3.秘密
あの日から三日は経っただろうか、ふとそんなことを思いルカは読みさしの本を閉じる。
部下から面白いからと言われて借りた続きものの物語は、確かに寝しなに読むにはうってつけだった。つまらないわけではなく本当に面白いのだが、内容がそれなりに難しいせいで眠気を誘うというわけだ。
……なんて言ったら、怒られてしまいそうだが。
閉じた本をしばし見つめ、あの雨の日に出会った少年を思い出す。クレアと名乗った彼は、まともに身分も明かさない自分を快く屋敷に泊めてくれた。
さすがに、礼の一つもしなければ申し訳ないと思っている。かといって、たった半日ほど一緒に過ごした程度の仲で、相手が喜ぶものを考えるのは雲をつかむような話だ。
「……本、なんか贈ってもすでに読んでいたら困るしな……」
唯一思い当たるのは、書籍である。それも、おそらく魔術関連のものなら興味を示すのではないかと、本当に少ない記憶と情報から安直に考える。
とはいえ、あれだけの蔵書を書斎に詰め込んでいる相手だ、そこいらの書店で見つかるような本などは贈れるはずもない。
そんなことを考えて悩んでいるうちに、いつのまにか眠っていた。
ほんの少し、玄関がノックされる音が聞こえた気がする。誰が来たのかは見当が付いているが、いまだにクレアはそれが不可解だった。
自分の屋敷は、雨が降ろうが雪が降ろうが、一般の目には触れないはずなのだ。
そういう「結界」を敷地に張り巡らせて、誰も来ないように仕向けていたはずなのだが。
とはいえ、多少なりともその結界を見破るような人間もごく稀に居ないことはない。が、それは余程修練を積んだ魔術師や、強大な魔力を有している人間にしかできない芸当である。
あろうことか、ルカと名乗ったあの青年には、ほんの僅かしか魔力というものは感じ取れなかった。潜在的に何かを秘めているのかとも思ったが、そういった類の気配は微塵にも感じられない。
騎士としての覇気というのか、そういった威厳のようなものは感じられるのだが。
そう思いながら、玄関まで出向く。今度は律義に軒先で突っ立っている青年を確認すると、「いつもの笑顔」で出迎えた。
「今、大丈夫かな」
「暇ですから、遠慮なくどうぞ」
別に彼がこうして尋ねてくることに関しては、クレアとしては歓迎ではあった。
まだ自分のことをよく知らないからこそ、普通の人として接してくれる。毎日を退屈に過ごしているクレアにとって、「人として」だれかと話すことはめったにない、最高の娯楽でもあった。
「もしかしたら読んでいるかもしれないが、レディエンスでしか刊行されていない書物を持ってきたんだ」
ごく当たり前のように差し出された数冊の本に、クレアは一瞬目を丸くする。
差し出されたのは、どれも魔術に関する本――それも、今では敵国と言われている「レディエンス」の書籍。
「いいのですか?」
「俺が持っていても宝の持ち腐れだからね、古いもので状態も悪くてすまないが」
苦笑しながら「どこに置く?」などと聞いてくるルカに、クレアは慌てて本を受け取る。
読んだことのない本に対して、ここまでドキドキしたのは初めてかもしれない。
それ以前に、家族以外の他人から何かを貰うということ自体が、クレアにとっては初めてのことだ。素直に嬉しいという気持ちをどう表現するか、すっかり忘れていた。
「……喜んでくれた、のかな?」
「……あ、はい……
ありがとう、ございます……」
漸く口から零れた感謝の言葉が、自分でもとても不思議な感じに思えた。
「あ、お茶……飲んでいく?」
「そうだな……君がいいなら、せっかくだし」
なんだか楽しそうに微笑むルカに、クレアは軽くうなずいて客間まで案内する。とはいえ、先日も案内した部屋なのだが。
「この間も思ったけど、ここは随分古い家なんだね」
紅茶の香りが漂う部屋を見回しながら、ルカは興味深そうにつぶやく。ほんの少しドキリとしながら、クレアはカップに紅茶を注ぎながらうなずいた。
「ここは、だいたい三百年は前に作られた屋敷です。……まだクライスト五世が王位についていたくらいの頃でしょうか」
「……詳しいね」
ほんの少し驚いた様子で相槌を打つルカに、何となく冷や汗をかきながら頷く。皇帝の家系図なんてそこいらに出回っているし、知っていても何ら問題はないはずだ、たぶん。
「祖父から聞いた話では、静かな場所に暮らしたかったからとこの場所に屋敷を建てたという話です。今では下流貴族が大半を占めていると思いますが、当時はそれなりに聖職や公務に従事する者が排出されていたらしいですね」
今となっては、自分一人しか残っていないが――
口に出さずそう続けると、クレアはややぬるくなった紅茶を口にする。なるほどと頷いて、ルカも紅茶に手をつけた。
「今は君以外に、親族はいないのか?」
「……」
その質問にどう答えるべきかわからず、クレアはゆっくりと頷く。
詳しく話してしまえば、自分の忌まわしい記憶まで話すことになる。
話すべきでもなければ彼に知ってほしいとも思わない。それ以上に、もしも目の前の青年が知ってしまったら、その時の反応を想像したら――
「……さみしくないか?」
嫌な想像をしていると、そんな言葉を投げられた。