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ようやく二人がたどり着いたのは、エトリセリアとフレイアの国境に近い街だった。既に夜にさしかかった時間帯だが、ぽつぽつと明かりが見える。どうやら、宿屋や飲食店が多い場所のようだ。国境近くなので、旅人も多くいるのだろう。
「街に着いたのは良いのですが、宿、どうしますか?実は、いざという時の為に、お姉様から頂いたお金は取っておいてあって、ちゃんと持ってきましたけれど…」
エリカはそう言って肩にかけてあるかばんを見た。レオは少し考えてから言った。
「今後のことについて話したいし、取りあえずどこか、落ち着いて話せるところを探した方が良さそうだな…。幸いこの辺りには宿屋が多いみたいだし、すぐに見つかると思うが…」
二人が宿を探すことに決めた、その時。その近くで楽しそうに走り回っていた小さな女の子が突然転んだ。段差があったのかもしれない。そして、顔をゆがめて泣き出した。それを見ていたエリカは慌てて女の子の傍に駆け寄ってしゃがみこんだ。そして、優しく声をかけた。
「大丈夫ですか?どこか、怪我をしているところはありませんか?」
すると、少女は泣きながら自分の膝を指差した。どうやらそこを怪我してしまったらしい。その状態を確認したエリカは、自分のかばんから素早く治療するための道具を取り出し、手早く怪我をしたところに処置をした。非常に慣れた手つきだ。それが終わった後で、泣いている少女に笑いかける。
「これで大丈夫ですよ。数日のうちに良くなると思います。…あ、それと、あなたのお家はどちらにあるのですか?暗い時間ですし、送っていきましょうか?」
だが、その必要はなかった。不意に近くの宿屋から女将が飛び出してきた。しばらく何かを探すように辺りを見渡していたが、やがて少女の姿を見とめ、近づいて来たのだ。どうやら、彼女が少女の母親らしい。少女をずっと捜していたようだ。店のすぐ近くに少女がいることに安心したらしく、ほっとしたような笑みを浮かべ、ぎゅっと女の子を抱きしめた。女の子は、少ししょんぼりとしている。どうやら、勝手に外に出たことを反省しているらしい。エリカは立ち上がり、そんな女の子と女将の様子を見ていた。でも、その横顔はどこか寂しそうで…。そのことが心配になったレオは、そっとエリカに声をかけた。
「エリカ、君こそ大丈夫なのか?寂しそうに見えるが…」
「え…、ああ、顔に出ていましたか?私、天文台に十歳の頃から住んでいたので、あまり家族との記憶が残っていなくて。だから、あの子が少しうらやましいな、と思ってしまったんです。最近はあまり気にしていないようにしていたんですけどね…。気になさらないでください」
そう言いつつも、エリカは寂しそうにうつむいた。しかし、不意に片方の手が何かに包まれ、温かくなったような気がした。驚いたエリカがそちらを見ると、その手をレオが繋いでいる。突然のことにエリカは困惑した。レオも、そんな自分の行動に自分で驚いたらしく、しばらく黙っていたが、その後でようやく理由を説明した。
「いや、その、何て言うか…。こうすれば、少しは寂しくなくなるかと思って…。嫌だったのなら、申し訳ない。すぐに離すから」
エリカはしばらく何も言えなかった。こんな風に傍にいてくれる人は、初めてだったから。だが、やがてふわりと笑みを浮かべた。胸の奥が温かくて、けれど、どこか戸惑いを感じている。そんな気持ちになったのも……初めてだった。
「…ありがとうございます、レオさん。誰かと手を繋ぐのは…、久しぶりです」
そう言って、少しためらいがちに、けれど、確かにレオの手を握り返した。すると、そんな二人に気付いた女将が言った。
「もしかして、あなたたちがこの子の怪我を治療してくれたの?ありがとう、この子は本当にお転婆で…。お礼と言ってはなんだけど、うちに泊まっていったらどう?どうせ今日は、客が全然いないから。既に決まっているなら無理強いはしないけど…」
エリカとレオは顔を見合わせた。だが、それなら宿探しをせずに済む。なので、二人は彼女の厚意に甘えることにした。それを伝えると、女将は人が良さそうな笑みを浮かべ、少女と共に、エリカとレオを彼女の宿へと案内してくれた。彼女の店はここからあまり離れていない。すると、その途中で少女が振り返り、にこにこと楽しそうに笑って、二人にこう尋ねた。
「ねえねえ。二人ってもしかして、付き合っているの?さっきからおててずーっと繋いでるよ?仲がいいんだね!」
その言葉にエリカもレオもはっとした。そういえば、ずっとそのままの状態でいた。二人とも慌てて手を離す。エリカは慌てて謝った。
「す、すみません、レオさん!いつまでも手を繋いでしまっていて…。ごめんなさい、歩きにくかったですか?」
「い、いや、大丈夫だ。気にしないでくれ。そもそも最初に繋いだのはこっちだし…。悪い、すっかり手を繋いでいたことを忘れていた…。本当に申し訳ない…」
二人で赤面しつつ、宿へと向かった。宿の中はどこか温かい雰囲気で、落ち着けるような場所だった。エリカは宿に泊まるのが初めてだったので、ずっときょろきょろしていた。レオは、そんなエリカの様子を見て、どこか楽しそうな表情をしている。受付した後で、二人はそれぞれ別々の部屋に案内された。後で食堂で合流することにした。
エリカは、部屋に入ると、取りあえずかばんを近くの椅子に置いた。そして、その中からとある紙を取り出した。そこには、姉であるジゼルの文字で、とある地名が書かれていた。エリカはこの後、そこを目指したいと思っていた。その場所にいる人物。それは、数年前に会って以降一度も会っていないが、確かにエリカの知っている人だ。エリカはその人物のことを考えつつ、その紙をしまい、食堂に行くためにその部屋を出た。
一方、レオは、部屋の中で、手首の辺りを軽く怪我していることに気付いた。どうやら先ほどの戦いの時に、相手の剣が当たっていたようだ。取りあえず敵を倒すのに必死になっていたせいで、全く気付かなかった。その後森で迷いかけたこともその原因だろう。怪我自体はひどくないが、レオはため息をついた。たぶん、これからも追手は次々とやって来るはずだ。その度に怪我をしていたら、いつか戦えなくなってしまう。たとえ一つ一つの傷が小さくても、それが影響していつも通りに剣を扱えないこともあるだろう…。そう考えつつ外に出ると、ちょうどそこにエリカがいた。どうやら、エリカもたった今、部屋を出たところらしい。エリカは、レオに気付くとふわりと笑みを浮かべた。
「あ、レオさん。ちょうど良かったです。一緒に食堂に行ってもよろしいですか?…って、ちょっと待ってください、レオさん、手首のところ、怪我をしていませんか?ちゃんと手当てしないと」
そう言って、エリカはレオの服の袖を指差した。そこは、うっすらと血がにじんでいて、エリカはそれに気付いたようだった。エリカは一旦自分の部屋に戻ってさっきの少女の時にも使った治療道具で、手早く怪我した部分に包帯を巻いた。やはりかなり慣れている様子だ。一人で暮らしている間にそういった技術も身に付けたのかもしれない。数分もかからずに治療は終わった。
「これで大丈夫だと思います。怪我したら遠慮せずに言って下さいね。後から化膿したら、本当に大変ですから。それに、守られてばかりだと申し訳ないですし…」
「ああ、ありがとう。また、怪我した時は頼む。でも、そのことに関してはあまり気にしなくて大丈夫だ。僕は、ジゼル様に命じられたから。君を安全な場所に逃がすようにと…」
そう言うと、エリカはどこか複雑そうな表情になった。しかし、一瞬でその表情を消してしまったため、本当にそんな表情をしていたのか分からない。気のせいかと思ってしまうほど、あっという間に消えてしまった表情。エリカは結局何も言わず、そのまま治療道具を部屋にしまいに行ってしまった。レオは少し怪訝に思いつつそれを見送った。
読んで下さり、ありがとうございました。