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第二十三話  らいぶあっと食堂?(下)

 心を決めて月日がかくやの箸に口を付けようとしたそのとき、食堂の出入り口がざわめいた。普通科の生徒が勢いよく道を空けている。


「いらっしゃいましたわ。まどか様!」普通科の生徒たちを縫うように百夜が息を切らせて歩いてくる。一息後からまどかも食堂に姿を現した。百夜が内心怒っているのを押し殺しているのが、食堂の反対側にいる月日にもよく分かった。


「かくやさん! 抜け駆け……ではなく、勝手に普通科に出向くのはよろしくなくてよ!」


「皆様もよくいらしているご様子でしたので、わたくしも皆様に倣って夫に逢いに参りました」百夜の剣幕を柳に風と受け流し、かくやは二人ににっこりと微笑み返した。これぞ本妻の余裕といわんばかりだ。


「太神さんは、まだ誰の夫でもありません」百夜は声を押し殺して、かくやに苦言を申し立てた。遠巻きに見ている普通科の生徒たちの視線が痛い。


「如月さん。わたくしも太神示申齋(ふとかみじしんさい)様から、あのお話は伺っております。ですので、わたくしは旦那様を独り占めにするつもりなど毛頭ありません」


「それってどういう……」かくやの言葉に百夜はピクリと反応した。彼女が何を言わんとしているのか、百夜にはピンと来たのだ。


「皆で、旦那様の妻になればよいということです」


「!」かくやの正面切ったその言葉に、百夜とまどかは言葉を失う。予想していたこととはいえ、実際に言われるとショックはかなり大きかった。


 百夜は咄嗟にまどかの顔を窺う。まどかの顔は案の定、ショックに打ちひしがれている様子で茫然自失となっていた。


「わたくしは月日様の妻になるという覚悟を決めてこの学園にやって参りました」


「どうして君は、そんなに僕にこだわるの? 僕は君のことは全然知らないし、嫌いではないけど、好きという感情が全くないんだよ」


「今朝も申し上げましたました通り、わたくしたちの関係は、惚れた腫れたの関係ではないのです。わたくしの心は旦那様の心に導かれてここまでやってきたのです。蒼月さん、如月さん、あなた方は違うのですか?」


 改めて問われるとまどかと百夜はどきりとして、自分たちにはかくやほどの明確な信念がないことを思い知らされた。というよりも、自分の心の奥底を覗き込むことが恐ろしくて、目を逸らし続けている自分の姿を見せつけられた気がしていた。


 なんとなく成り行き上、今の関係に至った、というのが百夜の持っている表層的な感情だった。それに、そもそも自分は月日の伴侶候補などではない。心が繋がろうにも繋がるわけがないだろう。


――そう、わたくしは選ばれてはいない……。


 百夜はそっと下唇をかみしめた。自分はただの影武者でまどかを守るためにここにいるだけの存在だ。彼女と同じ道など歩むことなどできはしない。


――本当にそうだろうか?


 最初は狼に捧げられる生け贄の子羊のつもりでいた。まどかの代わりに自分が伴侶候補となることでまどかを守ろうと思った。だが、あの船底で見た月日は雄々しく、蒼い月光を浴びた波打つ金色の毛並みは言葉を失うほどに美しかった。そしてあの魂を吸いよせるような金色の瞳。あの月日の姿に恐怖もおぞましさも一切感じなかった。


 ああ、こういう方がまどかを守るのに相応しいのかと純粋に百夜は思ったのだ。と同時に、彼に心を寄せてしまった自分を百夜は悟ってもいた。しかし、百夜はそんな自分の心を封印し、まどかが月日に心を寄せていることを早く自覚させることを優先した。だがそれは性急に過ぎ、結果まどかに自分の企てを気付かれてしまったのだ。


――そう、急いでいたのはわたくしの方……。


 百夜は苦しかったのだ。封印したはずの心がドンドンと心の扉を叩き、日を増すごとにその音は大きくなっていった。早くまどかと月日が結ばれてくれないと、自分はどうにかなってしまう。百夜は焦り、気づけばまどかをせっつくような行動をとっていたのである。


――月見乃さんの言う通りだ。わたくしは太神さんに心惹かれている。それは否定できない。だからわたくしは、ここまで来られた。決して成り行きなどではない!


 百夜がそう思っているその時、まどかはまどかでかくやに問われた月日に対しての想いと対峙していた。


 気づけば、雪の夜のバケモノが自分を護衛することになっていた。あのバケモノは恐怖の対象だったはずだ。


――はたしてそうだろうか?


 あの金色の目を見たとき、今思えば、恐怖と共に別の何かが心の中に入ってきたような気がする。気を失うその刹那、虹の粒のようなキラキラしたものが頭の中を覆いつくし、穏やかな気持ちになって意識を失ったのだ。そして気が付けばそのことを忘れ、自分はベッドの上にいた。


――そうだ、あの時わたくしは彼にトラウマを抱いていたはず。


 もしかすると、あれはトラウマなのではなく、ある種の心の変化に対する拒絶反応だったのかもしれない。自分自身の心に芽生えた新しい感情を容認できない自分への抵抗。月日に対して芽生えた新しい感情。


 しかし、時を経るにつれ、ゆっくりとその抵抗は薄らいでゆき、自分の身代わりとして百夜が攫われたあの事件から、自分は月日を信頼し始め、気づけば視線の端で彼を追いかけていた。


 月日がボディーガードとして自分の身を守ることの見返りとして、バケモノ=月日の伴侶候補にさせられていたことを知らされても驚きはしたが動揺はしなかった。一昔前の自分だったら、間違いなく拒絶していたことだろう。


 伴侶候補に仕立てたのは百夜が企てたことではあったが、なぜだろう、全く嫌な気がしない。自分は月日のことを嫌っているわけではないが、恋をしているわけでも愛しているわけでもない、と思っていた。そのくせ、百夜が月日の伴侶は自分でもよかったと言われたとき、心の中が熱くなった。口先では百夜がいなくなるのは困ると言ったが、それは詭弁だ。自分は確実に月日を意識している。それが恋か愛かはおいておくとしても、彼に心惹かれていることは否定できない。


 そこへきての、かくやの宣言である。かくやが月日の妻であると堂々と手を挙げたとき、大きなショックを受けた。それが何を意味しているのか、もう認めてもいいのではないか。


――きっとわたくしは……。


「違いません。わたくしも太神月日さんに心惹かれてここにいるのです!」まどかは姿勢を正し、月日をまっすぐに見据えて堂々と宣言した。


 まどかのその姿勢を見て、百夜も心を決めた目で月日を見つめると、にわかに立ち上がった。


「わたくしも、あなたに心を導かれてここにやってまいりました。これからも幾久しくわたくしたちをおそばに止め置きください」百夜の声が食堂内に静かに反響する。


 百夜の声が消えゆくと、束の間食堂に静寂が訪れた。


 どこからか拍手が鳴った。初めは一つだった拍手がパラパラと複数になり、やがて大きな喝采に変わった。


 まどかたちはすっかり忘れていたが、ここは普通科の食堂なのだ。彼女たちを取り巻いている、三、四十人ほどいる普通科の生徒全員が彼女たちの宣言を心から祝福していた。


「え、ええぇぇ」まどかはたじろぎ、ここが食堂であることを今更ながら思い出した。一般生徒から見れば、ただの愛の告白にしか聞こえない内容だ。


「よう、色男! 上層教育科のお嬢様方からの告白だ、ちゃんと答えてやれ!」男女問わず似たような歓声が上がり、食堂は騒然となった。


バン!


 勢いよくテーブルを叩いて、かくやが立ち上がった。


「皆様! わたくしたちは皆様が思うような関係ではございません」かくやは食堂で自分たちを取り巻く生徒たちを見渡してはっきりと言った。


「わたくしたちは旦那様と心で契りを結んだ間柄です。恋だの愛だのという不確かなものではありません」


「うわぁ待って月見乃さん!」普通科の生徒の前で胸を張って堂々と演説を始めようとするかくやに月日は割り込んだ。


「そうです、ここは普通科さんの食堂なんですよ」百夜も慌てて止めに入る。


「止めないでくださいまし旦那様、如月さん。わたくしがわたくしであるためにこれだけは申しておかなくてはならないのです!」二人の制止を振り切って、かくやは食堂にいる普通科生徒に向かって言い放った。


「わたくしは、太神月日様の妻になるためにこの学園に参りました。わたくしの名は月見乃かくや。()(なり)と書いてかくや。信念を貫き通す『こうである』という名を持つ女です!」輪を描いて取り巻いていた普通科生徒たちがどっと沸いた。再び拍手喝采が起こる。男子も女子も食堂にいた普通科生徒の全員が彼女の言っている意味など理解せぬまま、その場の雰囲気と彼女の迫力に飲まれのだ。


「なんでこうなった……」ハジメは手の平を額にあて、参ったとばかりに吐息を漏らした。


「きっと彼女が信念の人だからじゃないのかな……」月日はそう呟くと、目の前に広がる広大な弁当の海を見やった。


「僕も彼女たちの心に答えないといけないね……」かくやの置いた箸を手に取ると「いただきます!」と言って、一気にかくやの弁当を食べ始めた。かくやの弁当は見た目に違わず、とても美味しかった。もはや箸を止めることなどできない。


「旦那様……」かくやは両手を胸元で重ねて嬉しさに感極まった様子で、一心不乱に弁当を食べる月日を見下ろしていた。


「太神さん……」まどかと百夜は息を合わせたように月日の名を呟くと、もう仕方がないとばかりにお互い顔を見合わせ微笑み合った。もう自分たちは月日を中心とした運命共同体のようなものなのだ。彼女たちにとって月日はもう誰のモノでもなくなっていた。


「ごちそうさまでした!」


 三度目の歓声が上がる。見事な食いっぷりに加え、生徒たちには月日がかくやの用意した弁当を食べたことで彼女たちの心に答えたように映ったのだろう。食堂内は一種ライブ会場のような、妙な一体感に包まれていた。


 しばらくのあいだ、昼休み終了を告げる予鈴が鳴ったのを誰も気づかないほどに。


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