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あじさい物語  作者: 川光俊哉
2/11

(2)

「ごめん。ごめん、って、ずっと言いたかった。あやまることでもないと思うけど、でも、なんとなく、見て見ぬふりしてる感じで、ずっと友達をつづけてて、わたしは、それでもよかったけど、けっこう気持ち悪かった。ごめん。あやまられると、むかつくのかな、分かんないけど。

 わたしと、奈津実と、あいつと、なんか、共犯者みたいだった気がする。

 びくびくしてた。

 年末ごろだったと思うけど、あんたからひさしぶりに、電話が来た。奈津実、覚えてる。同窓会がどうのとか、そんな用事で、わたしはめんどくさいって言った。あいつも、そこにいたのね。

「誰から」

 たぶん、分かってたと思うけど、聞いてきた。

「うん。まあね」

 とか、わけの分かんないこと言って、わたしは、ごまかした。あんたの名前は、出なかった。それまでは、自然と出なかっただけだけど、それから、意識して、出さなくなった気がする。

 くらくらする。

 眠い。

 気持ち悪い。

 実は、ちょっと飲んできた。せっかくだから、本当にひさしぶりに会えるから、そのいきおいで、全部言ってしまおうって思ったから。あんたとあいつが別れたとき、すぐに、あいつ、わたしに電話してきた。それで、うちに来た。

「別れた」

 まず、そう言った。なんか買ってきてたな、おかしとか、酒とか、なんか、いろいろ。青白い顔してた、別に、落ちこんでるとかじゃなくて、ただただ、色が変だった、なんだろ、人間じゃないと思った。ゾンビ。血の気のない、からからにかわいた吸血鬼みたいで、人造人間、フランケンシュタインかもしれなくて、そのひとことが、低く、びりびりひびいた、エコーがかかってるみたいに。なんかの鳴き声みたいだった、ねばねばした、緑の液体を垂れ流しながら、こっちに近づいてくる、口だけの怪物、アメリカ映画のクリーチャーみたいなものの声で。ぞっとした。おおげさに言えば、最初、誰だか分かんなかった。

 だから、人間に見えないくらいに、あいつ、動揺してたのかな、って、いまはちょっと思う。わたしも、殺されそうなくらいにこわくて、それくらい、信じたくなくて。ちがうな。ぽつん、と、紙に点をうつみたいに、なんでもないことなんだ、そういう、かんたんなことなんだな、って気づいて、体がふわっと浮いた、頭が三センチのびたような、変な感じがした。

 むなしいな。いくら、別れをドラマチックに語っても。

「正直、どっちでもよかったんだよね」

 本当に、あいつ、そう言った。最低だと思うけど。さらに最低なことに、わたし、それをよろこんだ。わたしの番だと思った。

「どっちでもよかったんだ。へえ」

「遠くから見たら、おまえら、見分けつかないよ。近づいてもだけど。分かんないよ、本当に。目が痛くなる」

「そう。じゃあ、なんで」

「あいつのほうが、早く、付き合おうって言うから」

「へえ。そんなことだったんだ」

「むりだよ、そんなの。似すぎだよ、おまえら。おれが悪いのかな。案のじょう、ひとりでも相手するのがきつかった。なんにもしてないのに、勝手に怒るからな、なんか、あるんだろうけど。めんどくさい。魚。カブトムシ、とか、そういう女、いないかな。熱帯魚みたいな、ハムスターみたいな、そういうのがいい、って、最近しみじみ思う」

 ああ、カブトムシなんだ、熱帯魚なんだ、こいつの求めてるのは。えさはもらえるけど、名前もつけてもらえない、死んだときに、やっと、埋めてもらえて、わりばしで墓標を立ててもらえて、ちょっとだけかなしんでくれる。

 それでもいい、って思ったよ。

 全部、話すんだったね。となりに小さくすわって、ぐびぐび酒を飲んだ、自分で飲んだぶんだけ、飲ませてやって。いいかげん酔う。その酔った気分にまぎれて、もっと、どうしようもないくらい酔ってる気になって、肩に頭をのせた、首すじのにおいをかいで、耳をさわって、腰にだきついて、顔と顔をくっつけた。当然、最後の最後まで、やったよ。

「おまえ、本当に奈津実か」

 終わったあと、たしかめられてしまった。たぶん本気だった、いま思えば、それがなんかの深い意味がある、ロマンチックな、すてきなセリフなわけがないんだ。

「そうだよ」

 って、わたし、にやにやしながら手をつまみあげて、なでてた。意味は、あとで考えようと思った。夕方だった、馬鹿みたいにきれいな、赤い、むらさきの、空が窓から見えて、写真でもとっとこうかと思った。迷ってるうちに、暗くなった。本当にわたしは、馬鹿だから、そういう雰囲気で、そういう状況になられたら、すごく、ひたってしまう、泣きそうなくらい、なんか、ぐっときて。漠然としたムード、安い、分かりやすい、口あたりのいい、おなかいっぱいにはなる、やっぱり意味はないんだ。

 それから。それから、なんの確認もなしに、わたしたちは、付き合ってるのに似たような関係に、なった。そうだと思う、肉体関係は維持されてて、週に何回かは、どっちかの部屋に行って、いちゃいちゃしてた。

 それから、あいつは、いつのまにか仕事やめてた。うすうす、ひますぎるのが変だと思ってたけど、あいつが言いだすまでは、なんかでかせいでるんだろうってことにして、聞かなかった。

「なんで」

「つかれた。もう、むりだと思った。いろいろ、変なことになって。なんだろ、なんでこんなに眠いんだろ。頭も痛い。いつも、なんか、風邪ひいてるみたいにだるくて」

「病気」

「ちょっと落ちついたら、仕事さがす。さすがに、むりだ、もう」

「むり。むりって、なにが」

「客の顔が覚えられなくなった、みんな同じに見えて。そんなので仕事できるわけないだろ」

 うん、むりだな、って思った。どうして、わたし、こんなに安いんだろ。

「終わりだよ」

 くわしく聞いた。人の顔が、同じに見えるんだって。つまり、なんか、日本人が、外人はみんな同じに見えて、あんまり区別がつかない、みたいなことらしい。なに言ってるか、よく分かんなかった、そういうたとえで言ってくれるまでは、わけの分かんない冗談なのかなんなのか、本当だとしても、別にたいしたことないとしか思えなかった。それで、最近は、服とか、声とかで判断するしかないくらいになって、それもなんか、よく分かんなくなってきて。ストレス、とか、そんなのはとっくに越えて、頭がおかしくなりそう、って。なんにも言えないから、だまってた。

 だまってたら、絵を描きはじめた。A4のなんかの書類の裏に、細長いまるができた。だまって、見てた。それが、人の顔になっていくことは分かってた、目を描いて、鼻を描いて、口を描いて、髪を描いて、案外うまいな、と思った。

「こんな顔、髪の長さは少しずつちがうみたいだけど、だいたいこんな感じ。女だと思う。よく笑う。でも、ふだんは怒ったような顔ばっかりしてる気がする」

 わたしの顔だった。分かんない。わたしは、そう思った。でかいだけの、一重まぶたとか、ぶあつい下口唇とか、よく特徴をとらえてる気がした。見てるうちに、あいつは、どんどん修正していって、影とかつけて、本当に、そうとしか思えなくなる。

「できた」

 あんたにも似てる。

「それって、見てもらったほうがいいんじゃないの」

「医者に」

 わたしに似てるとか、気づいてないみたいだった。

「病気じゃないと思う。なんか。ええと」

 はじめて、反省した。わたしがなんか悪いことしたんだと思った。天罰とか、ばちがあたったとか、そういうことなんだと思って、なにが悪いのか考えたけど、分からない。

「なんだっけ。忘れた」

 でも、分かんない。神さまの目から見たら、わたしはあんたから男をとって、いい気になってて、それなら、天罰をうけるべきなのかもしれないけど、でも、そんなに悪いことなのか、どうなのか。それは、あんまりあんたに味方しすぎる神さまだ。

 どんどん変になっていった、あいつだけじゃなくて、わたしの毎日も、だんだん別のものになっていく気がした。もう、髪も、服も、声も、みんな同じなんだって、それで、どんな感じか聞くと、やっぱり、わたしだと思う。あんまり、部屋を出なくなった。ちゃんと話はできる。でも、わたしと話してるってことが分かんないと思う、わたし、奈津実って名前の女が、そこにいるって。

 郵便受けに新聞が落ちる音で、目がさめた、なんであんなに熟睡できてたんだろ、いやな日って予感はした。休みだけど、なんにも予定がなかった、どうやってすごすか、なんにも考えてなかった。テレビつけたら、天気予報やってて、降水確率七〇%か八〇%だった。天気悪いのか、と思った、今日はごろごろしてようかと思った。でも、ぜったい、おかしかった。どう見ても、窓の外は快晴で、色の濃い、深い緑の、これから明けていくだろうっていう、そういう暗さ。でも、晴れてる。晴れてた。雨がふるなんて、どうしても信じられなかった。

 結局、その日は、雨がふらなかった。テレビも、新聞も、天気予報は見なくなった。

 ぼおっとしてた。部屋を片づけたり、洗濯したり、まんがとかぱらぱらめくって、昼寝して、あんまり意味のないひまつぶしを、三時くらいまで、してた。そろそろ、なんにもない一日だったな、って、一日をまとめようとしてた。チャイムが鳴った。立ちあがって、プールの水から顔を出したみたいに、耳がとおる。体を急に動かして、なんか、きしんだんだと思った。違和感があった。二本足で歩いてるのに、はいつくばって、水たまりをぱちゃぱちゃ渡るみたいだった。カエルになって、茶色の、きたないガマガエルになって、おなかをこすりつけて。

「こんにちは」

 知らない女の人だった。女の人。わたしよりは年上だと思った。でも、そこまで上ではない気がした。

「あの」

 知ってるか、って、あいつの名前を言った。わたしの名前も知ってた。ぜんぜん心あたりのない名前も言った。

「愛ちゃん、ごぞんじですか」

「いいえ」

「坂本、愛ちゃん」

「知りません」

 あいつのこと、一日、考えてなかったな、って思った。わたしが誰かを好きになってるとき、そんなことは、本当にめずらしい。変だ、なんか、変だ。愛ちゃんっていうのが、どう関係するのか、わたしは、びくびくしながら、ドアノブに手をかけたまま、立ってた。蚊がどんどん入ってきた。足が、かゆかった。

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