3
「――エリカ。ずっと外に出ていたら寒いだろう」
レオはエリカにそう声をかけた。しかし、エリカは全くレオに気付かない様子だ。ぼんやりとどこか遠くを眺めている。そこでレオはエリカが少しでも寒くないように、と自分の上着を彼女の肩にかけた。それでようやく彼の存在に気付いたらしく、エリカは驚いたようにレオの方を見た。だが、その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。しばらくエリカは混乱していたが、ふと我に返ると慌てて目元を拭った。そして、どこか困ったように微笑む。それはいつものような明るいものではなく、闇の淵に立っているような、暗い表情だった。普段のしっかりとした印象はなく、とても頼りない様子だ。
「私…、エトリセリアにいない方が、良かったのでしょうか。そうしたら……」
エリカはぽつりと、言うつもりのなかった思いをつぶやいた。
――七年前、国王はこの力が争いや不信の元となる危険性があるとして、エリカを天文台へと遠ざけた。だが、もし今回の反乱が星術やエリカの力に関するものだったとしたら…。エリカがいなければ、起こっていなかったかもしれない。或いは、あの日この力を見せなければ、そもそもエリカは天文台に行かずに済んでいただろうし、この力が他の人物に露呈することもなかったはずだ。――本当は、それをずっと心のどこかで考えていた。ただ、自分の存在を自分で否定したくなかったから今まで見ないようにしていただけだ。エリカはうつむいた。夜空と同じ色の髪がその顔を隠す。強くテラスの柵を掴む。その手に、ぽたぽたと涙が零れ落ちる。エリカは涙をぬぐったが、なかなか止まってはくれない。ジゼルと父が亡くなったという事実を突きつけられたせいか、ずっと押さえていた様々な思いが溢れ出した。そもそも、さっきから自分が自分ではないようだ。言うつもりのない言葉を言ってしまった。こんなことを言っても、レオを困らせるだけだと分かっていたのに…。だが、その時。レオが一歩エリカに近付いた。そして、心細げな少女をふわりと抱きしめた。エリカは思わず目を見開いた。
「…!あ、あの…、服が濡れてしまいますよ?」
「別に構わない。それに、自分の気持ちを抑え込むのは良くない」
優しい言葉と、声音。それによって、頑なに泣くことを堪えていた心が一気に崩れた。エリカは目を閉じた。…ずっと、泣かないようにしていた。そうすることで状況が変わることはあり得ないと、既に分かっていたから。それに、ただ惨めな気分になるだけで、何もいいことはないと思っていたのだ。だが、レオの言葉はその考えを否定するものだった。だから…、どうか今だけは、こうしていたい。人の言葉は、時に心を慰めてくれる。エリカはそのことを初めて知った。
「…すみません、泣いたのがすごく久しぶりで、なかなか止まらなくて…。恥ずかしいです…」
しばらくして、ようやく落ち着いたエリカはそう言って少し悲しそうに笑った。青白い月が、優しく街を、そして二人を見守っている。夜の湖面にその光がきらきらと反射していた。二人は月を眺めつつ、話をしていた。レオは気にしていない、というように首を横に振った。その瞳には、確かに彼女を案ずる色が浮かんでいる。
「…ありがとうございます。そういえば、レオさんのご家族はどうなさったのですか?」
「……母は既にどこかへ避難していて、父は反乱軍との戦いで戦死している。僕の家系は、星術師か騎士が多い。兄は星術師を目指していたし、僕も父に憧れて騎士団に入ったんだ」
「そうですか…。すみません、辛いことを話させてしまって。でも、だからレオさんは剣の扱いに慣れているのですね。レオさんが剣で戦うたび、すごく綺麗だな、って思っています」
エリカは純粋な気持ちでそう言ったのだろう。だが、レオはその言葉に少しだけ罪悪感を覚えた。思わずエリカから一瞬目を逸らした。…本当は、人に言われるほど剣の扱いに慣れているわけではない。称賛されるべきでもない。なぜなら――。だが、それを誰かに明かすつもりはない。今までもそうだし、これからもそのつもりだ。……知られてはならない。少なくとも、今だけは。レオは感情が表に出ないようにしつつ、エリカの話を聞いた。
「私は…、この後どうすれば良いのでしょう…。港町に無事に着いた後、そこから何をするのか全然決めていないんです」
エリカはどこか空虚な瞳で遠くを見つめ、そうつぶやいた。天文台での生活が少女から夢を奪っていたということを知っている人はいなかったのだ。…きっと、誰も。寂しく冷たい風が吹きつけ、エリカの黒い髪を揺らす。その風は、何もかも奪っていきそうな強い風だった。
「…それなら、これから見つければいいと思う。僕も反乱が起こって王城から逃げるように言われた時、どうすればいいのか分からなくなった」
レオは一つ一つ言葉を探しながらそこまで言い、一旦言葉を切った。そして、ジゼルの言葉を思い返す。彼女は確かにエリカを案じていた。ほんの少し悲しさと後悔がにじむ表情をしていた。だが、最後にエリカの未来を彼に託した。その時に浮かべたジゼルの微笑みがはっきりと記憶に残っている。レオは、しっかりしているように見えてどこか危うい、天文台の王女を真っすぐに見た。エリカの金色の瞳と、レオの紫色の瞳がしっかりと合う。
「でも…、今は君がいるから。君を守るという、役目がある。こんな僕でも見つかったのだから、君も見つけられるはずだ。港町までは時間があるし、ゆっくり考えて行けばいいと思う」
本来であれば騎士であるべきでないレオが、見つけられたのだから。きっと大丈夫だ。レオは苦笑した。もし、そのことをエリカが知ったとしたら…。彼女は、何と言うだろうか。何故か、不意にそんなことを考えてしまった。エリカは目を丸くして何か考えていたようだったが、やがて少し微笑んでうなずいた。そして、満天の星空を見つめる。レオも釣られて上を見た。輝く星々が、優しく湖の街を見守っているようだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方のエトリセリア王城。イオはゆったりと回廊を歩いていた。窓から差し込む青白い月の光がその姿を照らす。彼以外、そこには誰もいない。ふとイオは立ち止まり、窓から城の外を眺めた。そこに見えるのは、空に浮かぶ冴え冴えとした青白い月と、それとは対照的な眩しくて赤い炎。それを見て、イオは満足そうに笑った。今のところ、ほとんど彼の計画通りに物事が進んでいる。…ただ、一番の目的はまだ果たせていない。イオはしばらくそこで跡形もなくただただ燃えていく城下町を眺めていたが、不意に名前を呼ばれ、そちらを見た。そこには、側近の姿がある。彼は、イオに一礼し、今日の報告を始めた。
「城下町は、もうすぐ燃え尽きると思われます。王族探しの件については、良いご報告が。…第三王女がこの国の南の町で発見されたそうです。明日には、ここに着くと思われます。着き次第、すぐに牢に…」
「いえ、牢に入れなくて構いませんよ。手間がかかるでしょう?」
その言葉に驚いた側近は、思わずイオの方を見た。そして、ぞっとした。恐らくそれは今まで彼が生きてきた中で一番怖い表情だった。イオは、ただ笑っていた。しかし、その笑みは決して楽しそうな笑みではない。非常に残酷な笑みだ。それを見た側近は、イオが何を言いたいのかを察した。…いや、察してしまった。彼が下す命令は、きっと……。その後で、察したままの言葉を告げられる。
「ここに着いたら、さっさと殺してください。牢にいる間に逃げられても面倒ですので」
「か…、かしこまりました。そのようにいたします。他の王族の何人かは国外に逃げているようなので、現在、密偵が探しています」
「へえ…。案外、遠くに逃げるものですね…。まあ別に、国外まで逃げたのなら放っておいてもいいですが。それよりも幻姫の方は?それが一番重要なのですが」
しかし、その問いに側近は少し怯えたような表情で、報告が来ない、と返した。予想外の言葉にイオは少し驚いたが、表情に出さず、何も答えなかった。そのまま側近を下がらせ、再び窓の外を見つめる。そして、燃え盛る赤い炎を見ながら考えた。――意外にも、幻姫の捜索に時間がかかっている。すぐに捕まるだろう、と思っていたのだが…。しかし、そこまで長くはかからないはずだ。既にとある人物に彼女を追わせている。なので、大して問題はないだろう。イオは闇の底のような暗い笑みを浮かべ、その場でずっと、外を見続けていた。
◇の前後で全く雰囲気が違う話になってしまったな…、と思いつつ書いていました。
読んで下さり、ありがとうございました。




