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第二十三話  らいぶあっと食堂?(上)

 朝から心を削られ、振り回されっぱなしの月日だったが、遠吠(とおぼえ)(はじめ)共々遅刻することなく登校することができた。


 午前中の授業も平穏無事に終わった。


 あとは静かに昼食が摂れればいうことはない。


 削られた心の埋め合わせくらいにはなるだろう。そんなささやかな望みも叶えられないのが、(ふと)(がみ)月日(つきひ)(ごう)なのである。




「あー」我知らず月日は口を半開きにして、声を漏らしていた。


 食堂の入り口が何やら込み合っている。嫌な予感しかしない。


「これは……」ハジメは月日を見ながら苦笑する。


「いま再びのデジャヴュともがな……」


「何だそのめちゃくちゃな古文っぽいのは」


「めちゃくちゃなのは目の前にある現在の方だと思うぞ」


「確かに……」ハジメは眉をあげると、月日と共に食堂の入り口に群がる人垣に分け入った。


 ごめんよと声を掛けつつ人だかりを抜け出ると、予想を裏切らず、上層教育科の女子生徒が大きな風呂敷を持って人垣の中心に一人佇んでいた。月見乃かくやである。


「月見乃……さん……」月日は躊躇いがちに彼女に声を掛けた。


「お待ちしておりました旦那様!」かくやは長い髪を揺らして月日に向き直り、大輪の花が咲いたような笑顔で出迎える。


 月日は慌てて彼女の手を取ると急いで食堂の一番奥の席に連れて行った。背中で「旦那様だって」「また違う女子だよ」「あいつ何者だ」などと言うやっかみ半分、興味半分の生徒たちの声を受けながら。


 これが普通科の女子相手だったら月日は袋叩きにされていたことだろう。毎日のように女子を取っ替え引っ替えしているのだから仕方がない。男子からは妬まれ、女子からは女の敵の(そし)りを受けている。


 しかし、相手の女子が上層教育科の生徒だと話は変わる。下手につつけば、彼氏を攻撃されたとみなされ、どんな報復が返ってくるか知れたものではない。退学、父親の左遷、場合によってはセメント詰めの東京湾直行コースもありえなくはないのだ。だから彼らのできることといえば、せいぜい月日を恨みがましく睨みつけることくらいしかなかった。


 そんな恨めしビームの視線を時折チラチラと浴びながら、月日とかくやはテーブルを挟んで向かい合っていた。今朝の上層教育科エントランスの件を彼らに知られたら命の保証はないな、と思いつつ月日は無理やり笑顔を張り付けてかくやに口を開いた。


「なんの用かな? 月見乃さん」


「かくや、とお呼びください、旦那様」はにかみがちに言うかくやの仕草は、月日の心でさえ思わず揺さぶられた。確かに、彼女ははかなげでかわいい。


「おい、忘れるなよ。彼女は日鏑と敵対している月見乃の人間なんだぞ」ハジメがそっと耳打ちしてきた。「ついでに、天然のたらしのようだ」と、付け加える。


「う~。確かに……」作り笑顔を張り付けたまま月日は小さく呟いた。


「と、ところでその大きな風呂敷はなに?」


「はい。お食事をご用意して参りました」


「食事?」


「はい」かくやは風呂敷の結び目を解き始める。


 バサッと開いた風呂敷からは四段重の蒔絵が美しい重箱が現れた。


健啖家(けんたんか)とお聞きいたしましたので、本日はお重に収めて参りました。わたくしがご用意いたしましたので、お口に合えばよいのですが……」両手を口許に添えて、ほほを少し赤らめた。


「これ全部月見乃さんが作った手料理なの?」


「はい。気に入っていただければ幸いです。それと……かくやです」最後に小さく付け加える。


 月日とハジメは顔を見合わせた。


「こういう場合、弁当は大概ゲテのパターンだ。それに彼女はちょっとアレだから変な薬が盛られているかもしれねぇぞ」ハジメが月日の耳元で囁いた。


「食べられる物だったらいいよ。食べ物は大切にしなくっちゃ。それに僕には精霊の加護があるから気を付けていれば毒物は何とかなる」


「アンモニアでぶっ倒れたのにか」


「あれは……僕が迂闊だった……」と月日は眉をゆがめた。


 二人がひそひそ話をしている最中、かくやはテーブルに重箱を広げていた。四つの各段はそれぞれ四季をイメージさせる色彩豊かな弁当となっており、テーブルの上がにわかに華やいだ。


「すっげぇ」珍しくハジメが感嘆を漏らした。見た目は合格点以上の出来栄えだ。というより芸術品に近い。


 春と思しき一段目は、早春の緑と桜色を織り交ぜた前菜のような緑黄色野菜が中心の料理で、風にそよぐ草花のような流れを感じさせる盛り付けになっている。二段目の夏は、海をイメージした青魚を中心とする光り物と蒸しエビや海苔などで、岩礁にぶつかる波しぶきを模った盛り合わせだ。三段目の秋は赤を基調とした煮物が中心の料理で、ニンジンが美しく舞い落ちる(もみじ)のように飾り切りされ散りばめられている。最後の四段目は雪をイメージしてか、白胡麻を薄っすらとまぶした白米にシラスと大根おろしが添えられており、冬の(かれ)山水(さんすい)を思い起こさせた。


「こ、こんな立派なものいただけないよ……」腹はぐぅと鳴っているのにもかかわらず、月日は眼前に広がる美しい弁当の海に怯んだ。


 毒や媚薬なんか必要ない。これを食べたらきっと自分は彼女に胃袋を完全に掴まれることになる。この弁当は見た目の美しさだけではなく、かくやの真心という媚薬がたっぷりと注がれているのだから。


――重い……。


 月日は我知らず胃のあたりをさすっていた。彼女の心の重みがそのまま胃にのしかかってきたかのようだ。これがいわゆる重い女というものなのかと、妙なところに月日は考えを巡らせていた。


「いいえ、これは旦那様のために心を込めてお作りいたしましたお弁当です。どうぞ、ご遠慮なさらず召し上がって下さいませ」


 こんな時に限って三美がいない。彼女なら、いつものように乱入してきては、良くも悪くもこのような状況を打破してくれそうなものなのに。そう思いかけて、月日は自分の身勝手さに呆れた。これでは彼女は都合のいい女のようではないか。いつもは厄介払いしているくせに、自分の都合のいいときにだけ彼女を利用しようとしているのだ。まったくもって情けない。月日はそう恥じると共に、どこかで自分は三美に対して依存していたことに気付き愕然とした。


 そんな思案を巡らせて月日が躊躇っていると、かくやはやおら椅子をずらしてテーブルの横に移動し、月日の90度の位置に座りなおした。


「では、不躾とは存じますが、妻の務めとして」と言うなり、かくやは美しい所作で、前菜からほうれん草のおひたしを箸で一つまみ取ると、左手を箸を持つ右手に添えて月日の前に差し出した。


「どうぞ、お召し上がりください」


「え、あ、いや、お気遣いなく……じゃなくて、自分で食べれるよ」月日は、鼻先に差し出された箸をさけて、両手を振った。


「嬉しく存じます。お召し上がりいただけるようで、何よりでございます」にっこりとかくやは微笑んだ。


――あ、またやっちゃった……。


 自分で食べるといった以上、月日はかくやの弁当を食べざるを得なくなったのだ。


 ハジメを見やると、頬杖をついてもう知らんといった顔つきでそっぽを向いていた。


「逃げ方知っているなら、教えてくれてもいいじゃないか」とハジメに囁く。


「役得だ。食っとけ」


 そんなやり取りをしているあいだも、かくやはずっと箸を月日に差し出していた。


「わかったよ、食べるから箸をおいて」


「いいえ、そら箸になってしまいますので、このままお召し上がりください」


「人に箸先を向けるのもマナー違反じゃないのか」横からぼそりとハジメが呟く。


「お気遣い傷み入りますが、これは主に対しての礼ですので、どうかお構いなく」笑顔を崩さずかくやは言ったが、その言葉には関係ない人は口をはさむなという言外のメッセージが感じ取れた。


「そーかい……」ハジメは顔を逸らせたまま、吐息ともつかぬ呟きを漏らした。


「て、僕は、どうしたら……」


「食べてやれよ。あー、モテる男はつれーなー」


「お前だけには言われたくない。それになんだよその棒読み」


「お前の真似だよ。それより男ならさっさと食ってやれ。ずっと彼女に箸を持たせ続けさせるつもりか」


 月日は改めて差し出された箸を見た。かつお節と醤油の芳ばしい香りと、青々としたほうれん草が空腹の胃を刺激する。思わずあの箸に向かって食いつきたい衝動に駆られたが、月日は生唾をのんで、露わになりかけた獣の本性を抑え込んだ。ここは紳士らしくお行儀よく食べなければ。

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