14.蛇の兄妹
空気が振動しているのが肌で感じ取れる。ピリピリとした嫌な感触を受けながらも、クレアは早口で詠唱を始める。
目の前では、黒髪の男と付かず離れずの攻防を繰り返すカイの姿。
彼が自分のほうへ攻撃が行かぬようにしてくれているからこそ、クレアはこうして魔術を行使することができる。
「人間のくせに、ちょろちょろと……」
「――ここが普通の場所なら、またあの異空間に引き込むつもりだったのかな」
どうやら、アーズライトはこの塔の上ではうまく力を行使できないらしい。塔を破壊するだけの力はあっても、クレア達を異空間へ引きずり込むことはできないようだった。
それならば、二人掛かりで挑んでいるこちらにもまだ戦況は有利だ。アーズライトの頭上へと光り輝く剣幾つもを出現させ、カイが飛びのいたところでそれを落とす。
難なく避けられてしまったものの、いくらかは髪や服を掠ったらしく黒い影が霧散する。
「ちっ……ここで見つかったのが不味かったか」
苦虫をかみつぶしたかのような声音で呟けば、アーズライトの髪から無数の蛇が顔を出す。その一匹一匹が槍のようにまっすぐ、口を大きくあけて食らいつくように飛ばされた。
「――はっ!」
気合一閃――とでもいうべき一声で、カイが自らの目の前に迫る蛇をなぎ払う。が、すべてを払うことはできなかったようで、腕に噛みついた蛇を掴んで投げ捨てた。
クレアも詠唱していた魔術でそれをなぎ払うと、次の呪文を詠唱しにかかる。が、そうそううまくいくわけもなかった。
「――いい加減うっとうしい」
低い声がぼそりと呟かれ、黒い塊が懐へ瞬時に飛び込んでくる。しまった――
そう思って反射的に剣を構え、放たれた蛇をはじき返す。が、腕にはしっかりと別の蛇が牙を立てていた。
「く……っ」
じわり、痛みとともに奇妙な痺れが体を襲う。それが強力な毒と解る前に、体はうまく動かなくなっていた。
見れば、カイも同様に片腕を抑えている。だが、確りと剣は手放さない。
「全く手間のかかる……こんな結界の真ん中じゃなければもっと早く終わってたのにね」
嘲るような声音で囁きながら、アーズライトが歩み寄ってくる。
ちらりと自分の腕を見れば、噛まれた場所から、服さえ巻き込み硬化し始めていた。
「……殺さないようにって思ってたけど、やめた。なんか腹立つから、石像にして粉々にしてあげるよ。勿論、塔もろとも――ね」
「……」
仮面を外し、にたりと笑いながら詠唱を始める相手に、クレアはまだ動く方の腕で剣を握りなおす。まだ、片腕以外は動く。
すべて固まってしまう前に、せめてあの悪魔へ一太刀でも浴びせてやらなくてはならない。慣れない左手に剣を握りしめ、地を蹴った。
「無駄なことを――、!?」
嘲るようなアーズライトの声が、途中で途切れる。その背後には、真っ赤な血のような髪を持つ、騎士。
「生憎、俺もまだ動ける」
やはり慣れない持ち手に剣を構えたカイが、アーズライトの背後から――
確りと、剣で腹を貫いていた。
「……っ、貴様――」
「こんな所へ出向いた自分を、恨むんだよ」
剣を下し、クレアはゆっくりとアーズライトの傍に歩み寄る。
小さく詠唱しているその呪文は、久しく使わなかった精神を蝕む術――これをまともに食らえば、いくら悪魔と言えどもひとたまりも無い筈だ。
だが、それを発動する前に――一陣の強い風が吹き抜けた。
――大きな鳥か、それとも竜か。
一瞬そんな錯覚を受けたそれは、二人の人間としてすぐそこへと降りた。
「ルカ――!?」
「クレア、大丈夫か!?」
駆け寄ってくる親友に、クレアは発動しようとしていた呪文をかき消す。同時に、ルカの傍にいた少女を見て眉をひそめた。
「やっと見つけたわよ!」
「ちっ。ペリドットか……」
怒りをあらわにアーズライトへ詰めよる少女に、クレアは一瞬唖然とする。いったい何が起こっているのか。
状況を全く理解しないうちに、ペリドットと呼ばれた少女の蹴りがアーズライトに炸裂していた。