俊哉
5/11

(5)

「ああ。起きた。おはよう。今日から、その水槽が、あんたの家だよ。こっちに引っ越してきたばっかりなんだけど、わたしのこと、知ってる。橋を渡って、あっちのほうに買いものに行くんだけど、わたしは、けっこうあんたのこと見たよ。だいたい、いつもあじさいの下でじっとしてる。本当にじっとしる、動かないから、死んでるのかと思ってた。それにしては、いたり、いなかったりする。この前、ビデオを返しに行って、帰ってくるとき、あんたが起きてるの、はじめて見た。首をあげて、でもあじさいの下からは出ないで、なに見てたの。覚えてる、夜だった、月とか星とか見てたの。覚えてる。

 ぽかんとして、目をまんまるにして、黒目しかない目をこぼれそうなくらいにさせて、たまに、ちょろちょろ、火花みたいな舌を出してみせて。線香花火に似てた、赤い、ふたつに裂けた、糸より細い舌だから。

 ああ、この子、わたし、好きだ、って思った。ごめん。水槽買って、蛇の育てかたとか調べて、大家さんに確認したり、あんたが来るための準備をはじめたの。名前も考えた。男の子、女の子。分かんないな。花、って名前。どう。いつもあじさいの下にいるから、花が好きなんでしょ。男の子だったら、ちょっと変だけど、まあいいでしょ、花ちゃん。花。花。

 聞いて。花。

 二ヶ月くらい前に、変な男と知り合った。よく分かんないやつだった。おなかすいた、なに食べる、って聞くじゃない、そしたら、

「ああ」

 って、こたえる。こたえてるんじゃない、なんにも聞いてない。煙突に風が吹いて、ぼうぼう鳴る、ビールびんに口をあてて、いきおいよく息を出して、ぼうぼう鳴る、あんな感じで、あいつの体のなかにわたしの声がひびいて、のどから、ああ、って音が出てきただけ。

 そんな男の、なにがよかったか。なにもよくはなかった。マイナスもない。髪はのばしてるけど、まあ清潔感があるほうで、病弱そうなくらいにやせてて、背が高い、頭もいいんだと思う。でも、猫背で、無口で、趣味がない。

 いっしょに、水族館に行った。わたしがさそった。こいつ、なんだろ、っていう興味はあった。水族館、デートで行ったのなんかはじめてだった。デートじゃなくても、ひとりで行くとか、もっとないと思う。だから、子供のときとかは、あるかもしれないけど、でも、たぶん、本当にはじめてなんじゃないかと思う。なんで水族館なのか。分かんない。こいつとどっか行くのか、あ、水族館だ、って思った。それだけ。


 タコの仲間で最大になり、体長九.一メートル、体重二七二キログラムという記録があります。寿命は約四年で、雌雄ともに繁殖を終えるとすぐに死んでしまいます。マダコにくらべて、肉が水っぽく、これが名前の由来になっています。


 タコを見てた。つかれて、風邪で、膿んで、ただれたみたいな、がさがさのピンクで、もうよっぽど長生きしたんだと思う、足をいっぱいにひろげたら、二メートル、三メートルくらいはあると思う。愛のない名前。食べてみて、ちょっと水っぽかったっていうだけで、それが名前になった。花、花にはきれいな名前をつけてあげたからね。

 ミズダコは、足をひらひら水槽の循環する水の流れにまかせて、こっちを見てる。見てる気がした、けど、別にこっちがミズダコを見てるほどに、わたしたちになにかを期待してるわけでもなくて、警戒したりしてるわけでもない、ただ、こっちをむいたから、もう目をそらすのもめんどくさいだけで。わたしは、すぐにあきて、次の水槽に行きたかったけど、あいつ、やけに熱心に見てて、動こうとしないのね。だから、わたしは、説明の文を読んでた。寿命は約四年で、雌雄ともに繁殖を終えるとすぐに死んでしまいます。

 オスメスいっしょに死ぬとか、なかよしだな、ミズダコ。でもな。たぶん、ちがうな、って思った。水槽のミズダコはひとりきりだけど、さみしそうには見えない。ミズダコは、最短距離で、生きてるだけだった。写真をとろうとして携帯をかまえてる子供たちに、愛想をふりまくわけでもなく、こわがって逃げるわけでもなく、マイペースに生活、ひたすら生存してる。こっちの感情とか気持ちをおしつけるのは、ちがうな、なかよしも、さみしいも、人間の思ってることで、そういう、擬人化は、むなしい。だって、ミズダコの生活は完璧だ。よけいなノイズが入りこむすきがない。


 ケープペンギンは、アフリカ大陸に生息する唯一のペンギンで、砂地に掘った穴や木の根もと、岩場のすきま、民家の軒下などに巣をつくります。夫婦交代で卵をあたため、子育ても協力して行ないます。夫婦の絆はとても強く、何年も同じ相手と同じ場所で営巣すると言われています。ケープタウン沖でのタンカー座礁事故による石油流出被害や、エサとなる魚の乱獲、また、二〇一〇年の記録的な寒波などにより、個体数は減少しています。現地では「南アフリカ沿岸鳥類保護財団(SANCCOB)」などのボランティア団体が、油まみれの鳥類たちを保護し、自然にもどす試みを行なっています。また生息数の調査や繁殖地の保護保全のためのいろいろな取り組みが行なわれています。


 ミズダコ見てる男なんかほっといて、わたしは、どんどん進んでいって、大きな、ペンギンの水槽に来た。みんな口をあけて、ぼうっと、ペンギンがプールのふちで、たたずんでるのを観察してる。ペンギンは、ケープペンギンっていうのが正式名称で、二匹いた。夫婦なんだ、と思った。それにしても、愛想がないな。子供たち、女の子がふたり、たたいちゃだめって書いてあるのに、動けよ、鳴けよ、とか言って水槽をたたいて、お母さんに怒られてた。生きるのに最短距離で、エネルギーを節約して、子供がガラスのむこうでさわいでたって、どうってことないって、ひょっとしたら本能とかで、知ってる。

 いいなあ、って思った。べたべたしない、クールな関係で、まんまるな、完璧なかたちのたまごを生んで、子供ができて、また同じケープペンギンが、どっかの水族館で水槽のなかに入れられて、立ってる。

「動かないね」

 気づいたら、となりにいたんだ。びっくりしたけど、やっぱりな、とも思った。いままでで一番近くにいた。

「かわいくないね」

「かわいくない」

「無表情だし、こんなの、生きてることは生きてるけど、剥製とか見てたってかわらない気がするよ」

「そうか」

 なに考えてたんだろ。なんにも分かんなかった。水槽のガラスに、うっすら、うつってる。ふたり、ならんで、立ってる。ケープペンギンを見てるわたしたちと、ガラスのなかで、目が合って。なんだ、わたしたちも、ケープペンギンにそっくりだ、ケープペンギンに見られてるんだ、って思った。

 ケープペンギン、右のほうが少し大きくて、オスだと思う、左がメスだってことにして、わたし、名前をつけてやろうと思った。愛。愛ちゃん。ぱっと浮かんだんだ。女の子の名前だ、だから、小さいほうの左のケープペンギンを愛ちゃんにした。男のほうは、すぐには思いつかなかった、愛から、藍色の藍って思って、じゃあ、青、って思った。だから、大きいほうは、青ってことにした。わたしたち。血色の悪い、怒ったような顔の女、なで肩で、しまりのない体で、となりの男は電信柱みたいに細長くて。ケープペンギンにかさなってる。こいつらにも、名前をつけようと思って。男は蝉だ。女は、夏。最初から決まってたみたいに、すぐ出てきた。

 それから、蝉とわたし、わたしの部屋に来た、ここだよ。それでいろいろあって、あんまり話したりした記憶はないけど、終電がなくなるくらいまでいて、いっしょに寝た。それで、朝、そのまま帰っていった。次に会ったのは、三日後くらい。わたしが、蝉の家に行った。

 わたしの部屋のドアに似ててね、なんか眠くて、ぼんやりしたまま、あけようとしたら、あいて、そのまま入った。窓によりかかって、蝉があぐらかいてた。

「あ、なにしてんの」

 ずっと、そうしてたんだと思った。わたしは、あたりまえみたいに、水族館の水槽のなかの、ミズダコとかケープペンギンを想像した。蝉、ほっといたら、なんにもせずに、そうやって日あたりのいいとこですわってるだけなんだな、って思った。

「来たな」

 勝手に入ったのは、どうでもいいらしかった。わたしに目をむけたりしなかった。ずっと、上のほうを見てた。

「なにする」

「なんでもいいよ」

「じゃあ、もうちょっと待って」

「待ってって、なに」

「だから、ちょっと」

 わたしは、となりにすわった。たたみが、なんだか、じくじくしてた。

「待つよ」

「どっか行きたいの」

「別に。このままでも」

「じゃあ、気がむくまで、こうしてる」

「水族館」

「また水族館行くの。いいけど」

「思いついたことがある、わたし。聞いて。水族館はいいな、とふと思ったんだ。隕石が落ちてきて、地震が起きて、大きな津波があって、一九九九年、七の月、例のノストラダムスね、世界が滅亡したらどこに避難しようか、って。水族館に避難すればいい、って、思った。

 水槽とか割れないかぎり、いいと思うんだよね。デリケートな魚、熱帯魚とか、ペンギンとか、ちゃんと死なないような設備がととのってるわけだから。人間にも快適なはずで。

 水とか、食料も。水は水槽のがあるし、魚はいっぱいいるし。ビルの上にあるから、日本が水没しても、まあ、あれくらい高ければ窓を開けられる、海に沈んだ日本を見れる。どんな光景だろ、それ見れるだけで、わたしの勝ちのような気がする。

 津波の瞬間に死ななかったら、どっかに閉じこめられるんだ。泳いで、脱出する。ひとりで。夜中に。わたし、泳ぐのはけっこう得意なんだよ。実は、知らないだろうけど、中学のときに県大会で記録持ってるから、いまはどうか知らないけど。夜中、は、やっぱりあぶないか、明け方、わたしは沈没してる外に出る。

 すごい景色だと思う。空を、わたしが泳いで、飛んでる。光が、こう、ぶわっと道に落ちて、ゆらゆら揺れて、いままで誰も見たことないところから世界を見てる。人っこひとりいない。水族館まで、泳ぐ。泳いでるわたしはきれいだと思う。天使だよ。廃墟をひとりで泳いでるとか。しかも明け方、これができたら、もうわたしは満足、映像に残ったら死んでもいい。これくらいドラマチックなこと、ふだんからあればいい。あるかもしんないけど、どんな事件も事故も当事者になれずに生きてきてしまった。そうか、恐怖の大王ね、あれだよ。地球人が平等に主役になれるチャンスがあって、わたしは、見事にそれをのがした。もう来ないかな、あの人、大王。

 水族館に泳ぎつく。

 しずかで、時間がとまったみたいに空気が動かなくて、わたしひとりだけ、ってこと以外は全部ふつうの水族館みたいで、わたしはとりあえず水族館をぐるっとまわる。水族館の生きものって、本当に生きものなんだよね、ただの。生きてるだけ、最短距離で。ペンギンとか、かわいくないんだよね。じっとしてる。子供がカメラかまえてても、愛想をふりまくこともしなくて、ただ、夫婦でじっとプールの端で立ってる。食いものを手に入れるとか、そういう活動の必要がないかぎり、動く意味がないんだよ。野生の生きものは本当に合理的で、むかつくくらい合理的で、生きるのに最短距離なんだ。交尾、セックスだって愛してて気持ちいいからじゃなくて、ただ、子孫をふやそうっていう本能から、やってるだけ。だから、日本が水没してさ、それで水族館はどうなってるんだろ。やっぱり、じっとしてる気がするよ。エネルギー温存しないといけないから。それで、わたしが通りかかると、ぎらぎらした目で食いものを要求する。まったくいやされないね。よく考えたら、けっこうデートで行ったんだ。本当は。水族館の魚とかタコとかカニとか、あの無機質な生活を見るのがたまらなくて。むかつくけど、デートするときって、わたしは本当にその人を好きだから、だから、客観的に自分を見るのにも、いい。本能だけで生きてるのを見て、ああ、しょせん子孫繁栄なのか、って思って、あんまりはめをはずさないようにって誓う。水族館で、わたしはそのうち、水槽を見てるのがいやになる。とりあえず生きる、そういうだらしないのがいや。ちがうだろ。わたしは、食いものもらってれば、じっと動かずに生きてる、ってわけにはいかないから、そいつらの視線をさけるために、水族館をとりあえず出るね。となりの、プラネタリウムに逃げる。あれをひとりで動かせるのかどうか知らないけど、なんとかして、見たい、ひとりで。一回、行ったことある。そのときもデートだった。でも、ひとりで見てると、またなんかちがう気がする。ひとりじめした感じは、水族館よりぜんぜん気持ちよくて、ビッグバンは、ブラックホールは、って、わたしだけのために説明してくれて。やってみたいのは、床に寝転がってプラネタリウム観賞ね。で、そのまま寝る」

 ぽたぽた、水のしたたるような音が聞こえた、気がした。雨かと思って、ぐるっと首をまわして、外を見たけど、ふってるわけなかった。最近、雨ふらないな、ってそのとき思った。どこから聞こえてくるのか、気持ち悪かったけど、すぐに忘れた。

 蝉の横顔をそっとうかがった。だからなに、とか言われてもこまる。そうやって聞き返されないだけいいのかもしれない、ということにしておいた。

「あれ」

 蝉が、顔をあげた。犬とか猫が、もの音に反応して、びっくりしたみたいに。電話が鳴った。先に気配で分かったのか、なんか、変だと思った。蝉、立って、電話をとりに行った。

「もしもし。もしもし。もしもし。はあ。ええ」

 大きな声、出せるんだな、って思った。なま返事ばっかりで、はあ、とか、へえ、とか、繰り返してるだけだけど。その、はあ、がとまって、かたん、って受話器を置いた音がして、蝉がもどってきた。

「誰」

「おまえにかわってって」

「は」

「おまえにかわってって」

「なんで。誰」

「知らない。名前、聞いてなかった。おまえがここにいるの、知ってた」

 家族でも死んだんだと思った。おじいちゃん、おばあちゃんはもういないから、お父さんかお母さん、いま死なれるのはこまるなあ、なんて、案外、冷静に考えながら、わたしは立ちあがってた。受話器は、寝そべるみたいに、横にたおれて、置かれてた。

「もしもし」

「もしもし」

「すいません、どちらさまでしょう」

「夏」

「え」

「夏でしょう、あなた」

「え。いや」

「蝉の部屋にいる、夏でしょう、あなた」

「さあ」

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