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「それでね、突然のことで驚くと思うんだけど…。君、俺と一緒にエトリセリアに戻らない?」
星術師を名乗る男は突然そう提案してきた。エトリセリアに戻ることは、つまり、敵が大勢いる中に自ら戻るということで、とても危険だ。しかし、それを彼はあっさりと口にした。言葉の内容と口調の軽さが明らかに一致していない。提案の重大さを感じさせない、男の淡々とした様子にエリカは若干恐怖を覚えた。気をつけていないと、彼の言葉に流されてしまいそうになる。
「…そ、それはどういう意味ですか?」
警戒しつつ尋ねたエリカに、彼はその問いを予想していたかのように言い淀むことなく、先ほどと同じようにあっさりとした調子で答える。
「どういう意味、ってそのままの意味だよ。ただ、自分の故郷に戻るだけ。大丈夫、反乱軍には知り合いがいるから、いざとなればそいつに頼めば、君は捕まらなくて済む。…ね、いい話だと思わない?君だってエトリセリアに帰りたいよね?」
そう言って男はにこりと明るく笑った。エリカはその言葉に少し考えた。もしここでエリカがうなずけば、当然自分はエトリセリアに戻ることになる。そうすればレオのことを巻き込まなくて済むようになる。…しかし、そんなに大事なことを、この場で、簡単に決めてしまっても良いのか。それに、男は反乱軍に伝手があると言っていたがそれが本当のことなのか分からない。絶対に安全だという保障はどこにもないのだ。レオがここにいれば…、とエリカは思わず考えてしまった。自分一人ではこの状況にどう対処するべきなのか分からない。何が正解なのかも…。エリカがためらっていると、男は再びエリカの手を取った。しかし、今度の方が握る力が強い。それで我に返ったエリカは思わずその手を振りほどこうとしたが、できなかった。
「大丈夫、何も心配することはないよ…。だから、おいで?」
そう言った男の顔にあるのは、笑み。一見とても明るい。そのはずなのにどこか怖くて…。そこに来て、ようやく確信した。やはり、彼は危険であると…。だがそう気付いた時にはもう遅かった。そのままエリカはどこかへ連れて行かれそうになる。その場に踏み止まろうとしたが、男の方が力が強く、逃げることができない。
「……っ、レオさん…!!!」
エリカは思わずレオの名前を呼んだ。その時だった。突然誰かがエリカを捕らえている方とは反対の男の手を強く掴んだ。まさかここで邪魔が入ると思っていなかった男は一瞬驚いたようだったが、すぐに冷淡な表情でその人物を見返す。それでも彼は全くそれにひるまない。エリカは思わず目を見開いた。たった今頭に思い浮かべていた人物が、そこにいた。
「…お前、彼女に一体何の用だ?誘拐するつもりなら、容赦しないが」
そう言ったのは、レオだった。今までに聞いたことがないほど冷ややかな声。男は少し動揺したのか、エリカを掴んでいた手を若干緩める。それを見逃さず、レオはエリカを男から引き離した。エリカを背に庇うようにしてその間に立つ。その手は剣の柄にかかっていて、男の次の行動次第ですぐにでもその剣を抜きそうな勢いだ。恐らく、慌てて駆けつけてきたのだろう。少しだけ息を切らしていた。それでも警戒態勢を解こうとはしない。男は少しの間驚いていたようだったが、しばらくしてふっと笑った。そして、何故か楽しそうに大笑いしはじめた。どこか冷めているようではあるが、それは先ほどの作られたものとは違う、本当の笑い方だった。やがて笑いを収めると、さっきとは明らかに違う冷淡な目で二人を見て言った。
「はいはい。仕方ないなあ。強力な味方が現れちゃったし、退くことにしよう。…でも、これで終わったと思わない方がいい。俺の主は君に何か執着心を抱いているみたいだし?これからも追手はやってくる。俺もあの方のご命令がある限り、諦めない。…エリカ、本当にいいの?今、俺に付いてくるなら、これ以上辛い思いはしなくて済むと思うよ?それでも君は、俺の主に抗うつもり?」
軽い口調は全く変わっていないが、それは間違いなく宣戦布告だった。冷淡な微笑みを浮かべた男は、再びエリカに向かって手を差し出す。それは、ある意味では誘惑なのかもしれない。彼の言う通り、その方が楽なのだろう。追われることがないのだから、逃亡する必要もなくなる。だが、ここで彼に付いて行くということは、全てを諦めることと同義だ。だから、エリカはその手を取らない。まだ何も諦めたくはない。答えは既に決まっていた。
「ええ。私は最後まで抗います、…絶対に。あなたの主がどなたか知りませんが、そうお伝えください」
「はははっ!!面白いね、君。ただの大人しいお姫様かと思っていたけど、案外自分の意思をしっかり持っているんだ。今すぐにでもここから連れ去りたいぐらいだよ。…ねえ、エリカ、それなら最後に一つだけ忠告してあげる。…君は、絶対にエトリセリアに戻ることになるよ」
男は冷ややかに笑いながら不吉な言葉を残した。そして、踵を返した。どうやら今回は退くことにしたようだ。あっという間にその姿は雑踏の中へと消えていった。
「――エリカ、さっきの男に何かされなかったか?それに、あの男は一体…。君の知り合いか?」
男の姿が完全に見えなくなった後。レオにそう聞かれたエリカはどう返せば良いか困った。エリカ自身、あの人物についてはまだ分からないことが多い。なので、取りあえず自分の分かる範囲で答えた。
「…一応、顔見知りみたいです。私が天文台へ行くきっかけとなった出来事があったのですが、その時にあの人もいたみたいで…。要するに、彼は私自身だけでなく、私の力のことも知っています」
レオはその言葉に驚いた。つまり、思いがけない形ではあるが、エリカを知っている人物に遭遇したことになるからだ。だが、これで確信した。何故、反乱軍がエリカのことについて知っているのか。彼がエリカのことを知っているのであれば、恐らく首謀者であり、彼の主である人物にもその情報は伝わっているのだろう…。首謀者が誰なのかは気になるところだが、まだ情報が足りない。先ほどの男の言葉からして、反乱軍の中でエリカの存在を一番注視しているのはその人物だ。そう推測するのと同時に、レオは昼に嫌な予感がしたことを思い出した。見事にそれが当たってしまった。念のために自分がエリカと一緒にいれば良かった、とレオは後悔したが、既に遅い。もし一緒にいたら、エリカに危険が及ばなかったかもしれなかったのに…。そう考えると、とても悔しかった。
「エリカ、ごめん、僕が最初から付いてきていればこんなことには…。手も怪我している。戻ったら消毒した方が良さそうだ」
「いえ、あの時来て下さって本当に助かりました。それと、この怪我は恐らく、あの方とぶつかった時に転んでしまった時に擦りむいたのでしょう。でも平気ですよ。そこまで痛くないですし」
そう言ってエリカはひらひらと怪我した方の手を振ったが、彼女が想像していたよりも怪我はひどかったらしく、手に鋭い痛みが走った。予想外の痛さにエリカは思わず顔をしかめる。それを見たレオは心配そうな表情をして、エリカの足元にある荷物を持って言った。
「無理しない方がいい。相当痛そうだし。だから、これは僕が持っていく」
「いえ、大丈夫ですよ。それくらいなら怪我していても余裕で持てますから!」
二人はしばらく、どちらが荷物を持つかということで話し合っていたが、それはソアラが戻ってきて、怪訝そうな表情で二人に尋ねたことで終わった。
「お待たせ…って、二人とも、本当に何をやってるの?」
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