5.異変
今日も、平和と言うにふさわしい日だった。
商店街を歩けばいつものように騒がしく、そして笑顔に満ちている。
が、広場に出てみると、丁度大きな掲示板があるあたりにだけ人垣ができていた。
「……何かな?」
「ああ、戴冠式の日取りが決まったんだ。そろそろ、クライスト九世に王位が引き継がれるんだ」
疑問を口にすれば、隣からすぐに答えは返ってきた。
ほんの少し寂しそうな目で人垣を見つめるルカに、クレアは不思議に思いながらも相槌を打つ。
「……しばらく忙しくなる」
「……そ、っか」
予想はつくことだったが、ルカは騎士団の人間である。休みの日や、仕事中のちょっとした時間によく遊びに来てくれていた彼にも、どうしても忙しい時期は存在した。ましてや、国王が交代するのだからしばらくは警備の強化もされるのだろう。
ルカの階級に関しては全く知らないが、身なりを見るに相当高位の人間であることは最初からわかっていた。もしかすると、聖騎士――いや、それ以上に身分の高い「四騎士」の一人かもしれない。
聖クライスト王国の大きな軍事力として知られるクライスト騎士団には、大きく分けて5つの階級があった。
騎士団を統べる「師団長」、それをサポートする四人の騎士「四騎士」、四騎士の命令を受けて部隊を管理したり、訓練の指導などを行う「聖騎士」、その下は「騎士」と実戦配備されない「見習い」である。
細かく分類してしまうと、四騎士ごとの特色を帯びた部隊や、騎士の中での階級の分類もあるのだが、クレアはそこまで詳しいわけではなく、ルカから話を聞くまでは知らないことも多かった。
聞いた話では、聖騎士以上の身分になると王室の警備に充てられる者も多くいるという。
もしその中の一人にルカが含まれているのであれば――いや、恐らくはそうなのであろう。でなければ、彼の口から「忙しくなる」なんて言葉が出ようはずもない。
「……一、二週間くらい遊びに来れなくなると思うが、すまないな」
「大丈夫、稽古は一人で続けておくよ」
本当に申し訳なさそうに俯くルカに、クレアはいつものように微笑んで答える。
数年前の自分なら大して気にもしなかっただろうが、ルカがいるのが当たり前になってしまった今では随分と寂しさを禁じえない。
かといって、そこで寂しいと言えるはずもなく。
「……じゃあ、また来た時までにどれだけ強くなってるか見させてもらうかな?二週間もあれば俺から一本取るくらいできるよな」
「え、そんな無茶な……半月前後で何が変わるのさ!」
少し安心した様子のルカに思わぬ返しをされ、クレアはないないと両手をぶんぶん振って反論する。
さすがに一本取るなんて無謀なことは出来そうもないが、内心では、多少寂しさを紛らわすための目標はできたと安心した。
一週間が経ったころだろうか、漸く、広場の掲示板でクライスト九世の戴冠式が終了したと発表された。
街の中はお祝いムードとでも言うのか、普段の倍以上賑やかで、さながら祭りでも行っているかのような賑わいだった。
とはいえ、明日から数日は本当に祭りが行われる、とのことだが。
「……ルカは、仕事なんだろうね」
誰に話すでもなくぼそりと呟くと、クレアは広場を後にする。差し出された新聞の号外を受け取って、歩きながら軽く目を通す。
「……クライスト九世のフルネームは、リュシカオル・クライストか」
さすがに知っていなければならない一般常識を、確りと記憶する。というのも、クライストの王位継承者は戴冠式が終わるまで名前を公開されることがないのだ。
これは何世代も前からのしきたりで、一説には外部からの暗殺者対策とも言われている。戴冠の儀でも、一般人に顔を知られてはならないために仮面をつけるなど、この国の王はとにかくベールに包まれた秘密が多い。
国王の素顔が公開されているレディエンスとは全く違うスタンスではあるが、そんな秘密が多い国にもかかわらずクライストは豊かな国だった。
自然の要塞とでもいうべきであろうか。海と山に囲まれ、農業や漁だけでなく他国との貿易も積極的に行っている。
加えて、団結力の高い騎士団の存在が治安の水準を高めている。安心して暮らすという点ではこの上なく理想的な国であるのは確かだった。
が、そんなクライストにも防ぐことのできない「危険な」存在は確かにある。
背後に感じる殺気に、クレアは誰もいない表通りの真ん中で立ち止まった。