第四十話 兄貴はなにをする人ぞ?
転科は失敗したものの学年末テストは上々の出来栄えとなった。
「これも転科テストのための勉強会の成果が出たのかな。今回は赤点の心配をしないで済みそうだ。みんなありがとう」
迎えの送迎車の前で、上層教育科のエントランスから出てきたまどかと百夜そしてかくやに月日は開口一番、礼を言った。
「でも、少しもったいないような気がします。せっかくあんなに勉強されたのに……」
「いやぁ。あれだけ勉強したおかげで学年末テストは乗り切れたよ。みんなのおかげだよ、ほんとありがとう」
残念そうにしょぼくれているまどかを見て、月日は励まそうと再度熱のこもった感謝を口にした。この感謝の気持ちは、彼の心の底から湧き上がってきた本当の気持ちにほかならなかった。ただ単に、まどかを励まそうとしただけの口先だけの言葉ではない。
「しかし、あんな結末になろうとはな。またしてもあのくそジジイに踊らされたのが一番腹が立つ」とハジメは鼻を鳴らした。
「なんにしてもよかったじゃないですか。こうして学年末テストも無事終わりましたし、後は卒業式で煌さんのお兄様を追い出して、終業式を終えれば春休みで晴れて二年生ですね」
「まったくだ、後はあいつの兄貴が変な気を起こさなければ平和なんだがな」百夜に頷きつつハジメは少し心配そうに中空を睨んだ。
「なんの話ですの?」
「かくやさんは関わらないほうがいいよ」
「嫌ですわ、わたくしだけのけ者だなんて。それに旦那様の身に何かあるようでしたらわたくし生きていられません!」
「そんな大げさな……」
「大げさなことではありません。旦那様はわたくしにとって、とてもとても大切な方なのです。いざとなれば、わたくしの命に代えてもお守り申し上げます!」
――それが、大げさなんだけどな……。
かくやの斯く也が顔を覗かせた宣言に、月日は溜息をついた。
と、思っている間もなく何かが月日に近づいてきた。
「……きーひー!」息つく間もなく次の瞬間、月日の背中に何かが勢いよくぶつかってきた。
月日はそのまま赤レンガの路上に倒れこむ。
「痛てて……」何かを背中にしがみつかせたまま、仰向けになって半身を起こす。背中の何かは体制を変えて、月日の腹の上に乗っかってきた。
「……やっぱ三美か……」
「あぁこの抱き心地ぃ久しぶりぃ、さいこぉ」甘えた声で鵜鷺三美は月日の腹に顔をうずめて来る。
例によって彼女は薄着のランニングシャツにスパッツという恰好で、身体からは湯気が立ちのぼっている。鼻の効く月日にとっては、抗いがたくも魅惑的な臭いだ。
いかん、と首を振って月日は三美の両肩を持ってもがいた。いつものことだが、力ずくで引き剥がすわけにはいかなかった。
「三美ぃ。いいから離れてよ」
「いいじゃん、いいじゃん、すっごい久しぶりなんだからぁ」
「鵜鷺さん。気持ちはわかりますがここは離れてくださいませんか」
「この抱き心地に比べたら人目なんて気にならないよぉ。まどかちゃんも一緒にモフモフしようよ」
「いたしません!」
「では妻たるわたくしが……」
「それはダメです。かくやさん!」百夜が慌ててかくやを止める。
「あーこんなところにいた。鵜鷺何してんのよ!」芸術芸能体育科のグラウンドの方からジャージ姿の生徒が駆け寄って来る。
「やば、中島センパイ!」
「こんなところでじゃれ合ってないでさっさと行くわよ」中島は三美の腕を有無を言わさず掴むと月日から引きはがした。さすがの三美も先輩には逆らえないようで不承不承と言った様子で彼女に従った。
「じゃ月日またねぇ!」連行される三美は未練がましく月日に振り返りながら手を振っている。
「だまってさっさと歩く!」
「はぁい……」
月日はあっという間の出来事に唖然としながらも三美を見送った。さすがの三美も直属の先輩相手には手も足も出ないようだ。
「助かった、のか?」我に返った月日は身体を起こして辺りを見回した。
「大丈夫です。三美さんは先輩に連れていかれました」
「いつものことだけど、久しぶりだと疲れる……」大きなため息を漏らしながら月日は立ち上がった。
「さて、帰るとするか」ハジメが肩から鞄を背中にかけてみんなを促す。
「お名残り惜しゅうございます旦那様。お気を付けてお帰りなさいませ」
「じゃ、また明日かくやさん」
合宿期間が解かれたので、かくやは再び寮生活に戻っていた。当然、月日もハジメも蒼月邸から出てそれぞれ自宅に戻っていつもの送迎スタイルに戻っている。そして煌もまた日鏑の家へと戻っていたのである。
ハジメを先頭に一同は送迎車に向って歩き始めた。
「ハジメー!」と、いきなりハジメを呼ぶ声が聞こえた。
声のするゲートの方にハジメが振り返ると、そこには日鏑煌の姿があった。彼女は血相を変えた様子で慌ただしくゲートを通過するとハジメに駆け寄ってきた。
「どうしたんだ? そんなに慌てて……」
「兄貴が、兄貴がまた変なことをしようとしているらしいの」
「日鏑がまた何か企んでいるってか……」ハジメは顎に手を当てて皆を見た。緊張気味の面持ちのまどかや百夜の顔が見える。
「大丈夫。何があってもまどかさんは僕が守るから」まどかたちの様子を察してか、月日が彼女たちに向かってそう言った。
「詳しい内容は分かるか?」
「ううん、よくは分からないの。いつになく厳重に人を寄せ付けないで誰かと話しているようだった。でも蒼月と太神の名前だけは聞こえたわ」
「今度は何をしようってんだ……」
「もしかすると、転科が失敗したから、本格的に蒼月と太神の仲を裂こうとしているのかもしれないわ」
「自分に太神を近づけることができなくなったから、それなら蒼月もろとも切り離そうとしているってことか……ありえない話じゃない」
「しかし、その方法が分かりませんね……」不安げに百夜が煌を見る。
「ごめん、今はまだそのくらいしかわからないのよね。あたしも調べられることは調べてみるよ。もっと具体的なことが分かったらまた連絡するから」
「あまり危険なことはするなよ。それにもう、こうして直接合うのは危険かもしれない。しばらくはこっちにも来るな」
「いやよ! 誰が何といってもあたしはハジメの側からは離れないわ!」
「俺は、これでもお前のことを心配しているんだ!」
「……わかったわ。でも、兄貴のことで何かわかったら速攻連絡するからね」
「ああ、あまり無理はするなよ」
「わかってる」
「じゃ、よろしく頼むぜ」
「うん」そう言って煌は自分の車が止まっている方に駆けて行った。
「日鏑か……あの兄貴は何を考えているんだ……」一人呟くハジメ。
「いまはまだ分からないみたいだし、とりあえずは彼女に任せよう」月日はハジメに静観を促した。
「ああ……」
月日は再度かくやに別れを告げて、いつものようにまどかたちをガードしつつ自分たちもリムジンに乗り込んだ。
「今更なんだけど、何でかくやさんは日鏑に狙われていないのかな?」リムジンに乗り込むと月日は車窓から見えるかくやに視線を送った。ずっとこちらを見つめているかくやの姿が見えた。しかし、スモークガラスにしている車窓越しからでは、月日の姿など確認できるはずもないのだが、律儀にも彼女はずっとリムジンを見届けているのだった。
「月見乃の方もかくやさんをカバーはしてるぜ。ほら」ハジメが顎をしゃくって、遠くに立っている見知らぬ黒服を指す。
「あれは如月の者です。でもまどか様の護衛ではありません……」百夜は車窓を覗き見て、ハジメに同意する。
「如月同士が戦ったりするの?」
「それはないと思います。如月の本分は護衛です。この前の救出作戦のような特殊なことがない限り、攻撃側になることはありませんから……。ですので、如月は相手を誘拐したり命を狙うようなことは致しません」
「まぁ、如月はともかく直接やり合わないのは、おそらく全面対決になることを避けているんじゃないかな。月見乃産業と日鏑重工は裏も表も真っ向勝負の商売敵だ。だから、彼女に手を出すってことの意味を両方とも理解しているんだろう。だからお互い暗黙の裡に手を出さない、出せないって感じだと思う。まっ、そう言った意味で煌も安全ってことだ」
「なるほどね……じゃぁ、なんでまどかさんは狙われているの?」
「それ今ごろ言うか? てか、前に言わなかったか? 蒼月は超巨大企業だ。狙っているのは日鏑だけじゃない。たまたま今回日鏑が目立った行動をしているだけだ」
「蒼月が超巨大企業かは知りませんが、まどか様を狙っている者は数知れずいます。それだけは忘れないでください」
「日鏑やドクター・レッドタイドに限ったことじゃないってことだね……」月日は一つ頷いた。
「まぁ、初めは蒼月が狙いだったかもしれんが、今じゃ日鏑もレッドタイドも狙いはお前なんだぜ」
「そうだっけ」
「おいおい勘弁しろよ……」
ハジメはそう言うが、きっと日鏑はまどかに対して何かを仕掛けてくるのだろう。ドクター・レッドタイドのように大掛かりな手を打ってくることもないのだろうが、この前の不良をけしかけてくるようなこともあるのだろう。この先彼らがどんな手を使ってくるのかはわからない。
だが、なにが起こったとしても、まどかを守り抜こうと改めて誓う月日だった。
月日は一つ頷き気持ちを引き締めると共に、車の進行方向に目を向けた。
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