第二十一話 日鏑さん家って?
「で、なにも成せぬまま、おめおめと帰ってきたのか」ドスの利いた低く野太い声が十畳はあろう和室に地鳴りのように轟く。床の間を背に、厳めしい顔つきに白いものが混じり始めた髪をオールバックにした、五十代半ばと思しき貫禄のある和服姿の男が、重厚な座卓越しに日鏑晶の前に胡坐をかいて座っていた。
ここは日鏑邸。日鏑重工の会長宅の一室だ。
日鏑晶は正座をして、ずっと平伏している。座布団は用意されていたが彼は差布団には座らず、その傍らで頭を畳にこすりつけんばかりに平伏しているのだ。
彼の目の前に座っている男こそ、日鏑重工会長にして彼の父親、日鏑光騎であった。国際犯罪組織とドクター・レッドタイドの協力者であり、あの雪の夜、蒼月円の略取を企てた張本人である。
ドクター・レッドタイドの情報から、今度は太神一族を取り込もうと画策し始めていた。
「太神から蒼月を切り離すどころか、お前だけが切り捨てられたとは情けない!」
「返す言葉もございません。父上」平伏している晶の額から汗が畳に滴り落ちる。
実のところ、学園内でのまどかの動向を逐一報告していたのは晶なのである。直接的には関与していないが、雪の夜の事件も、体育館爆破からのまどか略取計画も晶からもたらされた情報を基に行われたのだ。
日鏑重工と蒼月コンツェルンとは自動車や船舶など、競合する分野が多数あった。かねてより何らかの方法で蒼月に対し妨害工作を行っていたのだが、雪の夜のまどかの略取もその計画の一端から実行されたものだったのである。
日鏑にとっては全くもって残念なことなのだが、あの時点で日鏑はレッドタイドから太神に関する情報をもたらされてはおらず、結果的に月日とまどかを引き合わせる役目を担ったことになる。行動が裏目に出るとはこういうことを言うのかもしれない。
太神が他の勢力に接近したことを知ったレッドタイドは、より大きな実力行使をするように日鏑に迫った。日鏑は強引な手法の手引きをせざるを得なくなり、レッドタイドは体育館爆破事件に見せかけた蒼月円の略取を行ったのだ。最終的に蒼月円略取計画は失敗に終わったが、日鏑は太神一族の存在と、その力を知ることとなったのである
「なんとしてでも太神を我日鏑に取り込まねばならん」
日鏑には蒼月など比べようもない重大な競合相手がいた。月見乃産業である。月見乃産業は日鏑重工の要である軍需産業の大いなる商売敵であった。銃弾から戦車・船舶・電子戦機器やミサイルに至るまで、核装備以外の軍事分野で月見乃産業と完全な競合状態になっていたのだ。
しかも日鏑重工は、レッドタイドを通じて裏社会への兵器の密売も行っていた。しかし、あの事件によりレッドタイドとのパイプが切れたため、闇ルートでの利益が途絶え、相対的に現在は月見乃産業が大きく一歩リードする形となった。更に月見乃はどうやったのかはわからないが、娘を太神月日の許嫁に仕立てて太神に接近してきたのである。
その焦りから己の息子を使い、太神から蒼月と月見乃の分断を図ったのだが、まさか息子が下らぬ選民思想に染まっていたばかりに計画が破綻するとは、日鏑光騎にとっては思いもよらぬことだった。それどころか学園で日鏑はマークされ、蒼月と月見乃の太神とのつながりを絶つどころか、より深める結果となったのである。日鏑光騎は頭を抱えたい心境だった。
「こちらも妾でよいから、いやだめだ、それでは月見乃に及ばない、やはり正妻としての婚約者でなければ、太神を取り込めない……」日鏑光騎は腕を組み、太神について想起した。
レッドタイドの話によれば、太神の真の力を手に入れることができれば世界をも手中に収めることができるという。にわかには信じられない話だが、レッドタイドの作った生物兵器を見せられては、日鏑光騎は信じざるを得なかった。
実際あの兵器・獣人は日鏑光騎を興奮させずにはいられなかったのである。2メートル強の体長にイヌ科の動物を連想させる頭部と屈強な体躯。さながら狼男の様相だ。12.7ミリ弾を弾き返し、時速70キロで走る。跳躍すれば百メートル弱を跳び、暗視装置並みの夜目が利く。歩兵としても、隠密行動としても幅広く使えるユニバーサルウェポンだ。これが量産できれば通常兵器の概念が変わるだろう。
しかしながら、現状それは不可能だとレッドタイドは言っていた。その先の段階に進むためには太神の秘密が必要不可欠なのだと。
太神を奪取するため、周到な準備を経て実行した蒼月円略取計画であったにもかかわらず、あっさりと太神に出し抜かれ、レッドタイドはどこかに逃亡し未だに消息不明だ。そのうえ実験体であったあの獣人兵器も蒼月の手に落ちた。今頃は解剖でもされ、様々な情報を盗まれているのだろうと日鏑光騎は眉間に皺を寄せた。こんな事なら先にレッドタイドから情報を盗んでおけばよかったと少しばかり口惜しく感じたが、自分にはそんな時間はないと次なる手法へと思考をシフトした。
「煌はいるか」
「まだ友人たちと外食中です。父上」ずっと平伏したままの晶が答える。
「遊び呆けおって。仕方のない奴だ……」光騎は、全くどいつもこいつもと言わんばかりに、閉まっている縁側の襖を睨んだ。
「もう頭をあげていいぞ、晶」
「はい! 父上」晶は恐る恐る父の顔色を窺うように顔をあげたが、父の顔を直視することはできなかった。
「こんな事なら昌子を急いで嫁がせるのではなかったな」面白くないという字が顔にはっきり見えるほど光騎は不満げに呟いた。昌子とは晶の二人いる姉の一人だ。二番目の姉で今年二十一歳になる。買収目的の政略結婚をさせ、見事相手先の企業を日鏑の傘下に収めることに成功した。
長女も同じく婿養子を取る形で政略結婚させ、婿養子の会社も吸収していた。長女は吸収した婿養子の株式を含めると持ち株比率が父光騎に続いて第二位になるため、今では日鏑重工社長に就任している。
「お言葉ですが、昌子姉さんは年も違いますし、キラリの方が同い年ということでつり合いが取れるかと思いますが」
「結婚の年齢に歳の差など関係ない。亭主をどうコントロールできるかが重要なのだ。昌子はその点においては日美子よりも長けていた。キラリは末のためか我儘でいかん。いずれにせよ昌子を離縁させるわけにもいかんし、当面はキラリをそれとなく太神に接触させるのだ」
「わかりました」とは言うものの、我儘一杯の妹をコントロールする術など晶には持ち合わせていなかった。それどころか、下手に動けば反感を買いかねない。あの容姿の太神に妹がなびくことなどありえないことは重々承知している。
晶はキラリがどこかの誰かに好意を寄せていることは把握していた。それを父に告げたところで命令が変更になるはずもないこともよく心得ていた。父光騎に言わせれば、結婚とは明確な力関係によって決まるものなのだ。恋愛などという不確かなもので決まるものではないのである。
「引き続き、蒼月と月見乃の注視を怠るな。隙があれば、いつでも太神とのあいだに割って入れる体制だけは整えておけ。太神の手を取るのはこの日鏑なのだからな!」
「かしこまりました……」こめかみに汗が滲むのを感じながら晶は父の命を受けた。
晶は疲労困憊した様子で、父の私室から出るとがっくりと肩を落とし、ただただ途方に暮れた。




