第三十四話 ベッドシーンはお好き?
ハジメが目を覚ますと見知らぬ少女が涙を浮かべてこちらを見ていた。
いったいここはどこなのだろうかと天井に視線を合わせる間もなく、彼女が抱き着いてきた。
「よかった! 目が覚めた!」彼女は言うが早いか、ベッドに寝ているハジメを抱きしめる。事情を知らぬ第三者がそのシーンを切り取ってみれば、保健室で不健全な行為をしていると思われても致し方ない。
「な、なんだ?!」ハジメは自分にいったい何が起きているのか全く理解できずにいた。
ここは一体どこで、自分がなぜベッドの上におり、彼女に抱き着かれていなければならないのか、そのすべての状況が理解できずに抱き着かれたままただ硬直するばかりだった。
「よかったよぉうハジメ!」彼女はなおもきつく抱き着き、彼の耳元で半分悲鳴のような声で叫んでいた。
「ちょっと、耳元で叫ばないんでほしんだけど」
「ご、ごめんなさい」と、彼女はゆっくりとハジメから体を離した。
ハジメはふぅと大きく息をついて、生きた心地を確かめてから彼女を見返した。
彼女は改めて見つめられて、恥ずかしそうに椅子の上でもぞもぞとしている。ピンクのカーディガンを着て、同じ色の柔らかい印象のマニキュアにふわっとした明るい髪、グラマラスで派手な見た目にしては、ずいぶんとしおらしいというかおとなしそうだとハジメは思った。
「ここは保健室?」
「うん、そうよ。あたしが運んできたの!」煌はハジメに顔をぐいと近づける。反射的にのけ反るハジメ。
「き、君一人で!?」のけ反った体を戻し、少し驚き気味に煌に訊いた。
「実は生徒会長さんと副会長さんも一緒に……」
さすがに一人で運んできたというにはバレバレの嘘であることが分かってしまう。あまり生徒会長のことは知らせたくはなかったが、煌はこんなことで嘘をつくのも嫌だったし、第一生徒会長と張り合うなどバカバカしかった。
――ああ、あたし生徒会長と張り合っていたんだ……。
ハッとして煌はなんで嘘をつこうとしていたのかの正体がなんであるかを知った。彼女は一方的に生徒会長に対してライバル心とハジメへの独占欲を持っていたのである。あの優秀な行動力を見せつけられては、彼を取られるのではないかと不安になるのもわからないでもない。
だからといって過剰にハジメに抱き着いたりするのは、病み上がりのハジメにすることではなかった。しかし、恋する乙女としては、好きな人を誰にも盗られたくないという気持ちの素直な表れだったのだ。
「生徒会長なんかもいたんだ……て、俺何で保健室にいるの?」と、今更の質問である。
「ごめんなさい。トイレの前であたしとぶつかって、それでハジメが倒れちゃって……」煌の言葉は徐々に尻つぼみになってゆく。
「あぁ、俺、疲れてたかんな……こっちこそごめん。心配掛けちゃったね」煌を見やりながら手を額に当てる。
「ううん。あたしは平気。それよりもハジメは大丈夫? どこか痛くない?」
「今のところはどこもいたくない。後から脳卒中でくたばるかもしれないけどな」ハジメは、いたずら小僧のようにニカッと笑った。
彼の微笑に少しだけ張り詰めていたものが解けたのだろう、クスッと煌もつられて笑っていた。
「ところでなんだけど、君は誰? 俺のこと知ってるみたいだけど……」ハジメは至極当たり前の質問をしたのだが、彼女の反応は違った。
彼女は無言でうなずき、少しだけ視線を逸らし再びハジメを見つめた。言葉を発そうにも何かが彼女の声を出すことを阻もうとしているようだった。
彼女は一度、口を真一文字にしてハジメの顔を凝視したあと俯き、そして蚊の泣くような声で呟いた。
「……り……」
「え?」
「日鏑……煌……」
彼女の名前を聞き、ハジメの眉は自然と寄った。口元を押さえ、彼女から視線を逸らし足に掛かっている布団を見つめる。
彼女は日鏑の人間だ。それが意味するものは何かと思考を巡らせる前に、すぐにこれはハニートラップではないかという思いに至った。が、ハニートラップにしてはなにか手口がお粗末すぎる。
彼は一息ついてから、軽い深呼吸をしてもう一度彼女に向き直った。
「なんで俺の名前を知っているんだ?」
ハジメの猜疑心は深まるばかりであったが、そこはなるべく優しく彼女に質問を投げかけた。せっかく口を開きかけているところなのに、台無しにすることもない。
「いつも一緒にいるじゃない……」彼女はそのギャル系の外見とは裏腹に恥ずかしそうにチラチラとハジメを見ながら答えた。
「いつも一緒……?」彼の記憶の中にハーレムを構成している端にチラチラと見え隠れする彼女の存在があることを思い出した。そして、連鎖的にあの通用口の事件の日、自分に縋り付いてきた女の子の存在も思いした。
「君か……」ハジメは訝った顔つきのまま煌を見やった。
彼女にしてみれば、半分睨まれているような顔つきをされていても、自分を思い出してくれたことの方がよほどうれしかった。不安な顔は払しょくされ、咲き誇るひまわりのような明るい笑顔がハジメに向けられた。
「なんてこった……俺が女の子の顔を忘れるなんて……」額に手を当ててハジメは空を仰いだ。毎日のように会っており、一度は、はっきりと抱き着かれたというのに。
「思い出してくれればあたしはそれでいいの!」彼女は嬉しさのあまり、また抱き着いてくるのではないかとハジメは警戒した。が、彼女はハジメの両手を取って、ぎゅっと自分の胸元に押し付けた。彼女にとっては他意はないのだろうが、自分の胸のサイズがGカップの巨乳であることなど完全に失念している。さすがのハジメも、その弾力性に引き込まれそうになった。
「でも、いつものハジメと喋り方が違う……」ふと、そう言った彼女の言葉でハジメの意識は我に返った。放っておいたら何処へ行っていたのだろうか。ハニートラップもクソもない。ハジメは、心の中では自分がまだまだ未熟であることを呪った。ハジメも大人びた思考をしていても、まだまだただの高校生なのである。
「あの喋り方は、ハニーたちへのリップサービスだ。女の子たちには夢を見せてあげないと……。で、こっちがほんとの俺の喋り方だ」
「あたしはこっちのハジメのほうがいい。なんかかっこいい」
彼女は胸元から手を外したが、ハジメの手は握ったまま放さずにいた。
「かっこいいいねぇ。俺は結構毒舌なんだぜ」
「知ってる」
「喧嘩も弱い」両眉をあげる。本当は認めたくなどない。
「知ってる」
「んで、特殊なバイトをしている」
「知ってる」そう言うと彼女はハジメの手をそっと放して立ち上がり、保健室の窓辺へと歩いて行った。
「蒼月のお守をさせられているんでしょ」と窓辺に手を置いて傾きだした冬の弱々しい太陽に反射したレモン色の残雪を見るともなしに眺めながら、煌ははっきりと言った。
「君は本当に俺のことをよく知っているんだな」
「だってあなたのことが好きだもの」
彼女は子犬のように窓際からすっ飛んできた。きっと彼女のその言葉は間違いなく彼女の本心で、それゆえ心の揺らぎと身体も連動してしまっているのだろう。人の本音は言葉より態度に出るとはよく言ったものだ。
「ずいぶんとストレートだな……」
煌は口角をあげたままハジメを見つめ、ベッドの横の椅子に座りなおした。
「だって本当のことだし。嘘言う意味ないし。まだるっこしいの嫌いだし」
「じゃ、これから俺らがしようとしていることも知っているんだよな」ハジメは真顔で煌に向き合った。少しだけ眉を寄せる。
「知っているわ。上層科に転科しようとしているんでしょ」ぐっと顔を近づけて来る。思わずハジメはベッドの上で後じさった。
「ああそうか、君の兄貴は上層教育科の生徒会長だったな。それで俺らの邪魔をしろと兄貴から命令でも受けたのか?」と、腕を組む。
「言ったでしょ。あたしはあなたが好きなの。だから兄貴が何を言おうが知ったことじゃないわ」言うことを言うと、煌も椅子に腰かけ直して腕組みをした。兄の命令だと思われたことがお気に召さなかったらしい。
「でも……」彼女は続けた。
「兄貴があたしに言ったことは、ハジメたちを転科させることに力を貸すようにって。あたしに言われても困るんだけど……」プンプンと音が聞こえそうなほど不機嫌に、ハジメから顔を背けた。
日鏑が協力的なことにハジメは耳を疑ったが、彼女が嘘を言っているようにも間違ったことを言っているようにも聞こえなかった。
ハジメはこめかみと額に指を押さえて少し考えた。日鏑にとって自分たちが転科するメリットは何か。太神示申齋がなぜ月日を最初から上層教育科に入学させなかったのか。もちろん月日に普通の高校生活を送らせるためであったろう。それと同時に太神の存在を知り、取り込もうとする輩をはっきりと自分たちに気付かせるためなのだろうか。蒼月然り、月見乃然り、そして日鏑然りだ。
忙しくてすっかり基本的な疑問を忘却していた。ハジメは頭を掻きむしりたい衝動にかられたが、彼は顔色一つ変えずに額から手を離し、毅然とした視線を煌に移した。
「なるほど。日鏑は太神を蒼月や月見乃より自分に近づけたかったのかもしれないな……」
「デブチのことなんか知らないわよ」しかめっ面でハジメの顔を見返す。自分と関係ないことにハジメが考えに耽っているのが気に入らないのだ。
「そうだろうな、君は」やれやれと彼女から視線を外す。
「ねぇ。その『君』って言うのやめて欲しいんだけど」いきなり煌はベッドの上に両手をついてハジメの顔を覗き込んだ。
「わかったよ、ハニー」
「うーん、それも悪くないけどちゃんとあたしの名前で呼んで! どうせハニーは誰にでも使うんでしょ!」
「よくご存じで」彼は降参だとばかりに両方の眉を上げた。
「では、煌」ハジメは彼女の目を見つめてちゃんと名を呼んだ。
「はい! ハジメッ!」と言うなり彼女はハジメに抱き着いてきた。そのままキスでもしそうな勢いだ。
ハジメは眩暈がしそうな彼女の胸の弾力に抗い、彼女を体から引き離した。そこはプレイボーイの端くれである。これしきのお色気に惑わされはしなかった。それになにより、落とされるより、落とすのが彼の信条なのだ。
「しかし参った……」突然ハジメは天井を仰いでげっそりとした顔をした。
「何かあったの? もしかして倒れたのと関係がある?」心配そうに煌はハジメの額に手を当てる。
「いや、まぁ、まさにそれが問題なんだが……」と、ハジメは言いかけて、彼女に言っても仕方がないと言葉を濁らせた。
「あたしにできることなら何でもするわよ!」
「たぶんむ……難しいと思うんだが」
「いま無理って言おうとしたでしょ」
「いや、まぁそうなんだが、それは問題じゃなくて」
「やっぱり無理だと思ってるんだ……そんなに難しいことなの? あたしなんかじゃできないことなの?」
「うむ……」畳みかけられて、ハジメは言葉に詰まった。しかし、ダメもとで言っても別に何の問題もないことだ。
「いま、俺たちの勉強会は行き詰っているんだ」
「それで?」
「俺たちは、まぁ教師役の言っていることが理解できない。教師役のやつらも俺たちがなぜ理解できないのか理解できない状態なんだ」
「それってつまり、真ん中に橋渡し的な教師役がいればいいってこと?」
「まぁ、そうだ。そんな都合のいい奴が早々いるとは思えんが……」とハジメは煌を見て、煌もハジメを見た。
お互いの視線が重なる。
「あたしならできるかも」「成績順位はどれくらいだ?」二人の言葉が互いに宙で重なり合う。
妖精が目の前を通り抜けるほどの時を空けて二人はプッと吹き出した。
「あたしは中の下くらい。サボってばかりいるからね。言っておくけど、やればできる子なんだからね!」
「わかったよ。そんなにムキになるなって……でも、都合がよさそうだな……」
「じゃ、あたしをカテキョにしてくれる?」煌は名前の如く目を煌めかせてハジメを見つめた。
「それは俺には決められない。蒼月が決めることだ。だが、話はすることはできる。蒼月と煌の日鏑が敵対しているのはよく知っている。だが、あいつらが個人的な敵対心は持っていないことは保証する。ただし日鏑が何かしなければの話だが……」
「あたしはウチのことなんか何も知らないもん。だから、そこんところは何とも言えない。でも、ウチがハジメたちに迷惑をかけたんだったら謝るわ。本当にごめんなさい。でもあたしは関係ないの。それだけは信じて」
「わかってる。とにかく一度みんなで話し合ってみよう」
ハジメはポケットをまさぐって貸与されたスマートフォンを取り出しメールを打ち出した。
相手は百夜だ。まどかになどメールを送った日には大河小説並みの返事が来ることは目に見えていたからだ。
あとは、百夜は良しなに取り計らってくれるだろう。メールの返信も簡潔でわかりやすく纏まっている。百夜の連絡メールにはいつも感心されっぱなしだ。
ハジメは、この話がうまくゆけばよりスムーズに事が運びそうだと予感した。
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