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エトリセリア王国には今、大きな危機が訪れていた。王家に対する反乱軍が王城へと攻めてきているのだ。その知らせを国王が受け取ったのは一週間ほど前のはずだった。だが、彼らの進行するスピードは異常に早く、既にあと少しで王都に達しそうなところまで来ている。しかし、エトリセリアが建国されて以来、こんなことは一度もなかった。星術のために人々の暮らしは安定し、王家に対しての不満などはほとんどなかったのだ。そのため、その情報が入った直後から城内は大きく混乱した。国王はすぐにそれを討伐するために軍を動かしたが、圧倒的な強さを誇る反乱軍を前になす術もなく命を散らしていった。それによって更に混乱は深まり、貴族の中には既に国外へと逃げてしまった者もいる。もう、誰も崩壊を止めることはできないだろう。
そんな中、王城のある一角で生き残った数少ない重鎮たちと王家の人々が集まっていた。今もこの城に残っている人はとても少なくなっていた。だが、最悪の場合、この城にいる者たちが全員殺される可能性もある。彼らは皆、暗い表情をしていた。こうなってしまえば、こちらにはもう勝ち目がない。具体的な突破口はどこにもなかった。
「もはやこれまでか…。私はこれ以上他の者を犠牲にしたくはない。私を置いてお前たちは逃げろ、そして、この国でなくてもいい。…どうか、この世界のどこかで生き延びてくれ」
国王がそう言うと、王妃や子供たちが泣きながら嫌だ、と訴える。だが、彼が考えを改める気配はない。重鎮たちもそれを理解し、涙を必死でこらえている。けれど、もう時間がない。反乱軍がすぐそこまで来ていることは既に知っていた。すると、一人の女性が国王の前に進み出た。第二王女であるジゼルだ。
「私は、絶対に最後までこの場所にいるつもりです。色々と心残りはありますけど…。あの子のこともありますし」
ジゼルが一度言いだしたら聞かないことは知っていた。本当は彼女にも死んでほしくない。生きていてほしい。けれど、一つ、強く止められない理由があった。
…ジゼルは、とある人物の居場所を知っていた。先ほどの会話でジゼルが言っていた「あの子」と同じ人で、その人物は、この国の重要な基盤とも言える星術に関する特別な力を持っている。彼らは徹底的にその存在を隠してきたが…。もし、反逆者たちが何かしらの形でそれを知って、その人物を狙っているならば…。その居場所を知っているジゼルも間違いなく危険にさらされるだろう。ジゼルが逃げたとしても、きっとどこまでも追われることになる。だが、それ以上に、彼らにその場所を知られるわけにはいかない。何も起こっていなかった今まででさえ自由にできなかったその少女を、これ以上閉じ込めることも、敵に捕らえられるわけにもいかなかった。そのことを分かっていた国王は苦笑した。
「お前の好きにしなさい。…さあ、我が家臣たちよ、もう時間がない。私の王妃と子供たちを安全なところまで逃げさせよ。私のお前たちへの最後の命令だ」
すると、重鎮たちはそれぞれ深く頭を下げると、それぞれ王妃と子供たちを連れて一緒に外へと向かった。そんな中に取り残された臣下が一人。彼の名前はレオという。王城に騎士として仕えており、まだ一年ほどしかここにいないが、その優秀さは既に多くの者に認められている。侯爵家の跡継ぎで、彼の父も騎士だった。国王への厚い忠誠心を持っていたが、彼は反乱軍と戦の最中に亡くなっている。国王はレオを見て言った。
「君も逃げなさい。これまで私たちに仕えてくれたことを感謝する」
「お待ち下さい!どうして僕だけ何も役目がないのですか?」
「君はまだ若い。いくらでも将来に希望がある。危険な役目を任せるわけにはいかない」
国王は諭すように言った。レオほどの能力があるならば、どこでもやっていけるだろう。だが、それを聞いたレオは悲しそうな表情をした。
「僕はまだ、若いから頼りにならないということですか…!」
それを聞いていたジゼルは、あることを思いついた。自分の命は、ここで終わる。それはもう確実なこと。…だから、自分がいつも気に懸けている、天文台の王女の元に行くことはできない。だが、ほとんどの人がその存在を知らない。つまり、ジゼルがいなくなれば彼女は独りになってしまう。現在のこの状況について何も知らないままになってしまう。…本当だったら、自分がどうにかしてこの状況を伝えに行きたかった。もっと、気に懸けていれば良かった。様々な思いが浮かぶけれど、それはもう叶わない。だから、代わりに…。ジゼルは厳かに告げた。
「…それなら、あなたに一つ頼みごとがあるの。…天文台に向かってちょうだい」
その意図に気付いた国王が驚いたようにジゼルを見る。だが、それを気にすることなく真剣な表情でレオを見たジゼルはそのまま言葉を続けた。その瞳には、悲しい色が映っている。
「王国の北に広がる森のずっと奥に天文台があるの。そこには私より少し年下の女の子がいるわ。その子を王国の外へ…、絶対に安全な場所へ逃がしてあげて。お願い」
「承知いたしました。必ず役目を果たします!」
レオはそう言って部屋を出ていった。それを見送った後、国王はため息をついた。その理由はジゼルにも分かっている。恐らく、今二人が考えていることは同じ。天文台の、もう一人の王女のことだ。
「結局私は最後まで、エリカに何もできなかったな…。彼女が平穏に過ごしてくれればそれで良いのだが…。しかしジゼル、どうしてあの者にその役目を頼んだのだ?お前でも良かっただろう?」
そう問われたジゼルは少し寂し気な表情で笑った。確かに、それでも良かった。自分がここから抜け出して彼女の元に行っても良かった。だけど………。ジゼルは天文台の王女を――、エリカのことを、思った。彼女がいる北の方角を見つめ、静かに答える。
「確かにあの子は私に懐いてくれています。そのことは、とても嬉しい。でも、あの子はもっと私以外の人を知った方がいい。…それに彼ならあの力も受け入れてくれると思ったのです」
だが、そう言われても国王の心は重く沈んでいた。彼は誰にも言っていなかったが、この反乱が星術に関するものだと知っていたのだ。未来を告げる星空を読み解く、星術師。彼らの存在がなければこの国は成り立たない。だが、そのほとんどが反乱軍の側についていることは既に調べがついており、その情報は確実だ。彼らがエリカを見つけたとしても、そうでなかったとしても。この国は、根本的に揺らぐことになる。エリカの星空の力を知ってから、こうなることは恐れていたが…。その懸念が当たってしまったということだ。どちらにしても、星術の存在は疑問視されることになっていただろう。
――だが、もしかしたら。これは罰なのかもしれない。国王はずっと前から、七年前に下した、エリカをこの城から遠ざけるという決断が正解だったとはどうしても思えなかったのだ。もっと、良い方法があったのではないかと…。彼は国の平穏に対する代償を、エリカだけに負わせてしまった。彼女が孤独な思いをする、という形で…。だが、それを言うとジゼルは苦笑して言った。
「エリカに辛い思いをさせてしまったのは事実です。けど…、ここにずっといたとしても、きっと、もっと大変なことになっていたでしょう。それに、後悔しても、過去には戻れないですし」
「…それもそうだな。…とにかく、あの子が無事に生き延びればいいのだが」
親子は笑いあう。彼らの命と引き換えに生きていく人々のことを考えながら。段々と近付いてくる戦乱の音を聞きながら、彼らは最期の時を待った。
読んで下さり、ありがとうございました。