7.悪夢
※やや残酷でグロテスクな表現がありますのでご注意ください。
「――氷刃斬!」
用意していた「言霊」を、相手に向かって放つ。前方に突き出した手の周囲に氷の刃を練成するそれは、牽制にしかならないのだろう。
最初から戦うことなど、微塵も考えてはいない。この異空間から脱出するためのひずみさえ、生み出せれば――
氷の刃を相手に向かって投げつけると、クレアはすぐに後方に飛びのいて相手の放った「黒い雨」を避ける。あちらもまだ本気ではないのだろうが、これをまともに食らったら全身が串刺しになること請け合いである。
――が、クレアが思っている以上に戦局は芳しくなかった。
近寄ってくる「彼」から離れようとして、クレアは足元を引っ張る何かに気付く。
「……気付いてはいるようだけど、ここは僕が作り出した異空間だ。……つまり、君がこの空間内でどこまで逃げても、そこは僕の手のひらの上と同じわけでね」
「……、要するに、最初から負け戦だってのは理解したよ……」
足元を引っ張る「何か」は、目の前の相手が髪に宿しているような蛇の群れだった。
凡人ならばそれを見てすぐに気絶してしまうのだろう。まさに悪夢としか言いようのない光景だが、あいにくこれで気絶できるような極細の神経は持ち合わせていなかった。
今回ばかりは非常に残念だ――半ば他人事のように思いながら、間近まで迫った男を見上げた。
自分よりも頭一つかそれ以上は背が高いだろうか、やや細身だが、自分よりは男らしい。目の前で仮面を外した彼は、髪の蛇さえいなければ端正な顔立ちの――美形と言って間違いない好青年に見えた。
張り付いたような笑みでこちらを見据える彼に、心持ちきつい視線で睨み返す。どうせ、迫力など微塵もないが。
「わかるよ。けっこう、怯えてるね」
「……これでもまだ、人間のつもりだからね……」
これ以上反抗して見せても、あまり意味はないのだろう。視線をそらし、溜息を吐いて本音を呟く。
「……さっさと、殺してくれないかな。どうせもう死んでいるはずなんだから」
「ん……それはちょっとできないな。君を殺すと、君に呪いをかけた奴に仕返しされかねないんでね」
少しつまらなそうにつぶやく男に、クレアは訝しげに顔を上げる。
「ま、特に問題じゃないから教えてあげるけど……僕たちの呪いってのは、解呪されない限りは自分の栄養源になるからね。君が毎日感じている苦痛や不安、恐怖なんかが、呪いを通じて自分に供給される。これほど堅実でうまい食事法はないわけでね。
だから、それ勝手に殺しちゃったら解呪したのと同じだから、そりゃあもう、呪いをかけた奴は怒るだろーね。ご飯が減るんだから当然だけど」
「……生きながら食われてる、ってわけか。悪趣味にも程がある」
嫌悪感を露わに呟けば、男はにたりと笑い、クレアの頬に手をかける。
触れられただけで、何かとても邪悪なものに浸食されたような錯覚を覚える。さながら、彼自体が瘴気のような役割なのかもしれない。
「その悪趣味を今ここでやってあげるよ。生きながら食われる人間の悲鳴って、さぞかし美味しいんだろうね」
「な……っ!?」
耳元に、ぞっとするような声で囁かれた。そして、眼前に迫る無数の「蛇」。
そのどれもが意志を持つようにかわるがわる威嚇してくるさまは、本物の悪夢と言っても大袈裟ではない。それどころか――
「何を……や、め――!?」
その悲鳴を最後まで聞きとることができた者は、誰一人としていなかった。