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『××色の巡る世界で』

夏色の祭り

作者: 雨偽ゆら

 ――君の世界は、何色だい?


 父に問われた質問の答えを、ボクは今でも探していた。


 歪なことに気づけないまま、代わり映えのない日常は過ぎていく。

 残り時間が短いことはわかってる。けたたましいセミの声が、ボクの心を急かしていた。


 食卓に並べられるのは、いつもより豪華な料理の数々。小さな椀に取り分けた分は、仏壇に備えられた。


 母の「手伝ってくれる?」という言葉に笑顔で応える。

 短くした割り箸を差して作られた、キュウリの馬とナスの牛。

 今年は使われないと知りながら、言葉に出すことはない。母は『見えない人』だからだ。


 お手伝いのお礼は、「ありがとう」の言葉と一本のラムネだった。

 でこぼこと特徴的な瓶には、ビー玉と炭酸水が入っていた。カラカラになった口は水分を求め、ゴクリと喉を鳴らす。

 口に含めると、シュワシュワと泡の弾ける音と、爽やかな香りが喉を抜けた。

 夢中で飲み干し、空っぽになった瓶が置かれる。ビー玉が転がり、風鈴のような涼やかな音を立てた。


 縁側にぶら下げられた提灯はまだ迎え火を灯しておらず、ボクには物悲しく感じた。

 あの暖かな光は、家族の居場所を示す道標。「おかえりなさい」の代わりなのだ。

 とはいえ、まだ迎える時間としては早すぎる。太陽の光がさんさんと降り注いでいるのだから、灯りが点いていないのは当然だ。

 入道雲が浮かぶ青空を仰ぐと、不思議と暑さは薄れていた。


 隣に座っていた妹がラムネ瓶を鳴らして遊んでいた。

 父は母の近くで、支度が進んでいくのを見守っている。

「今年もみんなで夏祭り行こう!」

 妹は父と母に振り返り、笑顔で告げた。

 お盆の最終日、とうろう流しの前に夏祭りへ行くのが家族の決まりごとだった。

 母は夏祭りを話題に出したことに対して「気が早いわね」と笑っていたけれど、妹は『見える人』。もう家族が揃っていることに気付いていた。


 ボクの手に、妹の手が重ねられる。

「浴衣選んでくれる?」

 驚きでパッと妹の顔を見る。はにかんだ笑顔は幼い頃から変わらない。

 ワガママでボクを困らせないように、断られる前提で作られた笑顔。でも、可愛い妹に甘えられるのが嫌なわけない。

 ボクが『いいよ』と言うと、妹は花を咲かせたような満面の笑みを浮かべた。春の陽気の穏やかな日差しに似たそれは、母の笑顔と同じだった。


 手伝いを求める母の目を盗み、二人で寝室の押し入れへと向かう。

 桐のタンスの下から二段目。母が嫁ぐ時に祖母からもらった和服の中に、ボクら用の浴衣も混ざっていた。

 柄を見やすくするため、妹が浴衣を畳に並べていく。


 青の朝顔、オレンジの金魚、紫の桔梗、黄色の菊、それと……

 無意識に手を伸ばしていたのは、今の季節にはそぐわない桜柄の浴衣だった。赤みがかった薄紫の花弁は、華やかなのにどこか儚さを思わせる。

 妹はボクが触れた浴衣を見ながら、「それを選んでくれると思った」と嬉しそうに呟いた。


 思えば、去年の夏祭りでもこの浴衣を着ていた。

 理由を聞いたら「ヒミツ」と誤魔化されてしまったけれど、想像ならついている。

 柄になっている桜の品種が、名前と同じ常磐桜だからだ。

 絆の象徴を身に纏い、失われた日々の追憶を促すなんて……まるで自分の存在を他者の記憶に刻み付けるための記号みたいだ。


 妹はボクの浴衣も選ぶか聞いてくれたけれど、首を振って断った。

 今のボクに着れるものは、もうここにはない。

 だけどその心遣いに救われたのは確かだった。


 縁側に戻ると、いつの間にか日が傾いていた。

 空の半分は茜色に焼かれ、もう半分は夜のとばりが下りている。

 吊るされていた提灯には迎え火が点っていた。ユラユラと陽炎のように揺らいで見える。


「ごはんにしましょう」と母が号令をかけ、家族で食卓を囲んだ。

 いつも通り、家族で共にする夕食。だけど生者の中に死者が混ざっている時点で、この空間は歪んでいる。

 亡くなってから今年で六年目。この世に居られるのは七年まで……これが最後の夏だ。

 ずっと目を逸らしていた、父の問いに答える期限が迫っている。


 ボクの目に映る世界が何色なのか。

 答えの鍵を得るために、親友にも同じ問いかけをしたことがある。

 ――そうだ。彼らはなんと言ってただろうか。

 夏休みを終えて秋になったら、彼らなりの答えをもう一度もらおう。

 今はただ、家族が揃った最後の夏を楽しむと決めた。


         ☆☆☆


 あっという間に日々は過ぎ、待ちに待ったお盆の最終日を迎えた。

 妹は桜の浴衣に身を包み、この休みで一番機嫌が良さそうに見える。

 着崩れないように帯はきつめに絞められているはずだが、それを感じさせないほどアクティブに出店を回っていた。


 パタパタとお店の前まで駆けたかと思えば、振り返って大きく手を振ってくる。

 母は「あんなにはしゃいで、転ばないかしら」と心配そうな様子だった。

 父は呆れたように肩を竦めた。『まだまだ子供だな……』と言いたげな表情だ。


 妹は来年の春から高校生になる。受験勉強についてはボクが教えているから問題ないと思うが、友人を作れるのかが気掛かりだ。

 ……なんて、いらないお節介だったのかもしれない。


 人波の中から妹の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 どの人物かはわからなかったけれど、妹は相手の名前を呼び返し、「また遊びに行こう」と約束を交わしていた。

 ボクが妹離れすべきなんだろう。自覚はあれど、一緒にいられる間だけは世話を焼きたいと思ってしまう。


 妹がボクらの元へ戻ってきた。手には赤いリンゴ飴が四つ。そのうち二つを母に渡した。

 一瞬母はキョトンとしたものの、大事そうに受け取った。

 妹曰く、ボクの分も後でくれるらしい。イタズラっぽく舌を出された。


「あっ、見て!」妹が指差した先へ目を向ける。川辺には蛍のような、黄金の淡く温かい光が集っていた。

 あの世への旅立ちを見送るための、願いと祈りを乗せた船。幾つもの希望が流れていく。

 それはまるで人生の分岐のように、異なる道へと進んでいく。


 父は家から運んできたとうろうを地面に置いた。送り火を点し、妹へと預ける。

 妹は恐る恐る川岸に近寄ると、とうろうを水面に浮かべた。

 無口で無愛想な父が「また来年な」と、ぶっきらぼうに見送る。

 とうろうは川の流れに身を任せ、ゆるゆると下流へ消えていった。


 いつまでも川を眺める父。そんな父の視界を遮るように母が差し出したのは、妹が買ってきたボクの好物――リンゴ飴だった。

 父の穏やかな声が静寂に響く。


「お前の世界が、悲しみの色ではなかったことを願ってるよ――桜」


 問いへの答えは、まだ見つからない。

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