9.呪われた存在
「ケイマ、クレアの調子はどうだ?」
執務室で大量の書類を捌きながら、リュシカオル――ルカは目の前の青年に尋ねる。
神官服を纏い、片眼鏡をかけた茶髪の青年――ケイマは、新しい書類を机に置いて肩をすくめた。
「眼球の再生に少し時間がかかってるけど、健康面に関しては問題はないんよ。ただ……」
そこでケイマは視線を泳がせ、意を決したようにルカを見据える。やや緑がかった金の瞳には、はっきりと自分の姿がうつされていた。
「どーも厄介な呪いが掛かってるみたいでねェ。本人もそれは認めてるんだけど、眼の再生に時間がかかってるのはこいつのせいなんじゃないかって」
「呪い……か。どういうものなんだ?」
そこでも、ケイマは肩をすくめる。もう飽きたからさっさと言えなどと内心で思いつつ、ルカは返答を律義に待つ。
「多分、不老の呪いやと思うんよ。それも、災いを呼び寄せる類の厄介なタイプ」
「……災い、か。その結果が、あれか?」
もう一度質問を返せば、多分……という頼りない返事のみが返ってくる。それ以上をあてにしても仕方ないと溜息を吐き、ルカはサイン済みの書類に印を押す。
「正直、何度か神殿から脱走しようとしてて困ってるんよね。『ルカに迷惑はかけられない』なんて可愛いこと言っちゃって。目が見えないのにそれでどこに行こうってんだか」
「……そういう奴ではあるな。あまり前向きじゃない」
半分呆れつつ、乾いた笑みを浮かべる。能天気に笑っていられる問題ではない。
「……これが終わったら、久々に会いに行くか。もう一週間は顔を見ていないしな」
「終わんの?それ」
死ぬ気で仕事を終わらせようと決心した瞬間、鋭いツッコミが入る。正直、普段なら深夜までかかるほどの書類の山。多少雑に扱ってもどれくらいの短縮になるか……。
現実を突きつけられるのはとても辛いものである。
「お、終わらなかったら……途中で様子を見に行く……」
「やーい、ヘタレ」
ケタケタと笑うケイマに、今年最大の殺意を覚える。暇そうにしている姿があまりにも腹立たしかったため、半分くらい仕事を押しつけてやることにした。
本を読むこともできなければ、人の顔を見ることもできない。
世話係を務めてくれている神官の女性に新聞の記事を読んでもらうくらいしか、やることは特にない。
ひと月以上そんな生活が続けばさすがに退屈で死にたくなる。
普段の生活から始まり、城内の庭を散歩するのですら他人に頼らなければならない。目が見えないというのは非常に苦痛だった。
やはり気休めでしかなかったのか、両目の再生は徐々に進んでいるようだが、見えるまではいかない状態で。
「……主要な記事はこのくらいですけれど、コラムも読みましょうか?」
「……いえ、大丈夫です。付き合わせてすみませんね」
いつも新聞を読んでくれる女性に礼を言って、できるだけの笑顔を作る。習慣化していたそれがそう簡単になくなるはずもなく、違和感なく笑うことはできただろう。
「……クレアさまは、強い方ですね。わたくしでしたら、そんな風に笑ったりできないです」
恐らく自分が笑うたび、彼女はそう思っていたのだろうか。とても悲しそうな声で囁かれ、両手を握られる。
こうして誰かの近くにいるだけでも、嫌な思いをさせているのかもしれない。なんだか少し申し訳なくなり、俯いた。
言葉を探しているうちに、部屋のドアが叩かれる。
見てきますね、と言い残して女性の手が自分から離れ、足音がドアのほうに向かう。
「まあ、リュシカオル様」
ドアの開閉音とともに呼ばれた名前に、クレアはほんの少しびくりと震えた。仕事で忙しいと言っていたはずなのに、随分と早く切りあがったものだ。
「二人にしてくれないか?何かあったら、すぐに呼ぶ」
「かしこまりました」
そんな会話が聞こえ、部屋の中が静まりかえる。
確実に傍に近づく足音に顔を上げれば、そっと頭をなでられた。
「聞いたぞ。何度か脱走しようとしたんだって?」
「…………」
「だめだろう、まだ何も見えないんだ、回復するまで無茶はしないほうがいい」
優しく諭すように囁かれ、クレアは何を言い返していいかもわからない。
彼をはじめとした、いろんな人たちに世話になっているのは事実だった。神殿から出て行こうとするのは、彼らの好意を踏みにじることでもある。
だが、それ以上に――
「誰が、いつ、迷惑なんて言ったかな?
俺には記憶がないが、もし君に面と向かってそんな事を言った者がいるなら処罰ものだな」
「……そ、それは……」
ありもしないことだとわかって言っているのだろう――そう理解しても、クレアは慌てざるを得ない。
何もかもを見透かされたような気になって、出もしない涙が落ちる錯覚を覚える。
「……すまない、少し意地悪だったかもしれない。
……けどね、俺は君のことが心配だし、ちょっとくらい頼ってほしいとも思うんだよ。親友として、それに国王として、君の力になってやりたい」
これが、自分に何も後ろめたいことがなければ素直に喜べたのかもしれない。
いつだってルカはそんな風に、自分が欲しいものや、今まで経験したことのない思いやりを与えてくる。
だが、それを素直に受け止めるわけにはいかないのだ。
「……聞いてるんでしょ?僕の、呪いのこと」
自分の呪いを見破ったケイマという神官が彼に詳細を伝えないはずはない。
恐る恐る尋ねてみれば、ルカは小さく「ああ」と答える。
「……聞いたが、それがどうしたんだ?」
その直後の予想外の台詞に、クレアは一瞬何を言われたか理解できなかった。