表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あじさい物語  作者: 川光俊哉
3/11

(3)

「すいません。わたし、そこの児童館の職員です。あじさい児童館の、臨時職員です。ちょっと、すいません、なんて言ったらいいのか。すいません。坂本愛ちゃんっていうのは、二年生の女の子で、うちの児童館の学童なんですね。

 ちょっと変わった子で。まあ、別に、これまで問題を起こしたこともないんですが、けんかとか。ひとりで本を読むのが好きな子で。児童館には、まんがもいっぱい置いてあるんですけど、あの子は、一切そういうのは手にしなかった、好きなのは、なぞなぞの本とか、シャーロックホームズでした。

 すごくかわいい子で。黒い髪が、つやつやしてて、思わずさわりたくなります。まんがみたいに、きらきらした目をしてて。男子で、ちょっかいをかけてくる子が、たくさんいるんですね。

「なに読んでんだよ」

 とか、そんなことを言って、頭をたたいたり。愛ちゃんはマイペースに本を読みつづけます、あんまり反応がないと、本気で蹴ったりもする。

 そうなると、わたしがとめに入ります。

「だめでしょ、キックしちゃ」

 って、強く言えば、ふつう子供は大人がこわいものなので、なんかもごもご言いながら逃げていきます。わたしも、かわいくない子よりは、かわいい子が好きなので、お気に入りの子をつくりたくなるのは、まあ、しょうがないと思います。愛ちゃん、わたしのお気に入りでした。

「なに読んでるの」

 言ってから、あ、同じこと聞いてる、って気づきました。そんなの、のぞきこんだら、分かるんですけど、怪談の本で。

「なに読んでるの」

 さりげなく、髪にさわった。ひんやりして、気持ちよかった。

「怪談。口裂け女」

 こっちを振り返りもせずに、返事をしました。おなかを押すと声を出す、人形みたいだった。それも分かってました。細い線で、黒い長い髪の、赤いコート、白いパンツで、ハイヒールで、大きなマスク、イラストが右のページにのってました。

「おもしろいの」

「まあ」

「こわい」

「別に」

 愛ちゃんは、そういう子でした。ピアノ、水泳、剣道、空手、英会話、最近はバイオリンとか、習い事をやってない子なんていません、週に八個かけもちしてる子もいます。愛ちゃんは、なんにもやってないんです。だから、いつも、最後まで児童館に残ってるんですね。愛ちゃんが帰るまで、わたしも帰れなかった、だんだん電気を消していって、帰れ、帰れ、ってプレッシャーかけるんですが、気にせずに、ずっと、本を読んでて。

「もう帰るよ」

「うん」

「聞いてる」

「うん」

「なに読んでるの」

「怪談」

「最近、好きだね。だいじょうぶ。こわくて帰れないなら、いっしょに帰るよ」

「こわくはない」

 暗かった。門のほうでぽつんと、青い、あかりがひとつだけついてて、それがげた箱をすかして、さしてくるんですね。

 ふたりきりだな、って、ふと思いました。所長さん、出張でいなかった。どきどきした。あの雰囲気。わたし、どうして、あんなに愛ちゃんのことが好きなんでしょう、お気に入り、とか、そんなもんじゃないんです、正直言って。さわりたくて、ぎゅっとしたくて、あの子の髪の、いいにおいをかぎたくて、愛ちゃんはやせてて小さくて軽いから、大きなパンをひと口で食べるみたいに、食べてしまえそう。だから、正直、わたし、好きだったんじゃないか、って思うんです。つまり、恋愛みたいな感情にとても近いもの。

 子供のころのこと、思い出すじゃないですか。

 どきどきした、わたしは、愛ちゃんに似てる子だったのか。そんなことはないですよ。ぜんぜんちがう。わたしは、かわいくはないけど、にこにこ明るい元気な子で、友達がいっぱいいた、一年生のころからずっと学級委員で、生徒会長もやって、人気ものでしたよ。なんの中身もない人気でしたけど、勉強もできないし、部活とか、運動もできない、音楽とか芸術とかぜんぜん分かんない、趣味もない。ただ、人と話してて、おもしろがらせて、いい気分になってもらうのは、なんか、得意でした。チワワにされてた。わたしも、なろうとしてたし。それで、このざまですよ。

 このざま。なんか、なんにもやってなくて。がんばってやったことがないから、ゼロなんですよ。ただ、人よりうまくは生きてきた、苦労しなかったから。はじめて会う人でも、たいていはわたしのこと、好きになる、あんまりわたしに興味なさそうな人、男も、はじめて会って別れるときには次の約束してくれる。それで、もう、付き合ってる。気持ちいいですよね、なんでも思いどおりになると思ってた。でも、申し訳ないくらい、わたしは、博愛主義で、それは、気持ちが通じあってて、いま完璧だな、って思う瞬間はありますよ、いいところにあたってるなあ、って、こっちが逆にいいところを見つけられたりとか。死ぬほど好きだ、って、びりびり伝わってくる、でも、

「ありがとう」

 なんて、そんな温度。三分の一くらい受けとめて、かみしめて、よろこぶけど、ありがとう、とかそんなの、三分の二は受け流すようなもので。わたしも死ぬほど好き、なんて、言ったことない。わたしにとっては、どんな死ぬほど好きも、全部、それはそれ、ってことになってしまって。だから、ぜったいにこれ、っていうひとつがなくて、食べちらかしながらぶらぶら歩いてるだけで、それで、立ちどまるのが不安なんですよ、たぶん。

 で、いいかげんつかれて、くずれ落ちるみたいに、地べたにすわって、そしたら、もう、みんなわたしのことホームレスにでも見えるのか、誰も声をかけてくれなくなってて。女王アリ、って思ったことがある、調子にのってたのかもしれないですけど、あれ、実物は本当にグロテスクなんですねえ。

 パンの愛ちゃんを食べたい。食べたら、わたしと愛ちゃんはひとつになって、だから、わたしが愛ちゃんでもあって、わたし、愛ちゃんになれる。愛ちゃんがいいんですよ、あんなに強く、マイペースに、自分の好きなことやってたら、なんか、もっと、よかった。とりあえず、抱きつきました。うしろから、ぎゅっと、つぶして、まるめて、ひと口に飲みこんでしまいたかった。

「じゃま」

 そう言うと思った。

「愛ちゃん、あそぼう。帰らなくいいから。ひとりで本を読んでるのは、だめ。帰るか、わたしとあそぶか」

 愛ちゃん、眉間にしわを寄せて、考えた。すごくいやそうだったけど、

「あそぶ」

「やった」

「なにする」

「なにがいい」

「じゃあ、おばけになって」

「いいよ。なにおばけ」

「この本の、好きなとこ開いてみて」

 愛ちゃんが、本に指をはさんだまま、受けとって、そこを開きました。ノストラダムスの大予言、って、どろどろした字で、血がしたたってるような感じで、大きく縦に書かれてました。

「これ」

「やって。なって」

「ノストラダムスの大予言にか。うーん」

「やって」

 隕石が落ちてくる。

 南極の水がとけて、日本沈没。

 核戦争。

 宇宙人が、せめてくる。UFOが空一面、オセロみたいに埋めつくして、なにがはじまるんだろ。馬鹿みたいに見上げてる人間のからだが、爆発していく。

「なにをすればいいのかな。ノストラダムスになればいいの。どうするの」

 一九九九年はとっくにすぎてて、もう、何年前の怪談の本なんでしょうね、口裂け女や赤マントは、永遠にこわがられて、忘れられてって繰り返すんでしょうけど、こればっかりは、もう、こわくもなんともないじゃないですか。一九九九年すぎたら、本当にあったこわい話、とか、言えない。

「どうするの」

 愛ちゃんは、目をくりくりさせて、わたしを下からのぞきこんで、なんにも言ってくれないから、どうするの、ってわたしはまた聞いた。愛ちゃんは、じっと、まばたきもせずにわたしを見つめてて、その目は、なんだろ、小犬みたいな、小猫みたいな、でも、もっとぬれてて、つやつや光ってる。ビー玉みたいにきれいだった、ビー玉をマジックで黒くぬって、しつこく、しつこく黒目をぬりつぶした感じ。だから、本当に光る。門のところの、青いあかりが、ちらちらして。

「つまんねえ」

 愛ちゃんに、逃げられてしまいました。あっというまに、ランドセルしょって、黄色い帽子かぶって、ぺたぺたくつを鳴らして、門をくぐっていきました。

 それから、愛ちゃん、わたしをぜんぜんかまってくれなくなりました。もともと、愛ちゃんのほうからかまってくれることなんてなかったけど、わたしがなにを言っても、返事もしてくれない、ずっと、怪談の本を読んでました。

 ノストラダムスの大予言のページ。

 だんだん、児童館にも来なくなりました。かわいい子だから、いると、本を読んでるだけでも、いるな、って思うんですけど、いなければいないで、大事なものがなくなったような感覚は、そういう雰囲気になることもなくて、まるでトイレのドライフラワー、きれいで毒々しくて、誰もまともに見たことがないから。

 児童館に行くときに、自転車で、ずっと川ぞいに走るんですけど、児童館に一番近い橋を渡ろうとして、愛ちゃんがいたんです。見まちがいかと思ったけど、大人の男の人といっしょにいた。背の高い、無精ひげの、やせた人。ふたりで、ずっと、川を見てました、川の流れを、ほかになにも見るものはなかったと思う、手すりに胸をくっつけて、落ちそうなくらいにのりだして。

 なんにも声をかけれずに、通りすぎてしまいました。帰るときは、もういなかった。でも、たまに見かけるようになりました、そこの橋で。だいたい、そのかっこうで、川を見てます。そうじゃなければ、しゃがんで、ふたりで紙をのぞきこんでたり、なにか空、たぶん雲を指さして、話し合ってたり。

 その男の人が誰なのか、わたしは知りたくて。次は、ちゃんと自転車をとめよう、声をかけてみよう。わたし、それくらいの権利はあるはずだ、と、自分に言い聞かせて、どきどき緊張したり、でも、なんか、うれしくてにやにやしてたりもして。たまにある、児童館のイベントの日で、お話の会、っていう、学童たちに読み聞かせをしてくれる人を呼ぶんですね、そういう日は、お母さんが愛ちゃんをつれてきてました。今日はいるかな、と、わたしはみんなをすわらせながら、探してたんです。見つからなかった。お話をしてくれるのは、ボランティアの、川のこっちに住んでる、むかし学校の先生だったとかいう、五十くらいの、わたしの母親に少し似た、小さな、若いおばあちゃんみたいな人でした。

 不思議なくらい、子供たちはしずかにしてた。みんながすわってる前に、ピアノのいすに腰かけて、

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ