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二人はひたすらその通路を歩いた。一応、両端の壁には等間隔で明かりが点いていて、歩く上で支障はない。だが、外の様子が分からないので、今が何時ぐらいか、どこにいるのかも分からなかった。天文台とフレイア国の距離はそこまで近くないので、とても道が長く感じるのは当たり前かもしれない。だが、進んでもただ薄暗い通路が続いているだけなので、余計に遠く感じる。二人が時折話をしながら歩いていると、ようやく出口が見えてきた。重厚な扉がそこにある。先に扉に着いたレオは、取っ手に手をかけた。
「敵がいた時の事を考えるとゆっくり開けた方が良いだろうな。…じゃあ、開けるぞ」
さすがに反乱軍もここまで到達していないはずだが、念のため警戒しておくべきだろう。少しだけ開けた扉の隙間から二人で外を覗いてみる。…誰もいないようだ。レオは先に外に出た。辺りを見渡したが、やはり、人の姿はどこにもない。森の向こうに街の明かりが見えた。地図だと、この森を出るとエトリセリアとフレイアの国境の町にたどり着くらしい。つまり、もう少しで国境を越えられるということだ。恐らく明かりがあるところがその町なのだろう。だが、木々の隙間から見える空は赤い。空に浮かぶ雲も茜色に染まっている。今はまだ森の中でもその様子が分かるけれど、直に暗くなってしまうだろう。
「もう夕方みたいですね。明るいうちに森を抜けてしまいましょう」
エリカがそう言った時だった。近くの茂みが、風もないのにざわざわと不自然に揺れた。その奥で何かの姿が動く。レオはすぐにそれに気付き、エリカをその茂みから遠ざけさせた。動物か人間かは分からないし、害があるのかどうかも分からない。けれど、嫌な予感がする。そもそも、こんな夕方に深い森の奥にいる者はほとんどいないだろう。何かいるとすれば、それは――。
「…見つけた。こんな短時間でここまで来るとは…、驚いたよ」
そう言って茂みから突然出てきた男の手にあるのは、剣。木々の間から弱々しく差す夕方の日光に、刃が銀色に冷たく輝いた。その言葉と行動で分かった。彼はこちらの味方ではない。可能性は低いと考えていたが…、どうやら既にここまで追手が迫っていたようだ。レオがエリカを庇うように彼女の一歩前に出る。そして、腰の剣に手を伸ばした。
「エリカ、僕がこの人を引き付けている間に街の方へ逃げろ。街には人がたくさんいるはずだ。奴らも簡単には君を狙うことはできない。いいな?」
そう言って、剣を抜く。こんなに早く敵に会ってしまうとは思っていなかったが、その動揺をすぐに打ち消した。目の前の人物に集中する。相手もそれに対峙するように剣を構える。だが、エリカは彼を置いて逃げることに躊躇していた。レオはそんなエリカに相手を見据えたまま言った。
「大丈夫だ、必ず後で追いかけるから!さあ、早く!」
エリカはしばらく迷った末、ようやくその場を離れた。エリカは何か武器などを扱ったことがない。だから、そこにいても無意味だ。何もできない。むしろ、足手まといになってしまうだろう。そのことは自分がよく分かっている。レオのことを心配しつつ、違う場所へと走った。怖くて…、だが、自分には何もできないことが悔しかった。後ろから、金属音が聞こえてくる。二人が、戦っている音。けれど、それに耳を傾けてしまったら戻りたくなってしまう。だからエリカはひたすら走った。正直、どの方角に行けば町の明かりが近付くのか分からない。もしかしたら、反対方向に向かっているのかもしれない。道は複雑な網のようになっていた。
しばらく走ったところでエリカは一旦立ち止まった。レオが無事かどうか、気になって思わず振り返った。剣の音は既に聞こえなくなっている。それが、エリカが遠くまで離れた証拠なのか、それとも勝負がついたのか…、分からない。エリカは少し迷った末に、やはり引き返すことにした。もしも、それでまだ金属音が続いているようであれば、急いでその場を離れればいい。しかし、戻ろうとした途中で他の追手が現れた。数は二、三人くらいだが、彼らの手にも武器がある。対するエリカは何も武器を持っていない。圧倒的に不利な状況だ。
――ここで、殺されるのかもしれない。
しかし、彼女の予想に反し、追手の一人が少しだけエリカに近付いて言った。
「王女様、俺たちはあなたを殺したいわけではありません。もちろん、怪我をさせる気も。ただ大人しくこっちに来さえすれば、あなたに剣は向けないし、さっきの少年にも手は出しませんよ」
その言葉にエリカは驚いた。彼らはエリカが王女であることに気付いている…。「幻姫」と呼ばれているエリカの存在はほとんど知られていないはずなのに。ずっと天文台にいたので、彼らとは会ったことも話したこともないはずなのだ。それに、もう一つ予想外だったのは、殺すつもりはないという言葉。反乱軍は自分を殺したいのかと思っていた。…しかし、殺さない理由が分からない。
「どうして……。あなたたちは、王族である私を殺したいのでは?」
追手たちにもそれは分からないらしく、こう答えた。
「俺たちは『あの方』に、ただあなたを連れて来るよう命令されただけの、末端みたいなものですので。詳しいことは何も…。そんなことより、王女様、早くこちらへ。そうでなければ、あなたにも、あの少年にも手荒な真似をしなければならなくなりますよ?」
追手が脅すようにそう言ったが、エリカは首を横に振った。正直、断ったらどうなるのか、よく分からないし、もしかしたら怪我を負うかもしれない。だが…、彼らのことが信用できないのも事実だ。ついていったところで本当に彼らが今言った通りになるのかは分からない。今殺されなかったとしても、連れて行かれた先で殺される可能性がある。
…それに、王城に戻っても、そこにはもう彼女を知っている人はいない。きっと、一人も。そんな場所に戻ることなど、できない。その瞬間、追手たちは一斉に剣を抜いた。それをエリカに向ける。交渉が決裂したと判断したようだ。エリカは思わず後ろに下がった。予想はしていたが、かなり危険な状況だ。普通に考えると、このまま逃げるのが得策だ。だが、彼らの方が、圧倒的に数が多い。追いつかれてしまう可能性が高いだろう。それに、そのうちの一人は弓矢を携えている。遠くのものでも簡単に射貫くことができる。どう動くべきか迷っていると、別の相手と戦っていたはずのレオがやって来た。
「エリカ!無事で良かった。だが、相当面倒な事態になっているようだな。まさか、既にここまで追手が迫っているとは…。何故…」
「レオさん!さっきの人は…?それと、怪我はしていませんか?!」
一見するとどこも怪我していないように見えるが、エリカは心配だった。彼女は剣を扱ったことがない。つまり、戦いにおいては何もできないのだ。それが起こった時に圧倒的にその負担がかかるになってしまうのはレオの方だ。そのため、なるべく戦いになることは避けたかったのだが…。しかし、そんなエリカにレオはあっさりと答えた。
「気絶させた。恐らくしばらく起きないだろう。僕の方は全く問題ない。…エリカ、下がっていろ」
エリカがその場所から少し離れた瞬間、レオを倒すべき敵だと判断した追手たちが彼に斬りかかった。しかし、レオは素早い動きでそれを躱し、追手を翻弄する。一人だというのに、数人の追手たちと互角に戦っている。一人、また一人と相手を倒していく。だが、その動きは、戦っているのではなく、舞っているようだ。その動きを見ただけで、レオが非常に剣術に長けていることが分かる。エリカはただそれを呆然と見ていることしかできなかった。
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