第三十九話 兄と爺様どっちがフェイク?
「どうしたんですか?」開口一番まどかが心配そうな顔で月日の様子を訝った。まどかの部屋に入ってきた月日の足は中途半端に獣化しており、ズボンはボロボロで靴は履いていない有様である。
「緊急電話が鳴って、ここが銃撃されているって聞いて飛んできた……んだけど……なんか違うのかな……」あれといった顔で月日はまどかたちを見返した。
「ここは何も起こっておりませんわ。それよりも試験の方はどうされたのですか?」
「試験は放置してきた。だってここが大変なことになっているって電話で滝川さんが、銃撃戦の音まで聞こえていたし!」
「落ち着いてください月日さん。部長は先ほども言いましたが本社でここにはいませんし、何も起きてはいません!」百夜は月日をソファに座らせた。
「とりあえず足を直しましょう。どうすればいいんですか?」まどかが心配そうに月日の半獣化した足を見やった。
「ご飯を食べれば治るよ。それよりもどうなっちゃってるの?」
「わかりませんわ。非常用の呼び出しをすることができるのはこの端末同士でしかありえません。もし第三者がこの回線に割り込むことができたのだとしたら、世界中のどの暗号も役に立たなくなったときでしょう。それくらいセキュリティ面では厳重に作られているはずなのです」
「とはいえ、暗号は複合化ができるように作られていますから、時間を掛ければ解けないとは言い切れませんよ、まどか様」
「そうですね。それにしてもお兄様の暗号がこうも簡単に解かれるなんて……」まどかは少なからずショックを受けているようだ。
「この電話お兄さんが作ったの?」
「はいそうです。端末もネットワークも兄が設計したカスタムメイドです」
「凄いお兄さんなんだね、こんな機械もネットワークも作っちゃうなんて」手放しで喜んでいる月日を見て、百夜は嫌な感覚を覚えた。
「まどか様、清次様に連絡を取ったほうが良いかと」
「そうね、暗号が破られたとしたら大変だわ」
「いえ、そうではないような気がするのですが……」
「どういうこと?」
「問題の発端が清次様にあるような気がしましたもので……」
「え?」と、まどかは百夜の言葉を訝ったが、思い当たる節がなくもない。
「わかったわ。連絡を取りましょう」そう言うなり、スマートフォンで電話をかけ始める。
呼び出し音ツーコールで電話口に若い男性が出た。
「おっ、まどかちゃん! 実験は成功だった?」
「清次お兄様何を?」
「あれ? 失敗だったのかな? それとも何も聞いてない?」
「実験て、なんの話ですの?」まどかはビデオ通話モードに切り替える。
「清次様お久しぶりです、百夜です」
「百夜ちゃんお久しぶりぃ。三年ぶりかねぇ。僕の二十歳の誕生パーティー以来だから四年目かぁ。大きくなったねぇ。もう高校生か、あの時はまだ小学生だったんだね」
「お懐かしゅう存じますが、今はその話をしている場合ではございません」
「ああ、実験だよね。どうだった? うまくいった? 迫真のメッセージだったでしょう?」
「はぁ、やっぱり……」百夜は頭を抱えた。
「清次様いったい何の実験だったのです?」
「何のって緊急事態発生のテストだよ。滝川さんの声に似せるのにちょっと時間が掛かっちゃったかな。僕、ああゆーのうまくないから」
「どういうこと?」まどかは百夜に訊いた。
「清次様。実験は大成功です。まどか様のボディーガードがすっ飛んできましたから」少しイラつき気味に百夜が清次と呼ばれる男性にあてこする。が、清次はそんな百夜の嫌味など気にすることもなしに「それはよかった!」と、子供のようにはしゃいでいた。
「清次様、緊急事態テストの件。いつそのようなお話が来たのでしょう? こちらといたしましては全く承知していないのですが」
「ああそうなの? いやぁどこの部署の誰だか知らないけど連絡があってね。緊急事態発生のアラートにエラーがあるかもしれないって連絡が入ってさ、もうびっくりだよ。至急、指定したボディーガード用の端末にアラートが鳴るようにするようにって連絡があって試したんだけど、いやぁうまくいってよかったぁ」
「連絡ってそんな簡単に信じちゃったんですか?」まどかは慌てて兄を問い詰める。
「だってこのケータイから掛かって来たからね。関係者以外から来るはずないじゃないか」清次は画面をツンツンと指で叩いた。
「そう、ですね……ありがとうございます。お話は以上です。お仕事お忙しい中すみませんでした、お兄様……」まどかは釈然としないまま電話を切った。
この通信に割り込んでこられる者がいられるとは思えなかった。この場合、ハードウェア的なセキュリティホールである可能性は低い。恐らく、ヒューマンセキュリティホールなのだろう。ハッキングなどという高等な技術は必要ない。誰かが管理者を騙せばそれでいいのだ。
「兄は、何といいますか、人を疑うことを知らない人間なので……というか、研究一筋なため些細なことには無頓着と言った方が良いかもしれません。ですから、この電話から掛かって来た、ということだけで信じてしまったのでしょう」
「なるほどね。だから、見知らぬ誰かの言葉を鵜呑みにしちゃって、転科試験がパーになったわけだ」月日はそう言いながら、ポンポン頭をぼりぼりと掻いた。
「それにしても、いったい誰がこんなことを仕掛けてきたのでしょう……」
「端末を持った社員がドクター・レッドタイドか誰かに拉致されたとか……」まどかの疑問に百夜が答える。
「でもオートロックも掛かるし、そもそもこの端末にこんな機能があることなんて外部には知らされていないわ、百夜ちゃん」
「……ゴメン、たぶん爺様だ……」ゲーといった顔つきで月日はまどかを見返した。
「一度僕の端末とやり取りをしたよね……たぶん、爺様はその時に全部の情報を知ったんだ」
「そんなことができるんですか?」
「爺様ならやりかねない。爺様の力は僕にも分からないくらい凄いんだ」と、月日が言い終わるとすぐに月日のスマートフォンに着信が入った。
「爺様だ……」すぐさまスマートフォンを取り出し確認する。そのままハンズフリーモードで電話に出る。
「わしの噂をしていたかの」
「してたよ爺様……なんでこんなことするの」
「少しは察しが良くなったようじゃな」
「やっぱり爺様がやったんだ」
「当り前じゃ。わしの許可なく勝手なことをしおって」
「みんな僕らのために頑張ってくれたんだよ。それが全部台無しになったんだからね!」
「わしは転科なぞ認めておらん。もっと前に止めることもできたが、お前たちの学力が上がるのはよいことじゃから放っておいたのじゃ。どうじゃ勉強会なんぞ学生ぽかったろう? それに頑張った甲斐もあったじゃろうて」
「そうかもしれないけど……転科するなって言うんだったら、初めから言ってくれてもいいじゃないか!」
「そんなことをしたら勉強せなんだろう。せっかく勉強する気になっておるんじゃから邪魔することもなかろう」
「邪魔をしたのは爺様じゃないか」
「あれは邪魔とは言わん。中止させただけじゃ」
「それだって、あんなやり方しなくたって……」
「ふぉっふぉっふぉっどうじゃ、なかなか面白い趣向であったろう? この電話のセキュリティホールも見つけてやったしの」
「確かにそうかもだけど、それも知っててこんな回りくどい方法をとったんでしょ」
「刺激があってよかったであろう」
「こんな刺激いらないよ。本当に心配したんだからね!」
「うぅむ、お前と言い合いをしていても時間の無駄じゃ。わしゃ寝る。嫁殿たちにはちゃんと礼を言っておくのだぞ」と言って太神示申齋は勝手に掛けてきた電話を一方的に切ってしまった。いつもながらの唯我独尊ぶりである。
「本当にごめんなさいまどかさん、百夜さん……」月日は、しょぼんとしてまどかたちに頭を下げる。
「かくやさんと煌さんにはわたくしたちから言っておきます」
「がっかりさせちゃうだろうな……」
「さぞ、がっかりされることでしょう。特に煌さんは……」月日の言葉に自分の心も添えてまどかは答えた。彼女も心中穏やかとはいえなかった。机を並べて勉強できるかもしれない夢が儚くも消え去ったのだ。
「とりあえず、月日さんは足を直したほうが良いのでは?」
「そうだね。だったら、僕の部屋にコンビニ弁当を届けてくれるとありがたいんだけど……」百夜の提案に月日は恐る恐るお願い事をした。
「承知しました。で、どのくらいお食べになるんですか?」
「あまり気にしたことなかったな……。このくらいだとたぶん二、三食で済むと思う……」
「大変ですね、変化のたびに大量に食べないといけないなんて」まどかが痛々しそうに月日の足を見ながら呟いた。
「僕が未熟だからだって爺様が言ってた。確かに爺様は何もしなくても、変化も元に戻ることも息をするようにできるんだ。僕みたいに太っている必要もない」
「里の他の方々はどうなのです?」ふと興味本位でまどかは尋ねた。
「他の、みんなか……」まどかのその言葉に月日はあからさまに戸惑い、口を閉ざした。
「すみません! 無遠慮に立ち入ったことを……」
「いいよ。まどかさんは、知らないことだから……」顔を赤らめ謝罪するまどかに、月日は静かにそう言って窓を眺めるともなしに見やった。
「……もう、太神でちゃんと変化できるのは、爺様と僕だけになってしまったんだ……」
「……!」月日の言葉に今度はまどかが言葉を失った。百夜も同様に驚きを隠せない表情をしている。
暫くの沈黙があった。重たい静寂がまどかの部屋に充満する。
「リリリリ、リリリリ、リリリリ……」と、いきなり月日のスマートフォンに着信が入った。見れば、ハジメからである。
「はい、僕だけど」月日は慌ててビデオ通話で電話に出る。学校に残してきたハジメのことなどすっかりと忘れていた。
「いま、蒼月の家の前にいるんだが、終わったのか? ずいぶんと静かなんだが……」
「終わっても始まってもいないよ。何もなかったんだ」
「何もない? どういうことだ?」
「詳しくはこちらに来てから話そう。安全だからそのまま入ってきて」
「わかった。門を開けてくれ」
「承知しました」百夜は答えると、彼女は自分のスマートフォンを操作し門扉を開けた。
ハジメはきょろきょろと辺りの様子を窺ってから門をくぐって来る。まだ警戒を解いてはない様子だ。
「ここにいるよ」窓から月日がハジメに声を掛けた。
ハジメは一つ頷くと玄関に向かって走り出した。
こうして月日たちの転科計画は失敗に終わったのだった。
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