第二十二話 くろぉす・えんかうんたぁ?
翌日、上層教育科の車寄せにパールホワイトのリムジンが止まる。まどかたちが登校してきたのだ。
滝川筆頭執事が後部ドアを開け、黒服のボディーガードが降り立ち辺りを見回す。続いて遠吠一が、長くすらりとした足を生かしたシャープな身のこなしで車から降り立つと、すぐさま扉の脇に寄った。その動きには無駄がなく、まるでダンサーのような身のこなしだ。自分が登校中の上層教育科の女子生徒たちに注目されていることを意識しての行動である。
ハジメの数秒遅れて赤レンガのエントランスに降り立ったのは、月日だった。相も変わらず、ポンポン頭にボールに手足が生えたような身体つきをしている。ハジメと比べると月とすっぽんの差だ。見た目だけなら月もすっぽんも月日なのだが……。
あたりの様子を窺っていた月日だったが、今日ははっきりと自分に向けられた視線を感じた。視線を感じる方向を見やると、美しく長い黒髪の可憐な美少女が月日をまっすぐに見つめている。
月日は眉を寄せて少し警戒したが、彼女からは嫌悪も害意も全く感じ取れなかった。彼の経験上、こうやって見つめて来る大概の女子生徒からは嫌悪しか感じたことしかない。月日は少し戸惑ったが、まどかたちに頷いてクリアのサインを送ってから、ロングヘアーの彼女に近づいて行った。何か自分に用があるのか尋ねるつもりだった。
「待ってください。太神さん!」百夜の声が月日の足を止める。かくやまでの距離は4,5メートルといったところか。
「護衛対象者を置いて、どこへ行くつもりですか?」百夜の言葉はもっともだ。今すべきことはまどかの護衛なのだ。月日は半歩さがって扉の前に就いた。
百夜の後から出てきたまどかは、彼女がいること自体よりも、あまりにも予想した通りの展開になったことに驚いていた。まどかはかくやが、今朝にでも月日に合いに来ることを想定していたのである。
「太神さん。その方が、月見乃かくやさんです」
「ええ!」眉をしかめた百夜の言葉に月日は思わずかくやを二度見した。かくやの姿は、彼の想像していたイメージとだいぶかけ離れていたのだ。
物騒な企業の娘と聞いて、パーマをかけ厚化粧をし、制服を着崩した荒れた感じの女子だとばかり思っていたのだが、かくやは清楚可憐が服を着て歩いているようではないか。月日は自分の持つステレオタイプの貧弱さに嫌気がさすと同時に、こういった風聞や見た目からの思い込みが無意識に相手を傷付ける可能性を孕んでいることにぞっとした。
「おはようございます。旦那様」かくやは月日に向かって微笑みながら、美しい所作で深く一礼する。月日は釣られて「これはご丁寧に、おはようございます」と、その場で頭を下げた。
「何をしているのですか太神さん!」まどかは慌てて二人のあいだに割って入り、立ちはだかった。まどか自身驚くことに、我知らず身体が前に出ていたのである。
「おはようございます。蒼月さん」かくやはまどかに対しても同様に、淑やかに一礼をしてきた。
思わず怯むまどか。無意識に前に出て月日の返礼を阻んだ手前、恥ずかしくて礼を返すことができない。さりとてクラスメイトからの挨拶を無視するわけにもいかず、まどかは口を真一文字にしてその場で硬直してしまった。
「おはようございます。月見乃さん」百夜はまどかの前に歩み出ると、彼女の代わりに深々と一礼した。
「あの、蒼月さんは何をしていらっしゃるのでしょう?」月日の前に立ちはだかったままのまどかを、かくやは不思議そうに小首をかしげて百夜に尋ねた。
「特に意味はありませんわ。月見乃さん」そう言うなり百夜は月日の前にいるまどかの肘を掴んで有無を言わさず引き寄せた。
「まどか様失礼ですよ」と、百夜はまどかに耳打ちをする。
「だって、旦那様って……」
「そこですか……あの方はああいう方なので、放っておきましょうと昨晩決めたではないですか」こめかみと額に指を当て、百夜は困ったものだと首を振った。
「昨日は失礼いたしました月見乃さん。どのようなご用件だったのでしょう?」改めて百夜はかくやに向き直って、尋ねた。
「はい、蒼月さんは太神様とどのような仲なのかと」
「それは昨日も申し上げましたように、太神月日さんとは雇用関係にある仲ですが?」いたって冷静に百夜はかくやの質問に答えた。
「いえ、その、それ以上の間柄かと思いまして……クラスの皆様が、ことあるごとに学校で、その、逢い引きをしているのだと仰ってまして、真偽のほどをお訊きしたく……」
――屋上のことが、そんなことに……!
百夜はいたって冷静を装って、ちらりとまどかの様子を窺った。
まどかは何か言いたげな様子だったが、うまく言葉にすることができないようで、悔しそうに噤んだ口をくにゅくにゅと動かしている。この手の話になると、まどかの思考は脇道に入り込んで出てこられなくなるようだ。
「それは違うよ、えっと、月見乃さん」百夜が答えようとしたとき、後ろから月日が歩み出た。
「僕たちは君が思っているような仲じゃない」
「では旦那様……」
「そう、それだよ。君の期待を裏切るようで申し訳ないんだけど、僕は君と婚約した覚えはない。爺様が勝手にそうしただけなんだ」と、月日は視線をまどかに移した。
「蒼月さんのところにも爺様は同じようなことを言っている。だから、そのなんというか、そういう話はなかったと思って欲しいんだ」自分で言っていて月日は何か妙な気分になってきた。事務的に言っているつもりだったのだが、これではまるで別れ話を切り出しているようではないか。婚約は初めから無いという話であるならば、婚約破棄も同然で別れ話をしているのと変わらないのだから仕方がない。
「太神様のお爺様のことは関係ありませんわ。もう、わたくしは決めたのです。わたくしはあなたの妻になると!」月日の言葉を跳ね除け、かくやは胸に手を当てて澱みのない声音で、はっきりと言い放った。登校中の生徒たちの面前で。
一瞬、上層教育科の車寄せからエントランスにいた生徒全員の足が止まった。そして、得も言われぬ様々な感情のこもった視線が月日たちに注がれる。
――あぁ、またかぁ……。
月日は視線のレーザー光線を浴びるデジャヴュを感じながら、彼女の説得に努める。
「君はどうしてそんなに僕の……妻、になろうと思うの?」ちらりとまどかを見る。まどかも月日を見ていたようで、慌てて視線を逸らされた。反射的に月日も目を逸らす。見てはいけないものを見たような気がして、変な罪悪感が胸のあたりで沸き上がった。
「ぼ、僕たち初対面だよね」気を取り直して、月日はかくやに向き直る。
「わたくしにとって、知り合った時間など関係ないのです」
「僕には関係あるんだけど……それに僕にはこんなさえない男だよ。ほかにいい男はいっぱいいるじゃない」今度はちらりとハジメを見る。ハジメは視線を合わすまいと、さっと明後日の方向に顔を背けた。
「夫は外見で決めるものではありません! ましてや、恋だの愛だのというものでもないのです。月の導きによって定められた人こそがわたくしの夫となる人なのです!」
――あ、これ、アレな人だ……。
月日は眉毛を八の字にして肩を落とした。この手の人は言葉で何を言っても聞き入れてはくれないのだ。どうしたものかと、再びハジメを見るが、彼は肩をすくめて首を横に振っている。いわゆる、お手上げというやつだ。
――月の導きだってぇ……?
面倒なことになったと頭を抱えたくなったそのとき、ふと、月日は彼女の言っていることも、まんざら的外れではないかもしれないと思った。それは祖父示申齋の言っていた、あの言葉が脳裏によぎったからだ。
『嫁になるのは精霊との縁が結ばれた者しかなれない』そして『精霊の縁に導かれた女性たちが集まってくる』という言葉だ。
彼女もまた、まどかのように精霊に選ばれ導かれた者ということなのだろうか。示申齋の承認を受けたということは、即ち精霊の承認を受けたことに等しい。というより精霊が選んだからこそ示申齋が嫁になることを許可したに違いないのだ。
月日は頭を振って、その考えを振り払った。これでは彼女を嫁として認めることになってしまう。自分は彼女を拒絶する理由を見つけようとしていたはずだ。やはり都合よく理由を導き出すことはできないのかと途方に暮れかけたとき、月日はあの無邪気な気配を察知した。
「つーきーひー」ドップラー効果を伴った、これまたデジャヴュな声が高速で接近してきたと思った次の瞬間には、フライングボディーアタックを食らって月日は赤レンガの路上に倒れこんでいた。
「あー、この抱きごこちぃいぃ」
「またかよ三美ぃ、もぉやめてくれよぉ」
「いいじゃん減るモンじゃなし」
「減るよ。僕の心が削れて行くんだよぉ」
「いいじゃん、いいじゃん少しくらい」
「どっかのオヤジかおまえはぁ!」
「それよりもテスト日まで地方遠征だから、しばらく会えなくなるんだよぉ。月日も一緒についてきてよぉ」ここにも一人、言葉では聞かないやつがいることを月日は痛感した。
「なに無茶なこと言ってんだよっ」鵜鷺三美を引きはがそうと必死にもがくが、身体能力においては三美に一日の長があった。普通の力では如何ともしがたい。少し『力』を入れれば逃げることはできるだろうが、彼女に怪我をさせてしまう恐れがある。それは絶対に避けたかった。体育科の生徒が怪我を負うということは退学に直結するからだ。
――じゃぁ、フライングボディーアタックなんかしてくるなよな。危なっかしい!
と、なんだかんだ言っても、三美のことを気にかけている自分を月日は発見し、自分のお人よし加減に少々辟易とした。
――いや、これは人として当然の考えだ! 当たり前、当たり前。
「……んで、汗も付けるな!」枕か何かのように月日の腹に顔をうずめて来る三美。例によって彼女は、真冬だというのに下着が透けて見えそうな薄手のトレーニングウェア姿だ。ホカホカと三美の身体から湯気が出ており、汗の匂いに混じってほんのりと甘い香りが月日の鼻孔をくすぐる。なまじ嗅覚が鋭いだけに、意識的に鈍化させないと、あの時食らったアンモニアとは別の意味の刺激臭になってしまう。
「もうやめてぇ……」
あまりことに茫然としていたまどかと百夜だったが、月日の言葉でハッと我に返り、三美を月日から引きはがそうとする。
「鵜鷺さん離れて下さい」百夜とまどかが二人がかりで三美を引きはがす。ハジメは腕を組んだまま、いつものこととばかりに身体をくの字にして笑っていた。そのあいだ、上層教育科の生徒たちが、彼らを見て見ぬふりをして通り過ぎてゆく。
「笑い事じゃないよハジメ」背中とお尻を叩きながら、月日はむっくりと起き上がった。
「え、ごめんなさい! もしかしてデート中お邪魔しちゃったのかしら!」三美は口に手を当てて、本気で驚いている。
「デート中ではありませんが、存外はずれとも言い難いですね」と百夜は近づいてくるかくやと横にいるまどかを交互に見やった。
「あの、こちらの方はいったい……」月日の傍らに立ち、彼の背中の埃を掃っているかくやが、三美のことを尋ねた。
「あたしは鵜鷺三美。芸術芸能体育科一年陸上コース。よろしくね」何の毒気もなく、にっこりと微笑む。いかにも三美らしい。
「わたくしは月見乃かくやと申します。この度、太神月日様の妻となるために転校してまいりました」
「へぇ。月日の新しい彼女かぁ。このぉ、やるねぇ月日ぃ」三美はニタニタしながら、軽い肘鉄をつんつんと月日に食らわしていた。
「あの……」
「おまえは、田舎のおばちゃんか! つか、おまえちゃんと前隠せ」と月日は三美に向けていた視線を慌てて逸らした。案の定、三美の汗まみれの薄いウェアは、身体に張り付いて彼女のボディラインをくっきりと浮かび上がらせていた。
「あの……」
「てへへぇ。いいよ別に減るもんじゃないし」
「お前には貞操観念がないのか! てか、ジャージはどうしたんだよ。いつも着ているピンクのやつ!」
「あの……」
「洗濯出して一枚しかないから今日は制服替わり。だからあとで着るよ……」
「あのっ!」と、かくやは、途切れぬ夫婦漫才のような二人の会話に無理やり割り込んだ。ずっと機を窺っていたのだが、タイミングが合わず、まるで長縄跳びでなかなか入れない子供のようだった。
「鵜鷺さんは太神様とはどのような間柄なのでしょう?」
「腐れ縁」「抱き枕」かくやの質問に、月日と三美が同時に答える。
「抱き、枕、ですか」かくやは両手で口許を押さえ、少なからずショックを受けていた。
「そう抱き枕。この感触がたまらないのよねぇ」と三美は再び月日に抱き着こうとするのを百夜とまどかが引き留めた。月日が腕を伸ばして遮ろうにも、三美よりも腕が短いので結局抱き着かれてしまうのだ。
「抱き……枕……」そう呟くと、かくやは眩暈に襲われたときのようにふらついた。
「……ということは、すでにお二人は褥を共にした間柄ということなのでしょうか!」
「な!」驚く月日と百夜とまどか。発想が飛躍しすぎてついていけない。三美は小首をかしげ、かくやが何を言っているのか分からないといった顔つきをしている。
「ねぇ、シトネってなに?」悪気も何の気もなく三美が誰ともなしに尋ねた。
「お布団のことです!」即座に答えるまどか。我知らず反応してしまったことに耳まで赤くなる。
「なんでお布団でそんなに赤くなっているの?」天真爛漫純真無垢を地で行くのが三美の長所であり最大の短所でもあった。
「褥を共にするとは、一般的には性交渉を意味します……」百夜も頬を染めて誰もいな方へ視線を逸らして説明した。なんでこんなことを路上で説明しなければならないのか。百夜もまどかも早々に切り上げて教室に向かいたかった。
「なんだ、そんなことかぁ。月日とそんなことするワケないじゃん。あっ、でも月日とならいいかもっ」
「ダメです!」三美以外のその場の女性陣が一斉にシャウトする。プロ級並みの息の合いようだ。
「え? なんで? みんな月日の赤ちゃんが欲しいんじゃないの? 月日の赤ちゃんならきっとかわいいよぉ」三美はなんの臆面もなく、登校中の生徒たちの前で嬉しそうに言ってのけた。
一瞬にして、まどかと百夜とかくやは、頭から湯気が出るのではないかと思えるほど、熟れたトマトのように赤面した。針でつついたら破裂しそうな勢いだ。しかし、一番いたたまれないのは、路上でこんな話の渦中にいる月日に他ならなかった。
と、その時、始業の予鈴のチャイムが鳴る。月日にとっては救いのチャイムだ。
「あ! じゃぁまたね」と言うが早いか三美は踵を返すと走り去ってしまった。まさに脱兎の如くである。
一人笑っているハジメを除いて、月日たちは三美にいいように引っ掻き回された挙句の放置である。言いたいことも言えず、何かモヤモヤしたものを残された女子三人と、心を削られるだけ削られた月日は、肩を落として自分たちの教室へ向かった。




