12.結界
「――こりゃ、ひどいな」
破壊された船や、恐らく今から積み込まれようとしていたであろう木箱だったものの残骸。
それを目の当たりにしてそれ以外の感想が出るはずはなかった。
「やたらと大きな音がしたから来てみれば……全く、人の国に勝手に侵入されては困るぞ」
ぽたぽたと、抜き身の剣から人ではない何かの血が滴る。すぐ傍には獣型の魔物が絶命し倒れている。その様子を見ればだれもが、この男――ルカがそれを倒したのだと理解できただろう。
――残念ながら、人間らしきものは、亡骸のみだったが。
「……被害が大きいな。結界が破られたか?」
凄惨たる状況にやや厳しい表情で呟く。敵国からの侵略だろうか、それとも違うものか。
このような状況は、彼の知る限り「結界」を一つでも破壊しなければ起こりえないことだった。
クライストの街には、周囲を魔物や危険な獣から守るための「結界」が置かれていた。
国全体を囲むように、八か所に設置された塔の頂上、それぞれに「陣」と呼ばれる結界が貼られていたのだ。
これらを施術した者以外の人の手で消す方法は、塔自体を破壊すること――それ以外方法はない。
その結界が破壊され、こうして目も当てられない惨状になるのは、ルカにとっては初めてのことだった。
とはいえ、人の死などはもう何度も目の当たりにしている。今更吐き気など訪れるはずもなく、目の前の惨状を目にして出る言葉は、他人からすれば随分と希薄なものなのかもしれない。
「……クライストに血は似合わない、そう思わないか?」
ぼそり、誰にともなくルカは呟く。
だが、唯一それを聞いている者が背後にいることに彼は気付いていた。
ゆっくりと振り返り、急に現れた気配の主を確認する。
「随分勘がいいのね、キミ」
腰まであるストレートの髪。同じ緑でも、クレアのような明るいエメラルドのようなものではなく、やや暗い草の色をしていた。
その金色の瞳を見て、普通の人間ではないことを理解する。かといって、同じ金色の瞳をもつケイマのような存在とは全く違う。気配が既に、「彼女」を人ならざるものと示している。
「……それで、私に何か用かな」
「あ、別に用はないんだけど……」
さすがに少しだけ警戒しながら、それでも余所行きの――騎士としての態度で質問する。
が、思っているよりも相手は何も考えていないようで、困った様子で頭を掻いた。
「まー、この騒動に無関係、ってワケじゃあないからね……うん」
「……どういう事だ?」
少女の口から飛び出た言葉に、ルカは眉をひそめる。確かに、この少女の纏うただならぬ気配ならば、この騒動の張本人ですと言われても納得してしまうだろう。
「結界、あるでしょ?アレを壊したやつを探してるの」
「…………」
にわかに信じがたい言葉に、ルカは沈黙し少女を見つめる。
もしかするとクレアより背はあるかもしれない、年齢的には十七、八歳ほどの少女。よく見ればその瞳は、獣のように瞳孔が縦長になっている。
「ま、信じてくれなくてもいいけどね。ここには居ないみたいだし、他を当たるわ」
「……結界を破壊した者を知っているんだな?」
背を向けて歩き出す、少女を呼びとめる。
くるりと身軽に振り返り、少女はにこりと微笑んだ。
「ええ、知ってるわよ。恥ずかしくも、あたしのお兄ちゃんだもの」
『……旦那ぁ、さすがにこれ以上やるのは止しましょうや』
「なんだ、おまえペリドットが怖いのか?」
まだ壊れていない塔の上、青年は極めてにこやかに囁いた。
警鐘を鳴らす蛇の首を指でつつき、軽くはじく。特に痛がる様子もなく、蛇はまた顔の前に戻ってきた。
『いやね、いくらなんでもペリドットの手駒をこんだけ使い物にならなくすると……やっぱヤバいと思うんですよ』
「お前はいつからあいつの手下になったのかな?」
ぐしゃり。
そんな音を立て、青年の手が蛇の頭を潰す。血だらけになった手を軽く振り、頭の潰れた蛇を離す。だらりと情けなく垂れ落ちた蛇は、足元の彼の影へと消えていった。
『あらあら、八つ当たりね。ヨルムももう少し口数を減らせばいいのに』
ひょっこりと、もう一匹淡い紫の蛇が顔を出す。女性的なその声は、随分と大人びていた。
「無理じゃないかな。君みたいにお利口さんじゃないからね。だが、そろそろペリドットが動いているのは確か見たいだね」
くつくつと笑い、青年は塔の中央――陣の上へと歩みよる。
「あれを相手にするのは厄介ではある。さっさとやるだけやって、おさらばしないとな」
そう言って、彼は片腕を高く上げる。
「――そんなにうまくいくと思ったら、大間違いだよ」