第四十五話 これでわかってくれるだろうか?
その夜、約束通り月日は日鏑邸を訪問していた。
大きな応接室に通され、四人掛けのソファーに一人座り、月日は日鏑光騎が来るのを待っていた。
三階分の吹き抜けの天井は高く、威圧するように鋼鉄製の壁が四方にそそり立っている。その一角にある同じく鋼鉄製の扉が重々しく開いた。
和服に身を包んだ厳めしい顔つきの日鏑光騎が姿を現す。威厳のオーラを発した貫禄は常人なら震えあがることだろう。後ろから腰巾着のように晶が部屋に入ってきた。
月日は一度立ち上がり日鏑光騎に頭を下げた。
「突然の訪問を快くお許しいただきありがとうございます」
「社交辞令はいい」と日鏑光騎は手で座るように促した。
彼は重々しく月日の正面に座り、大きく息を吐きだした。晶は部屋の隅で待機している。
「君が太神月日君か……」想像していたのとは大分容姿も雰囲気も異なっていたのだろう。日鏑光騎は月日の身体をなめるように見回した。
「ご想像されていたイメージとは違いましたか?」
「外見などはいくらでも装える。君が我々の意を汲み取ってここに来たのだとすれば、外見の齟齬など些末なことだ」
「恐れ入ります……」そう言う月日の目は挑戦的な光を湛えていた。
「単刀直入にお聞きします」
「なんだね」
「どうして太神と手を組みたいのでしょうか?」
「これは少々幼稚な戯言として我々の世界で流布されていることだが……太神なる一族と盟約を結べれば、世界を支配できるのだとか」
「それを真に受けたのですか?」
「始めは絵空事だと思っていた……が、レッドタイドの起こした件でわしも太神に興味が湧いた。確かめたくなったのだ。たった一夜でレッドタイドの主力を潰したその力をな」
「そうですか……では太神が如何なるものかもご存じないわけですね」
「噂の域を出んが、レッドタイドの言っていたことは、奴の顛末を見れば正しかったことが分かる。奴は自らをもって太神が噂に違わぬことを証明したのだ」
「なるほど……」
「そこでだ、太神月日君。わが娘、煌を嫁にもらうつもりはないか」
「ありません」月日は間髪入れず日鏑光騎の提案をにべもなく断った。眉間に皺を寄せて。
「煌さんには好きな人がいますし、僕のことを嫌っています。そして何より、自分の娘を道具のように扱うあなたに僕はとても失望しています」月日は日鏑光騎の目に視線を合わせると、うっすらと金色になりかけているその眼で睨みつけた。
「それに、今回のことで僕はとても頭にきているのです。娘さんだけでなく、息子まで道具としてあなたは使った。自分の子供まで道具として扱い、人殺しまでさせようとしていた。そんなあなたを僕は許すことができません。ですから日鏑と手を組むなどありえません!」月日は強い口調ではっきりと日鏑の提案を再度拒絶した。
「晶はこれからの日鏑を継ぐ者だ! これくらいのこと出来ずになんとするか!」日鏑光騎のこめかみに血管が浮き出し始め、脂汗がにじんだ。
「もうよい! 太神が如何なる者であろうと構わん。わしの手に入らぬのなら是非もない。他の物になるくらいなら、いっそこの手で葬り去ってくれるわ!」日鏑光騎はそう言うなり懐から拳銃を取り出した。
パン!
間を置かず日鏑光騎は月日に向けて発砲した。絶対に外れることはない距離だ。
しかし、弾丸は月日に命中することなく後ろの壁に当たり貫通も跳弾することなくそのまま止まった。どうやら防弾仕様の壁らしい。
「バカな……」この距離で外れることなど考えられなかった。しかも瞬時に目の前から月日が消えたのだ。目に前で何が起こっているのか、日鏑光騎は理解できなかった。
「大人げない人だ……」いつ間にか月日は窓際に移動していた。
「太神の力がそんなに知りたいのなら、ご要望に応えて教えてあげますよ」そう言う月日の瞳は金色に輝いていた。
「なんだお前は……」驚愕している日鏑光騎を横目に、月日は学ランを脱ぎ始めた。
「何をする気だ……」下着姿になった月日から目が離せない。拳銃を発砲することも忘れて月日を茫然と眺めるだけだった。
月日は首輪を完全に外した。
みるみる月日の身体は毛に覆われ巨大化してゆく。下着はビリビリと音を立てて千切れ落ちる。手足の爪は鋭く伸びてゆき、犬歯が刃物のきらめきを放って口から伸びた。
吹き抜けでなかったら天井を突き破っていたことだろう。完全変化した月日の身長は三メートル近くあるのだから。
「ば、バケモノ……」魂が抜かれた人間のように日鏑光騎と晶は茫然と月日を見上げる。
ふと我に返った日鏑光騎は自分の後ろにある警報ボタンを押した。けたたましい警報音が屋敷に響き渡る。
どやどやと黒服のボディーガードらが、手に拳銃や自動小銃を持って応接室に入ってくる。しかし、ボディーガードらは応接室の異様な光景を目の当たりにして動くことができなくなってしまった。
彼らの誰一人として自分の目を疑わなかった者はいなかった。月日の異形の姿は悪夢以外の何物でもなかったのである。こんなものが現実に存在するはずがないと否定するも、目の前に立っている事象に、理性と得体のしれない現実が対立して行動不能になったのだ。
「う、撃て!」日鏑光騎は声を裏返しながら叱咤した。もうすでに彼は恐慌に陥っていたのかもしれない。
タタタタ……!
パン、パン、パン……!
気が狂ったように銃を撃ちまくるボディーガードたち。眩い閃光が一斉に瞬き、硝煙が応接室内に充満する。
しかし銃弾は月日の身体を傷つけることなく、彼の身体からボロボロと音を立てて床に落ちるだけだ。その光景は、まるで水鉄砲がレインコートに当たり、水がぼたぼたと床にしたたり落ちてゆくのに似ていた。
弾倉が空になるまで銃を撃ちまくると、唖然としたボディーガードたちが床に零れ落ちている弾丸の山を見て我に返る。
「ぎえご(消えろ)!」地獄の底から響いてくるような低く唸る声だ。
ボディーガードたちは月日が何を言ったのかは理解できなかったが、これ以上ここにいると命の危険があるということだけは十二分に理解したようだ。慌てふためきながら主である日鏑光騎を置いて応接室から我先にと逃げ出していった。
「こ、これが、ふ、太神の、力……」日鏑光騎は震えている自分に気付いた。その恐怖は自然の驚異に似て絶対に抗うことのできない潜在的な恐怖だった。
「ぼう、ふどがびにかかばるな(もう太神にかかわるな)」
「な、何を言っているんだ……」
月日は困った顔をしたつもりだったが、まったく顔を変えることができていなかった。音声、顔つきでの意思疎通もだめとすると、残るは記述しかない。しかしペンも紙もあまりにも小さいため使えない。
ふと月日は鋼鉄製の真っ平な壁があることに気付いた。おもむろに近づいて、爪を立てる。
キキキーと、黒板を爪で擦ったような不快音を発しながら、月日は言葉を鋼鉄製の壁に刻み込んでゆく。
「太神にこれ以上かかわるな」月日の彫り上げた文字を日鏑光騎は一文字一文字ゆっくりと音読する。
「二度目はない……」
月日の金色の眼に見降ろされ、日鏑光騎と晶親子は赤べこのように首を幾度も縦に振っていた。
月日は日鏑光騎を一瞥すると一つ頷き、学ランと靴を拾って応接室の大きな掃き出し窓から日鏑邸の中庭に出た。窓を壊さぬよう巨体をなるべく小さく丸めている姿は、いささか滑稽な光景だったが、それを笑う余裕のある者は誰もいなかった。
中庭から一足飛びに跳躍して日鏑邸を後にする。
タタッ!
日鏑邸を後にした月日は蒼月邸に舞い降りた。
蒼月邸の中庭にはまどかと百夜、ハジメと煌、そしてなぜか、かくやの姿があった。
「な、な、な……」と煌は言葉にならない呻き声を上げて、巨大な月日に指を差しながら卒倒してしまう。
「おい、大丈夫か煌!」
「煌さん」ハジメとまどかは彼女の名を呼んだが反応はない。完全に失神している。
止む無くハジメは煌を芝生の上に寝かせ、膝枕の要領で頭を太ももの上に乗せた。
その光景を見ていた月日は困ったように後頭部を掻いた。驚かせるつもりは一ミリもないのだが、こんな姿を見れば誰だって恐怖するだろう。
ただし、例外もいるが。
「旦那様ぁ!」と、いきなりかくやが月日に駆け寄り足の付け根に抱き着いてくる。
「!」
「そんなに驚かないでくださいまし。妻たるもの夫の外見が変わった程度で見違うことなどありませんわ」
――違うよ、かくやさん! 当たってる、当たってる!
「!」
「どうかなさいまして?」巨体をもじもじさせて月日は何かを伝えようとしている。喋れないことがこれほどもどかしいことだと感じたことはなかった。
「ああ、かくやさん……」ハジメがかくやに視線を合わせず、躊躇いがちに口を挟んだ。
「かくやさんが抱き着いている場所は、その……奴の足の付け根になるんだ」
「それがどうかいたしまして?」
「足の付け根は、いわゆる股間なわけで……」
「は?」どうもピンと来ていないらしい。
「男の大事なところもあるんだが……」
その言葉にかくやはハッとして紅潮すると両腕を放した。自分の腕が月日の大事なところに当たっていたことにようやく気付いたのだ。
「わたくしとしたことが、こんな形で契りを結んでしまいましたわ」と、かくやは赤くなった頬に両手を添えてはにかんだ。
そしてまどかと百夜は言葉を失い、石のように固まっていた。
「ウォルォォォォォン(違うんだってば~)」と月日が叫んでみても、彼女は答えてくれなかった。
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