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あじさい物語  作者: 川光俊哉
4/11

(4)

「こんにちは。今日は、お話の会ということで、こんなにたくさんの子たちに見られて、ちょっと緊張してます。みんな、ざわざわしてて、わたしのお話なんてぜんぜん聞いてくれなかったらどうしよう、って思ってましたけど、でも、みんな、すごいですね。しずかに、いい子にしてくれてますね。ありがとう。それじゃあ、時間も少ないので、さっそくお話をはじめよう。

 ここのところ、ずっといい天気がつづいて、みんなは外であそべて、いいね。なにが好きかな。

 鬼ごっこ。

 かんけり。

 かくれんぼ。

 リレー。そう。たのしそう。でも、雨がふらないのは、いい天気で、気持ちがよくていいけど、畑でとれる野菜とか、田んぼでとれる米とか、水がないと育ってくれない。なんだか、水不足になりそうだとかって、ニュースや新聞で言ってますけど、どうなんですか、そろそろ断水、水をとめられたりするんじゃないかって、うわさもありますけど。

 雨なんて、いつかはふってくるでしょう。

 雨がふったら、ざあざあ、ざあざあ、ずっと空でためこんでいた水が、全部、一度に落ちてくる。きっと、みんな、しばらく外であそべなくなっちゃう。そのときは、おもしろいお話のことを考えて、ぼんやり、窓の外を見てるのもいいものです。そんなお話のひとつになればいい、と思う、お話です。

 さて、みなさん、この児童館の名前は、あじさい児童館ですね。そこの橋も、あじさい橋って名前がついてますね。このあたりの土地は、あじさい、ってみんな呼んでるけど、どうしてだろう。考えたこと、あるかな。あじさい。漢字で書くと、むささき、太陽の、ようっていう字、それに、花。

 きれいな名前。

 ちょうど、五月、六月、七月くらいの雨の多い、梅雨の季節に、小さな花がいっぱいかたまって、まるい、かわいい、かたまりになって、すごくあざやかな色で、きれいなんだ。水色、青、むらさき、赤、黄色、は、ないかもしれない、でも、やっぱり梅雨の季節だから、水色、それに、名前についてるむらさき。この、紫陽花の町のお話をします。

 むかし、あるところに、ひとりの男がいました。父親、母親は子供のときに死んでしまって、ひとりきりで、鳥を撃ったり、畑をたがやしたりしてくらしていました。男の家のまわりには、毎年、あじさいの花がたくさん咲いて、それはそれはきれいで、雨にたたかれてひとつひとつ花がゆれて、ちらちら、虹が光っているみたい。雨のなかで。男は、あじさいという名前を知らなかったけれど、きれいな花だと思って、大切にしていました。


  た、た、た、た、た


 大きな葉っぱが、雨のつぶをうけて、小だいこみたいな音をたてるでしょう。男は、雨が好きでした。

 雨あがりの、ある日の朝。川で顔を洗おうと、男は家を出ました。昨日の雨で、川の水がずいぶんふえていました。いつもの、さらさら、やさしい流れではなく、どぶん、どぶん、あらあらしく、三角の波を立てて、すごい速さで流れているのです。

 橋の、川につきささった柱のひとつに、なにやら、縄のようなものがひっかかって、川の流れにもてあそばれているのが、見えました。なんだろう、と、近づいてみると、まっ白な、蛇でした。

 かわいそうに、と、男は棒きれをつかって、蛇をひっかけて、助けてやりました。蛇は、まだ生きていました、にょろにょろ、鎌首をたてて、地べたに長くのびて、それを繰り返すので、なんだか、おじぎをしてお礼を言っているようでした。

「そうか、そうか。よかったな。おれは、そこの小屋に住んでいるものだ。おまえはどこの白蛇だ。雨がふると、ここの川はあぶないぞ。これから、気をつけるがいい」

 蛇は、草むらのなかに、かさかさ、見えなくなってしまいました。いいことをしたな、と、男は、すがすがしい気分で、家にもどり、仕事の用意をして、畑のほうへ行きました。

 暗くなって、男は帰ってきて、いろいろ明日のしたくをしたり、水を飲んだり、戸じまりをしたりして、さあ、もう寝ようというときです。


  こん、こん、こん


 誰か、来ました。

「誰だ」

「あけてください」

 女の人の声でした。

「よし」

 戸をあけて、そこに立っていたのは、やはり、ひとりの女、うつくしい女でした。

「ひと晩、泊めていただけませんか」

「なに」

「この雨で、行きなやみました。ひと晩でいいのです」

「雨か。そうか。いや、雨など」

 と、男は、女の肩ごしに、外をうかがいました。さあ、と、男の鼻先をなでて、雨のうすいとばりが、夜の闇に、しずかにおりてきたのです。


  さあ、さあ、さあ、さあ


 しずかに、しずかに、こんな雨は、はじめてでした。男は、首をかしげて、女の顔を見ました。

「たしかに、ふっているようだ」

「ひと晩だけ」

 白い女だ、と思いました。紙のように白い、なにもない、けがれない白さ。雪のように白い、かがやく、きらきらとした白さ。そして、黒い女だ、とも思いました。

 こおりついた滝のように、長い、ふれればひんやりと、指先がかじかんでしまいそう、腰までかかった黒い髪です。

 それに、木の実のように、くるくると、夜の闇を集めたように、それでも、真珠のように底光りする、ふたつの目でした。

「いいだろう」

「ありがとうございます」

 口唇は、赤かったのです。

「なにもないので、てきとうなところを見つけて、勝手に寝なさい」

「はい」

 横になると、膝をかかえて、背中をまるめて、ちんまりと、まるくなって、女は寝息をたてはじめました。手のひらにおさまりそうな女を、おやおや、と、男は感心するようにながめ、やがて、反対側の隅で寝ました。雨はやんでいました。

 女は、男の家に住みつきました。女には、行くところがなかったのです。女は、よくはたらきました。男は、少しずつ、ゆたかになっていきました。子供ができました。男の子でした。元気な子で、風邪ひとつひかずに、すくすくと育ちます。男は、しあわせだと思いました。

「おい、なにをしている」

 女には、ひとつだけ、おかしなくせがありました。

「いいえ。なんでもないのです」

 家の裏に、しゃがみこんで、ぼんやりあじさいをながめているのです。

「この花が好きなのか」

「好きということでもないのですが」

「それじゃあ」

「なんでもないのです」

 かかさま、かかさま、と、家のなかから、子供が女を呼ぶ声がしました。女は、あわてて行ってしまい、そのときは、それっきりになってしまいました。男は、首をかしげましたが、すぐに忘れました。

 男が女と出会ってから、何度目かの夏が来ました。夏のはじめの、じとじとした、雨の季節でした。が、毎日毎日、からりと晴れて、じりじり、じりじり、大きな太陽が草ぶきの屋根を燃やしてしまいそうに、のしかかってくるのでした。雨がふらない。

「あなた」

 と、女は言いました。

「お別れです」

 出かけようとしていた男は、

「うん」

 と、聞き返しました。

「いま、家の裏で見てきました。赤い、生き血のように、どろりと赤黒い、あじさいの花が咲いていました。かたい約束がありますから、わたしは、あなたと別れて、帰っていかなければなりません。

 わたしは、あなたに助けられた、白蛇でございます。命をすくっていただいたうれしさに、ご恩にむくいるために、女のかたちになって、あなたのところへやってきました。

 わたしの父の、あちらの山の奥の、沼の主の、大蛇がおります。あの川の上流、水源にあたる深い沼ですが、にょろりととぐろをまいて、えらそうにしております。父は、あなたのところへ来るのを、ゆるさなかったのです。が、どうしてもと言うならば、と、父は、

「赤い花が咲いたとき、おまえは、わしのところに帰ってこなければならん。この沼も、わしには、ずいぶんきゅうくつになってしまった。じきに、川をくだって、別のすみかに移る。

 雨を集めて、一度にふらす。その流れにのって、わしは川をくだるのだから、おまえ、いっしょに来なくてはいけないよ。わしひとりでは、川をあやつることはできないよ。

 いいか、赤い花だ。もしも、おまえが約束をやぶれば、川の水は、たちまち里のものたちを洗い流してしまうだろう。

 いいか、赤い花だ」

 と申しました。

 お別れでございます。その赤い花が、赤いあじさいが、咲いてしまったのです」

 ぽつり、ぽつりと、ことばの葉を散らすように、こぼした声、その口唇は、やはり、そこに花が咲いたようでした。

 男は、女の顔が急に遠く見えて、と思うと、近く、近く、目のなかに飛びこんで、胸にせまって、思わずほろりと泣いてしまいそうに、

「わが子を置いてか」

「そう、それだけが、心残りで。つめたいうろこを身にまとった、このようななさけない、蛇のわたしを、かかさま、かかさまとしたってくれる。わたしがいなくなって、あの子は、どうやって大きくなるのか。さみしがるでしょう、恋しがるでしょう」

 女は、少し考えて、片手で、顔をそっとおおいました。そのまま、かるくむすんで、男の目の前で、そっと開いてみせます。大つぶの真珠のように、重く、深く、やさしく、ずっと奥の奥のほうからにじみだす、乳色の光です。

 手のひらの上の、その宝石のようなかがやきに、男は見とれていましたが、はっとして、女の顔を見上げると、左の眉をひきさげて、まぶたを閉じていて、それがなんなのか、分かった気がするのです。

「あの子が、わたしを思い出して、さみしがって泣くときは、これを、わたしの目の玉を、飴をなめるように口にふくませてやってください。ああ。もうだめ。早く。逃げてください」


  さあ、さあ、さあ、さあ


 雨が、ふってきました。からからの土が、しめって、つんと鼻にさすようなにおいがしました。外を見ていた男が、振り返ると、もう女はそこにいませんでした。男の手のなかに、かすかなぬくもりがありました。女の目を、にぎっていました。

 子供が目をさましました。

「雨」

「そうだ。雨だぞ」

 男は、子供に、目を持たせました。なんだろう、と、しげしげながめていましたが、やがて、ひょいと舌にのせて、ころころ、口のなかで鳴らしていました。

 男は、外に出ました。泣きました。

 川のずっと上流から、


  ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど


 水のかたまりが、ころがり落ちてきました。男は、なぜだか、笑っていました。

 雨がやみました。

 男の家は、きれいさっぱり洗い流されて、ただのまっさらな地べたになっていました。赤いあじさいだけが、ひとつ、申し訳なさそうに、頭をたれて、ぽた、ぽた、しずくを落としていました。

 と、一匹の蛇が、その根もとから、にょろり、顔をのぞかせました。黒い蛇です。あじさいをじっと見上げていたり、むこうの川を背のびするようにながめたり、ふしぎそうに、あたりの景色を見まわしています。

 男は、蛇になっていました。

 男は、死んでしまったのでしょうか。蛇に生まれ変わったのでしょうか。分かりません。

 黒い蛇は、男だったときのことを、あまり覚えていませんでした。でも、少しは覚えていました。なんだか忘れている、思い出さねばならないような気がして、蛇は、おちつきませんでした。

 それから、雨のふらない日がつづきました。

 ずっと、ずっと、長いあいだ、雨はふりませんでした。

 何年もすぎました。雨は、ふりませんでした。何十年も、何百年もすぎました。蛇は、死にませんでした。

 あじさいは、枯れては咲き、咲いては枯れて、もう赤い花は咲きません。蛇は、それを見守っていました。赤いあじさい、それだけが、蛇の目の底にかすかに残っていました。

 川に橋がかかりました。家がたちならびます。車が走って、駅ができて、子供たちがたくさん生まれて、学校ができます。児童館もできます。

 もう何度目か分からない、夏が来ました。夏のはじめの、じとじとした、雨の季節でした。でも、まだ、雨はふりません。蛇は、目を覚ましたとき、知らない部屋のなかにいました。

 もぞもぞ、蛇が体をよじった気配を聞いて、本でも読んでいたらしい、ひとりの若い女の人が、顔をあげました。

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