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レオが目を覚ますと、そこには木の天井が広がっていた。しかし、それは見慣れた自分の部屋の天井ではない。レオは少し考えてから意識を失う直前のことを思い出した。森の中で夜空色の髪の少女に声をかけられて……。だが、そこから先の記憶がない。恐らくそこで意識を失ったのだろう。辺りを見ると、床にたくさんの箱がごちゃごちゃと乱雑に置かれている。物置小屋なのかもしれない。そして、窓辺には昨日の少女が立っている。ぼんやりと外の景色を眺めていたが、不意にこちらを振り返り、レオが起きたことを確認してほっとしたように笑った。
「あ、起きましたね。良かった。おはようございます。体調はいかがですか?」
「…おはよう。かなり良くなったよ。ありがとう。ところで、ここはどこなんだ?」
「天文台です。…って言ってもどこだか分かりませんよね。この国には星術のための天文台がたくさんありますから。ここは王城の北に広がっている森の中ですよ」
ふわりと落ち着くような笑みを浮かべて少女は答えた。その言葉でレオはようやく気付いた。恐らく、ここがジゼルの言っていた天文台だ。そして、彼女が守るように言っていた人物はきっと、目の前にいる少女のこと…。すると、まだ名前も知らない少女が少し首をかしげて質問してきた。
「そういえば、あなたはどちら様ですか?ここに来られたということは、王城の関係者…ですよね?」
「僕はレオという。王城に騎士として仕えている。ジゼル様に頼まれてここに来たんだ」
だが、少女は更に不思議そうに今度は反対側に首をかしげた。夜空色の髪がさらりと動く。――彼女にはまだ、一番肝心なことを伝えていない。そこでレオは王城に反乱軍が攻めてきたことを簡潔に話した。恐らく、既にジゼルが亡くなっていることも…。それを聞いた少女は目を見開いた。その瞳に違えようのない悲しさが映っている。そしてそっと目を伏せた。少女とジゼルの関係は分からないが、きっと、彼女にとって大切な人だったのだろう。だが、最後まで何も言わずに話を聞いていた。
「…僕はジゼル様に天文台にいる少女を安全なところへ逃がすよう、命じられたんだ。恐らく、君のことだろう。…ところで君の名前は?」
「そういえば、名乗っていませんでしたね。私の名前はエリカと言います。…と言ってもどこの誰だか分からないでしょう?そのご様子だと、ジゼルお姉様には私について、詳しく聞いていませんよね?」
レオはうなずいた。エリカはジゼルのことを「お姉様」と呼んでいるが、それには違和感があった。現在、エトリセリアに王女は全部で三人いて、ジゼルは第二王女だ。つまり、彼女の妹は第三王女しかいない。しかも、第三王女は重鎮の一人に連れられて既に国の南の方へと逃げており、ここにいるはずがないのだ。そもそも、容姿が異なっている。すると、エリカと名乗った少女は苦笑し、こう尋ねた。
「そうですね……。それなら、『幻姫』と言ったら分かりますか?」
レオはその言葉で、王都に流れており、よく噂されていた話を思い出した。
現在、国王には息子が三人、娘も三人いると公には伝わっていた。しかし、王都では本当はもう一人姫がいるのではないかと時々噂になっていた。公表されていないだけで、本当は存在しているのではないかと…。しかし、その噂は広まってはいるものの、誰もその姿を見たものはない。詳しい情報を知る者も誰もいないし、その件に関しては王城も沈黙を貫いたままだ。ただ、そういった話だけが流れているだけ。なので、王都ではそのいるかいないか分からない姫のことを「幻姫」と呼んでいたのだ…。
「私がその『幻姫』なんです。つまり、噂は本当だったんですよ」
エリカが若干笑いながらそう言うと、レオは申し訳なさそうな顔になった。もしかしたら、少し暗い話だったかもしれない。だが、それに関しては今更何か言ってもどうにもならないことだと分かっている。戻れない過去のことをずっと気にしていたって何も進まない。だからエリカはあまり気にしないようにしていた。そして、なるべく明るい口調になるよう心掛けつつ言った。
「でも、そんなに寂しくはなかったですよ。ここはのんびりしていてそれなりに楽しいですから。…あ、それと、私には敬語を使わなくて大丈夫です」
普段、敬語を使われるようなことがないし、普通の王女として育ったわけでもない。そのため、そうされると逆に戸惑ってしまう。レオはうなずき、それを了承してくれた。
――だが、レオには一つ、腑に落ちない点があった。いや、元々あった謎が更に深まったというべきか。何故、この国の王女であるエリカが、誰の目にもつかないような場所で暮らしているのか…。しかし、それを聞こうとしたその時だった。ガチャガチャと何かが外で音を立てた。二人は顔を見合わせ、そっと窓辺に寄った。こちらの姿が見えないよう、体勢を低くする。見てみると、そこにいたのは、兵士。だが、国王の兵士ではなさそうだ。――恐らく、反乱軍。静かにその場で待機していると、しばらくして、彼らは森の中へ消えていった。天文台の主が森へ行っていると思ったようだ。
「まずいな…。このままここにいればすぐに見つかってしまう。どうすれば良いんだ?」
すると、急にエリカが強くレオの手を引っ張った。レオは驚きつつ、立ち上がる。
「逃げましょう!天文台に抜け道があります。今のうちにここから移りましょう」
二人は、先ほどの兵に気付かれないよう、慎重に小屋から天文台に移った。エリカは一気に天文台の最上階へ駆け上がり、必要最低限の物を入れた鞄を取り出した。そうしてすぐに下に戻ると、レオが待っていてくれた。まだ兵士たちは戻ってきていないようだが、時間の余裕がないことは明白だ。エリカはその近くにある本棚のからくりをいじった。すると、本棚が動き、階段が現れる。驚いているレオを手招きすると、彼は慌てて階段の傍に近付いた。
「急いで階段を降りましょう。降りた先に、本棚を元に戻すからくりがあります」
このからくりは、エリカしか知らないもので、もし彼らが見つけたとしても絶対に扱えない。つまり、ここから追って来られる可能性はゼロに等しい。二人は階段を駆け下りた。からくりで再び本棚を閉じた直後、その向こうから声が聞こえた。
「恐らく、あの者はまだ天文台の中にいるはずだ。逃げる前に急いで探しだせ!」
二人は息を切らしながらそれを聞いていた。取りあえず見つからずに済んだ。エリカは隠し通路の明かりを点けた。これなら足元もはっきりと見える。
「危機一髪でしたね。良かった。でも、ここからなるべく離れた方が良さそうです」
「ああ…。でも、この隠し通路がどこに繋がるのか知っているのか?それに、逃げたとしても向こうが追ってくる可能性は高いだろう。ここから離れた後も気をつけるべきだ」
「そうですね…。でも、私についてこなくても良いんですよ?私といる以上、あなたも狙われる可能性が高いです。それに…、いえ、とにかく、宜しいのですか?」
エリカは星空の力について言いかけて止めた。これに関しては、今話すべきことではない。しかも、それに関してどう思われるか分からない。その代わり、真剣な表情でレオを見た。エリカの問いにレオはあっさりと答えた。
「一緒に行く。ジゼル様のご命令だし、どうせ僕も反乱軍に狙われるはずだ。だが…」
レオは何かを言いかけて止めたが、その時のエリカはあまり気にしていなかった。彼の答えで自分がこれからどうするか、どこに行くかが決まった。エリカはある紙をレオに見せた。それは、地図。そこに書かれた国名の一つを指差す。そこに、彼女の知り合いがいるのだ。取りあえず、そこを目指したい。
「フレイア国…?この国の西に隣接している国か…」
「この通路はフレイア国の近くまでつながっていると聞いたことがあります。そこまで行けば…」
エリカがそう言うと、レオはそれで分かったらしく、うなずいた。通路の先を見る。一応明かりはついているが、それでもその果てを見ることはできない。ここを抜けた先がどうなっているかも全く分からない。だが、どちらにしても、この通路にずっといるわけにもいかなかった。なるべく、ここから遠く離れた場所へ…。
――二人の旅が、今、始まった。
ようやく主役二人がまともに会話できたことに一安心しています…。
読んで下さり、ありがとうございました。