6.黒い影と白い仮面
「それ」はさながら、黒い「影」だった。
浮き上がっているようにも見える白い仮面だけが妙に違和感を覚える、黒装束の何か――
人の姿を模しているそれが、人であり得ないのはクレアでなくとも理解ができる――そういう雰囲気を自ら噴き出していると言ったほうが正しいのだろう。
「なんだ、懐かしい気配があると思って来てみたのに、ただの人間じゃないか」
「……君は、誰だ」
つまらなそうに腕を組むそれに、警戒しながら尋ねる。やや紫がかった長い黒髪から、何匹もの蛇が顔を覗かせる。それの声が女であれば、メデューサという言葉が正しかったかもしれないが、残念でもないが彼は男性のようだった。
「誰って言われてもね……その分だと見当は付いてるんだろ?」
「…………」
半分ほど予想していた返答が返ってくる。沈黙で返せば、蛇男とでもいうべき彼は仮面の奥からこちらを見据えた。
真っ黒で光のない瞳に、自分の姿が写りこむ。
『旦那ぁ、ペリドットとの待ち合わせに遅れるんじゃないですか』
しばし睨みあいながら様子をうかがっていると、急に何処からか声がかかる。
いったいどこから――思っていると、男は自分の髪から顔を出す蛇に目を向けた。
「少しくらい遅れてもあれは文句を言わない。そこのお姉さんが驚くからお前は黙ってな」
「……僕は男ですが」
蛇が喋るという珍現象に思わず興味を示しかけながら、さすがに見過ごせない間違いを指摘する。
驚いた風でもなく、男はふぅんとこちらを見据えた。
「なんだ、勿体無い。せっかくの美人なのにね。……まあ、人間には興味ないけどさ」
「……興味がないのに、なぜ人の住む場所に現れるんです」
茶化したような物言いに内心苛立ちながら、クレアは以前にもこの手の相手に質問したことを聞いてみる。
答えはわかりきっていたが。
「当然、興味はなくとも良い餌になるからね。特に、君みたいに呪いを受けた人間はなかなかの栄養源だよ」
「……悪魔らしい答えだ」
溜息を吐き、クレアはゆっくりと剣を抜く。
目の前の相手の殺気は未だに消えることがない。
「君みたいなのが、剣を使うんだ?」
「剣はまだまだ見習いレベルなものでね、残念だけど――杖代わりだよ」
自分でも自信のない剣術を貶められても、挑発にも何にもならない。「いつもの笑み」を浮かべ、クレアは目の前の相手を警戒しながら詠唱を始める。
――殺気が、一気に膨れ上がる。同時に、肌を刺すような威圧感が周囲を満たす。
これは、隙を見て逃げたほうがいいのかもしれない――。そう思うが、どうやらこの一角は彼による異空間が形成されているらしく、逃げるだけでも相当な手間がかかりそうだ。
「素直に逃げれば?実力の差は、理解してるんでしょ」
「……とか言って、背を向けた瞬間に刺されたりするんだよね。君たちはそういう種族だ」
詠唱を終え、まだ言霊を放たずに言い返せば、図星のようで目の前の男がくすくすと笑う。
「さすが、一度騙されただけはある。なら、素直に苦痛を感じてもらうほうがスマートでいいかな」
にたりと笑った――ように錯覚する声音で、男はゆっくりとこちらへ歩み寄る。事実、笑っているのだろう。
ほんの少し背筋にぞっとするものを感じながら、クレアは剣を持っていないほうの手を目前にかざした。